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1章:黄昏―邂逅する二人 / 第3話
自分が息をのむ音を聞いた。東の大陸に来てから何度か黒い髪は見かけた。でもあんなに光を吸い込んでは、離さない様な黒は……。
漆黒の髪——ヌル。王宮の石像「黒い狼」。そんなわけがないと慌てて頭を振る。ここは東の大陸だ。でも目が離せない。
こちらを向いた男は、まるで女みたいな顔をしていた——漆黒の髪は、額を撫でる。
額の下には、上がり気味の眉に切れ長の目尻。
頬を撫でた髪の一部は、薄紅色で少し厚めの下唇へと向かう。
残りの髪が向かった先は——ただ、筋が目立つ太い首と咽喉ぼとけだけが、男のそれだった。
どこか熱いのか、汗は引いた筈なのに首筋がぬるっとする。首元は緩めたままなのに。
男はこちらに一瞬いぶかしげな表情を見せた。上がり気味の眉尻が、さらに持ち上がっている。こっちを見て目を細めたり、開いたりしている。
ちょっと見ていただけだろう……せっかくの顔が台無しだな。
ん……。今の何だ。形の良い眉をきゅっと寄せ、口はきつく閉じられているが……何か口を開きかけたような気がする。
「ファルカス副団長」
部下に呼びかけられた男の顔から、いぶかしげな表情が消えた。
「来てもらえ」
「副団長」と呼ばれた漆黒の髪の男は、命令とともに軽く息を吐きだす。
「この包みをあの人に渡して下さい」
こちらを指差し、両脇を団員に挟まれた栗毛が何度も上下していた。
副団長は、団員の手の中にある包みを指さし、一瞬視線が止まったように見えた。
「その包みは丁寧に扱え。念のためだ」
「証拠品ですね?」
団員が、副団長に確認している——取り上げるつもりか。
「返せ!」
口を開きかけた副団長の指示より先に、団員の手から包みを取り返す。
取り返した包みには、赤い染み。
「この騒動は、お前らのせいだろう。まずは、謝れよ——お前ら、それでも騎士か!」
「何だ、お前!」
周囲の団員が、自分の方へ詰め寄ろうとするので、右で軽く構えをとる。
左に持ち替えた包みを、ぎゅっと抱き込んだ。
誰が渡すかよ。
「下がれ」
副団長が団員を制し、すっと一歩前に出てきた。目は上げたまま、動じない。
「責任は俺にある。だが、団への侮辱は別だ」
部下たちが一斉に動きを止め、こっちを睨む。
告げる言葉の静かさとは逆に、男は上がり気味の眉をさらに持ち上げ、キュッと結んだ唇をわずかに震わせていた。
右手を固く握りこんでいるくせに、左手はしっかりと鞘を抑えてやがる。
イージスは、副団長の左手に視線を定めたまま、顎をしゃくってやった。
「じゃあ、その剣で証明してみろよ。俺が勝ったら、謝れ」
「良いだろう。こちらも非礼を詫びてもらおう」
喉元が見えるほど顎をあげて、こちらを睨みつけている。全く……その喉元にでも齧り付いてやろうか。
「絶対アイツらに渡さないでくれ」
従業員に包みを預けて、店の奥に持っていくところを確認する。
「……引き続き、ここの浄化。お前たちは、残った客に聴き取りだ」
副団長が部下に指示する声を背中に聞きながら、先に酒場を出た。夜を迎えた外は、一段と空気が冷え、通りは、酒場の喧騒とは逆に静寂が支配していた。
自分に合わせて付いてくる、カツカツという規則正しい足音を聞きながら少し歩くと、お互いの間合いが取れる所で音が止まった。
こちらも足を止め、向き直す。両肩を持ち上げたあいつは、まるで逆毛を立てる黒猫のようだ。
「……待て」
両肩を下げた副団長が、こっちの左腰を見とがめる。
「お前、剣は?」
少し宙を見てから右の掌を副団長へ伸ばした。
「うーん……じゃあ、貸してくれ」
副団長は、イージスが出した空の右手と、何も差していない左の腰を見比べた。
「っ……お前なあ!」
静かな夜の通りに似つかわしくない声を吐き出し、肩を震わせている様にも見える。
「あ……」
突然、副団長が口に手を当て、さっと左右を見た。はあっと息を吐いてから漆黒の髪を搔き乱すと、控える部下達を見回した。
「誰か……剣を貸してくれ」
副団長は、団員から剣を受け取ると、イージスの元へつかつかとやって来た。ぐいっと右腕をこちらに伸ばし、黙って自分の剣の方を差し出してくる。
自分の剣の方を貸してくれるとは、意外だな。
受け取った剣を振ってみると、ヒュッっという高い音に手入れの良さが窺える。
その持ち主は、肩を持ち上げながら靴音とともに元の位置へ戻っていった。
「はじめ!」
立ち合い役の団員の短い合図に、抜いた剣先が一瞬光り、剣と剣のぶつかる音が響く。受け止めた腕に相手の剣の重みがかかる。意外に重い。
あいつの方が自分より少し細身なはずだが、撃ち合う剣が見た目に反している。黒の団の任務が、魔獣討伐に特化していたからか。
こちらの剣を避ける度に、滑らかに流れる体に合わせて漆黒の髪が揺れている。打ち合い続けるうちに浮かんだ玉のような汗が、そのまま首筋をなぞり、騎士服の中に吸い込まれていくのが目に入る。
勝ち気な眼をこちらへ向けたまま飛び込んでくるので、受け止めて薙ぎ払ってやる。自分についてこられる腕なのは、悪くないな。思わず口が緩む。
それに、体勢を崩しながらも、こちらの動きを目で追いかけるのを止めない——相手の動きをよく見ている。
あの動きをかき乱してやりたい——次の一手で仕掛けてみるか。イージスが少しだけ構えを直すと、何かを感じたのか副団長が後ろへ飛び下がった。
だが、俺の方が——速い!
