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0章プロローグ:落日 / 第1話
「メランリュクスが燃えている……。俺の、俺のメランリュクスが……」
——お前の護るべきものは、もう、どこにも無い——。
竜の加護の暴走事件の原因が分からず、調査する騎士達に疲労が見え始めた頃だった。
あの日の朝は、乾いた冷たい風が頬を撫で、野営地には「黒い狼と銀の盾」が刺繍された自分達の旗が翻っていた。
砂漠の向こうから昇る朝陽は、枯れ草を黄金色に輝かせる。濃い青い空に、黒く浮かび上がった砂漠の丘陵が、金糸に縁どられたかのようにキラキラと輝く。
しかし、朝陽は、黄金色の枯れ草の上に、砂丘の濃紺の影も映し出していた。
「何だか嫌な気分がしませんか?」
新人騎士の不安げな声が耳に入った。輝かしい朝には、似つかわしくない。
「何言ってんだよ。見ろ、団長の銀髪を!」
「滅多にない五竜の加護だぞ」
「団長がいるから、大丈夫だ」
即座にそれを吹き飛ばす声が続き、からりとした朝に戻る。
イージス=ナイアス=メランリュクスは、輪の外からその光景を見ていた。
経験豊富な騎士達が不安を笑いとばし、新人騎士を励ましてくる。知らず、頬が緩み目を細める。
自分のこの銀髪も役に立っているんだ。
新人のマントの印が表す所属は、火竜。
あの新人の騎士は、自分の一つ下位だったか。火竜の部隊は相変わらず賑やかだな……。
副団長のオルニスは、それらの光景を見ながら、腕を組み眉間に皺を寄せていた。
イージスの力への揺るぎない信頼と、イージスの穏やかな笑顔。意識していないと、皆の前で大きく息をついてしまいそうだった。
銀髪の赤子を初めて見た時、ただただ可愛いと思っただけだった。でも、そうじゃなかった。
王は、生まれたばかりの第二王子の銀髪を見るとすぐに、「王国の盾」にするとお決めになった。
たぐい稀なる風竜の加護を持つと言われる自分から見ても、イージスの強すぎる力は、王国の均衡を崩しかねない。
生まれながらに王国の盾となることを義務付けられ、騎士団に身を置く以外の選択肢を与えられなかった存在。「メランリュクスの銀の盾」とあだ名される、まだ17歳の騎士団長。
——いつか、気付いてくれるだろうか。この八つ下の従弟は。
「イージスの存在そのものが、メランリュクスである」ということに。いつか、必ず……。
日が沈み始める前、軽い違和感を覚えたイージスは、天幕で休みを取っていた。人の気配に体を起こし、訪ねる許可を与えると、いつもの大きな体を小さくした部下が入ってくる。
「団長、今日中に王都へ戻れますか」
何事だろうか。思わず、目を細めて部下を見てしまった。
「も、申し訳ありません。今日は娘の誕生日なので、夜遅くになっても祝ってやりたくて」
部下が慌てて言葉を続け、勢いよく頭を下げる姿が目に入り、噴き出してしまった。今度は、頭を下げたまま動かない。こちらも、勝手に目が細くなる。
ああ、そうだ。この男は、いつも嬉しそうに自分の娘の話をしてくれるんだった。
「大丈夫だ」
イージスが大きくうなずき約束すると、部下はほっと一息吐いた。
だが、その『大丈夫だ』という約束は、守られることがなかった。
突如、天幕がドンと揺れ、野営地に怒号が響き渡る。天幕を飛び出したイージスの鼻には、焦げた嫌な臭いが入り、口に入ってくる空気が熱い。各所から火の手が上がっている。
水竜の加護を使おうとするが、水竜は応えず、他の竜たちも怯えている気配が伝わってくる。一体何が……。
額から流れ出る汗もそのままに、顔を歪めたオルニスが現れた。
「全ての竜が恐怖に支配されている。特に、火竜の騎士の暴走が深刻だ」
オルニスの報告に頷く。イージスは、自分の内で湧き上がる衝動と、それを抑えようとする複数の力が拮抗しているように感じていた。
「——火竜はまだ幼い」
イージスは呟いた。
……火竜だけだろうか。
やがて火竜以外の加護を持つ者たちまで影響を受け、次々と暴走してく。苦しむ騎士たちは「殺してほしい」とイージスに懇願し、「もう嫌だ」、「何で……」野営地のあちこちで怨嗟の声が上がった。
「もう……殺してください」
イージスに縋ろうとする顔は、朝のあの若い火竜の騎士のものだった。
駄目だ。できない……俺は、お前たちを護らないと……。
うっ……イージスは口を押さえる。両肩が勝手に持ち上がり、体が腰から折れそうになる。
今は、何をすべきか……頭では分かっている。
自分の中から何かが込みあがりそうだ。護ってやることと、絶ってやることが、同じだなんて。
ああ、どうにもしてやれないのに、その腕が自分に伸びてくる。もう、分からない……。
次の瞬間、動けないイージスの前にオルニスが躍り出て、火竜の騎士に一刀を振り下ろした。若い火竜の騎士が崩れ落ちる。
「……すまない」
オルニスは、動かなくなった火竜の騎士に向けて一言だけ呟いた。
視線がゆっくりと、動けなかったイージスに向けられる。
「お前にとっては、全てが自分より弱く、護るべきものだからな」
視界の果てまで火柱が立ち並んでいる。国中で同じ惨状が起きているだろう。
同じ光景を目にするオルニスの表情は固かった。パチパチと何かが爆ぜる音がする中、自分の方を向いたオルニスが……笑った。
「お前がいれば、大丈夫だ」
笑顔でそう言い残すと、イージスに背を向けた。
「オルニス兄さん、あっ……」
団長に就任してからは、禁止されていたのに。思わず呼んでしまった。イージスには応えず、オルニスは、詠唱を唱え始めた。
「……我が名は……オルニス=シルフィード=ナイアス……」
ところどころ苦しそうに聞こえてくるオルニスの声が、正式な詠唱だとイージスに教える。
風竜ゼピュロスに全ての加護を返上するつもりだ。
砂漠の向こうを見つめたまま詠唱を続けている。その視線の先には……。
——東の大陸しかない。
突如、自分を中心に、ゴウッという竜巻が起こり小石を巻き上げた。砂の匂いに、土からはがれる草の匂いも混ざり始める。
風の作る壁に阻まれ、オルニスの声も聞こえず、姿も見えない。
体が上昇するのを抑えられず、風に包まれたイージスは必死に抵抗し、叫ぶ。
分かってはいる。風竜の力ではオルニスの方が上だ。
護るべき国から引き離されながら、イージスの目に映るのは、燃え盛る火柱だけだった。西の彼方に夕陽とともに、沈んでいくメランリュクス。
「メランリュクスが燃えている……。俺の、俺のメランリュクスが……」
——俺の護るべきものは、もう、どこにも無い——。
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