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倉庫脱出編 / 第10話
——夜が明けた頃、徳川は事務所ビルの1階に居た。
正面玄関の自動ドアは閉まったままだったが、裏手の従業員用出入口は鍵が開いていた。
薄暗い廊下を進んで正面玄関まで来ると、受付カウンターの向こうの事務所エリア一番奥、支店長のデスクへ向かった。
この会社の支店長とは顔馴染みで、何度も接待で一緒に呑んだ。
宴席での話だが、鍵をよく置き忘れるので、スペアキーが机の引き出しの中に入れてある、なんて笑い話をしたものだった。
支店長の机の引き出しには、鍵が差しっぱなしだった。
引き出しを開けると、沢山の鍵がついた鍵束がある。
持ち上げると、キーホルダー代わりにICカードの入ったカードキーホルダーがぶら下がり、キーリングにはタグの付いた鍵がいくつもぶら下がっていた。
徳川は鍵についたタグをひとつづつ確認し始めた。
・・・「外周門(表)」「裏手門扉」「駐車場門扉」「会議室」「応接室」「役員室」「流通倉庫」「冷蔵倉庫」「冷凍倉庫」「食堂」「休憩室」『非常用発電機』・・・
(あった・・・)
最後に、カードキーケースの中身を確認した。
白いICカードに貼られたラベルには『防衛省納品庫』とあった。
(支店長、あなたのおかげで助かりそうです。ありがとう)
——96MEで待機していた八代の無線に、楓からの通信が入った。
『02より01、戻りました。隊長~女将さんが朝ごはん食べに来いって~』
「ふぃ~メシかぁ~了解」
交代の前にサーマルカメラで警戒対象をチェックする。
対象の黒い塊は小雨が降りしきる中、相変わらず周囲に水蒸気を立てて熱を帯びている様だった。
しかし、一向に動く気配がなく、ただ熱の循環を示すゆらめきだけが動いている。
生物であれば呼吸のような上下運動でもありそうだが、黒い外殻は微動だにしない。
「01より02、敵対象に変化なし。監視ヨロ」
通信を切り、バイザーを上げると、八代はパイロットシートの側面にある開閉レバーのロックを外し、引いた。
プシュっと圧力が抜け、正面のコクピットハッチがせり上がると同時に、コクピットシートごと前方にスライドしていく。
シート前面のコンソールパネルがせり上がり、パイロットスーツの背中で固定されたロックが外れると、身体が自由になった。
ほとんど黒に近い濃いめのオリーブドラブにペイントされた、八代の96ME1番機は、倉庫前に停車したキャリアの後方で片膝をつき、降着姿勢のまま待機していた。
八代は胸部のフックを掴んで膝をついた左脚に片足をかけ、そのまま水たまりのできたアスファルトに飛び降りた。
着地で跳ねた雨水を気にすることなく、八代は左耳につけたイヤーフック型レシーバーのスイッチを押し、何かコードのような言葉を呟くと、パイロットシートが奥にスライドしてコクピットハッチが静かに閉まっていった。
ハッチが完全に閉じたとき、八代の耳には落ち着いた男性の声で、
(待機モードに移行します)
というAIからの音声が届いた。
「さて、飯の前に偵察をっと」
——「おはようございます」
—「・・・おはようございますぅ・・・」
カイは食堂に降りてくると、遅れて2階につながる階段の方から、様子を伺う顔を覗かせながら上田が降りてきた。
「あら、早いねぇ、コーヒー飲む?」
女将さんが挨拶を重ねる。
「他の皆さんは?」
「他の自衛隊さん達はまだ外みたいじゃね、はい、コーヒー」
「ありがとうございますぅ」
上田のやりとりを聞き流しながら、女将さんの方を見た。
女将さんは白い割烹着の下、臙脂色の作務衣の襟元を整え、朝食の準備を進めている。
調理台に置かれたバットの中は三角に握られたおむすびがきれいに並べられており、タッパーの中には明るい黄土色をした麦味噌が、なめらかな光沢を湛えていた。
タッパーから麦味噌をしゃもじを使って掬い、ボウルに入れる。
しゃもじに残った麦味噌を手の甲に少し付けて、味見をする。