ザリッと踏み込み、砂の匂いが鼻を通る。イージスの切っ先が相手を捉え、その先で空を斬る。ヒュッという音とともに、はらりと落ちた漆黒の髪は、月の明かりで一瞬煌めくと、夜の闇に溶けていく。
「なっ……」
届くはずがないと思っていたんだろう。声が少しだけ震え乱れている。次はどうやってあいつを突き崩してやろうか。唇が引きあがっていくのを抑えられずに、左唇だけが引き上がり、ふっと鼻から息が漏れた。考えるだけで愉しくなってくる。
向こうから斬り込んできて、熱い吐息がかかるほど顔が近づく。あいつが息を吐くのに合わせて息を吸い、受け止めてやる。夜気を含んだ風が流れ、首元から立ち上るムワッとした汗の匂いが届いた。
大きく見開いた瞳の中には、自分の姿が映り込んでいる——良い眼をしている。
互いに力を緩めないため、剣と剣が軋む不快な金属音に合わせて、一段と顔が近づいてくる。見開いていた目を細め、左右の眉を歪めている。
——唇が僅かに開いた。
「お前……何だ?」
ふと、腕から胸へと伝わるあいつの剣の重みが、僅かに緩んだ。押し返してやろうと自分の腕に力をこめる。
——戸惑いを孕んだ目に、軽く開かれた唇は、戦慄いている。即座に跳ね除けるつもりが、わずかに遅れてしまった。
あの眼でこっちを見てくるのが気になる。ただ、もう少しだけ……。
——いや、気になっているわけじゃない!
思いっきり剣を押しのけてやる。柄を握る手が、勝手に力を込める。何を考えているんだ俺は、次で終わりにする。
一歩引き、構え直すとあいつも距離を取った。
「はあ……」
アイツの息遣いだけが耳に届く。まだ冷たい春の空気に耳がキンとする。
口を堅く結び、射抜くようなその眼差しが、「同じことを考えている」と語ってくる……望むところだ。
二人が同時に強く地面を蹴った。その瞬間——バシャーン。大きな水音が耳を打ち、濡れた地面が広がった。
「冷たっ!」
非難の声を上げると、同時にあいつの声も耳に入ってきた。
「何するんだ。アル!」
同じ視線の先には、さっきの小柄な団員が立っていた。手には空の桶を持っている。びしょ濡れの自分たちを一瞥した後で、副団長の方へと向き直す。
「危なかったですよ」
一言だけ口にすると、黙ってこっちを見てきた。
イージスは、大きく息を吐いて、頭を搔き回す。自分の頭も冷えていく気がするが、副団長の方は、誰かに抗議をしているようだ。
「まだ決着がついてない」
目をやると、先ほどの小柄な団員が、ため息をつきながら副団長を諭している。
「何を言っているんですか。もう、行きますよ」
「離せ……アル!」
小柄な団員に腕を掴まれながらも、副団長は抗議をやめない。こちらを指さし、何やら必死に抵抗しているように見える。アルと呼ばれた小柄な団員は、振り返りながらこっちにも声をかけてきた。
「すみませんが、その剣は誰かに渡しておいてください。店には後で賠償しますので」
引きずられるように連れて行かれる漆黒の髪が、左右に揺れている。さっきまでアイツが立っていた場所には、風に吹かれた小石が転がっていた。
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