そこに蜂蜜、水、料理酒を適量入れ、しゃもじでよく練り伸ばしていく。
——女将さん特製「味噌だれ」の完成だ。
「味噌だれ」が出来た頃、フライパンの中のお湯が沸騰する。
女将さんは竹で編まれたせいろを取り出すと、中にクッキングシートを敷き、その上に冷えて固くなっているおむすびを置いていった。
次に、せいろの上に布巾をかけて蓋をすると、ぐつぐつ音を立てるフライパンの上に置き、蒸し始めた。
調理鍋では、さいの目に切られた豆腐とわかめがお出汁の中でふつふつと揺らいでいる。
中からは醇ばしい味噌の香り。
フライパンの上のせいろから蒸気を漏らし始めたのを見定め、コンロの火を止める。
女将さんは鍋掴みをつけて、せいろを抱えて調理台に移し、蓋を開けた。
閉じ込められていた蒸気がふわっと立ち昇った途端、辺りに「炊き立てのごはん」の良い匂いが広がった。
女将さんは蒸しあがったおむすびを空いているバットに慎重に移すと、先ほど練った味噌だれをスプーンで掬い、適度な粘りととろみを確認すると、ふっくらとしたおむすびの表面に塗っていった。
一度に焼けそうな数のおむすびに味噌だれを塗り終えると、火にかけたフライパンへ丁寧に置いていく。
”じゅぅぅ”という音と共に、味噌の焦げる甘く香ばしい臭いが立ち昇ってきた。
焦げないように様子を見極め、さっとフライパンから上げ、皿に乗せていく・・・
いつの間にか、テーブルに座っていたはずのカイと上田が、カウンター越しに立っていた。
どうやら、お味噌汁の香りと先ほどの炊き立てご飯、味噌が焦げる香ばしい音と匂いに惹き寄せられたようだった。
二人は、今にも香ばしい「味噌焼きおすむび」に手を伸ばしそうな勢いだった。
「お兄さんたち、そろそろ出来上がるけぇ、サヤちゃんとあっくんの様子見てきてくれんかね?」
今にもつまみ食いしそうな二人を静止して、残りの焼きおむすびの調理を再開した。
味噌が焼ける音と香ばしい香り。
二人は名残惜しそうに振り返りながら、2階へと上がって行った。
——女将さんの朝食の準備が整った頃、2階から上田、カイ、紗綾とアキラが降りてきた。
すっかり明るくなってきた朝の光が、塞がれた窓の隙間から差し込んで食堂を照らした。
さっきまで彼らが座っていたテーブルと椅子は、整然と整えられ、テーブルの上はきれいに拭き上げられていた。
その上に、各々の席には定食盆が置かれ、蓋のついた飯椀と汁椀、箸置き、グラス、お手拭きが揃っている。
テーブルの中央には水の入ったピッチャーが置かれ、お箸とフォーク、スプーンがカトラリーにまとめられていた。
「すご!まるでホテルの朝食みたいだ!」
「高専の寮よりすごい整ってる・・・」
「すごいよぉ、見てアキラくん」
「・・・うん」
続いて、八代と徳川、最後に葉月が食堂に戻ってきた。
「何か旨そうな匂いがまた・・・」
「これはこれは・・・」
「おぉ~旨そうじゃん、すげーぇや」
と、三者三様のリアクションが続いた。
女将さんは、カウンターの前に立ち、それぞれに「おはようございます」と笑顔で挨拶し、「あたたかいうちに食べてぃね」と声をかけていた。
「残りの二人は仕事中なので、先に頂きます。いつもすみません」
八代が女将さんにお礼を伝え、最後に席に座った。
各々、席に座り、お椀の蓋を取る。
飯碗の中には女将特製「味噌焼きおむすび」。
汁椀の中には具にわかめと豆腐の入った「お味噌汁」。
各々が各々のスタイルで朝食を摂る。
合掌して食べ始める者、いただきます、と声を発する者、飯碗の中を興味深く覗き込む者、豪快に「ぱくり!」と頬張る者・・・
静かな中に、箸と食器の音が響く。
作りたてを椀で封じたので、焼きおむすびも味噌汁も、まだまだ充分温かかった。
——こんな時だからこそ、せめて温かい美味しいごはんを食べさせたい——
女将さんにとって、これが今みんなに提供できる幸せな時間だった。
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