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Act.1:Point & Horizon(点と面が交わる街) / 第3話
都心の喧騒に完璧に同化し、誰もその異質さに気づかない雑居ビル。その一角に、私設警備会社『G/O/D』──正式名称『Global Order Defense』のオフィスはある。
表向きはありふれた民間企業だが、一歩足を踏み入れれば、そこは国家機密のシェルターだ。軍事レベルの電子セキュリティが張り巡らされ、壁やガラスのすべてに、特殊素材による徹底した防弾・防炎・盗聴防止加工が施されている。
ガラス張りの自動ドアが静かに滑り出し、一人の男が入室してきた。
過酷な炎天下から戻ったばかりのその肌には、うっすらと汗がにじんでいる。先ほど会場の視線をすべてかっさらった、あの男だ。
「東雲君。お手柄だったな」
部屋の奥から、低く、しかしよく通る声が掛けられた。
声をかけてきたのは、G/O/Dのトップである室長、五条彬。仕立ての良いスーツを完璧に着こなし、すべてを見透かすような知性を瞳の奥に宿した男だ。
東雲は労いの言葉など意に介さず、首筋の汗を拭いながら億劫そうに深い溜息をついた。
「——あいつら、アレで本当にSPのつもりか? 隙だらけじゃねえか」
ソファーに乱暴に身を沈めながら、東雲は苛立ちを隠さずに告げた。
警視庁警護課という表のプロたちに対する、あからさまな侮蔑。それは傲慢ではなく、実際に彼らを遥かに凌駕する圧倒的な実力を持つ東雲だからこそ口にできる、純然たる事実だった。
五条は手元の書類から視線を上げると、困ったような、しかしどこか愉しげな笑みを浮かべた。
「まあ、そう言うな。彼らとて優秀だが、君ほどの身体能力を持つ者は国中を探しても稀有だ。……その分、我々にも公安からの『恩恵』が回りやすい。君はその報酬を、好きなだけ受け取ればいい」
「……室長」
東雲の目が、一瞬にして冷たく、鋭いものへと変わる。五条は東雲のその視線の意味をすべて察し、口角を僅かに上げて不敵な笑みを浮かべた。
「わかっている。君の口座から引かれた定額は、今月も滞りなく、例の場所へ送金できているよ。……君は何も心配することなく、ただ目の前の任務にその牙を振るって貰えばいい」
五条の言葉に、東雲はそれ以上何も言わず、ただ天井を仰いだ。冷房の効いた静寂なオフィスの中で、「東雲の過去」だけが、重く沈殿していくようだった。
「……次の予定は?」
首にかけたタオルで乱暴に汗を拭いながら、東雲が訊ねる。
五条はデスクのタブレットに視線を落とし、流れるような動作でスケジュールを表示させた。
「ああ。木曜に、田村議員の後援会と立食パーティーが控えている。今回のサミットの一件で、警政界は過敏になっているからね。我々にも裏からの増員要請が来ている。ちなみに、当日現場の警護に当たるのは——今回と同じ、警視庁の第二班だ」
「あのジイさんか。良い加減引退しろっての。利権にまみれて、狙われてる自覚すらねえのか」
心底嫌そうに東雲は吐き捨て、タオルの端を引いた。そんな毒舌を、五条は慣れた様子で聞き流しながら、眼鏡の奥の瞳を悪戯っぽく細める。
「対象者への不満は個人の自由だがね。……それと、その第二班には、警視総監の姪が所属している。今日の現場で、君も見ただろう?」
五条の言葉に、東雲は手の動きを止め、わずかに記憶の糸を繰った。
炎天下の喧騒、自分の体で盾を作ろうと必死に群衆を睨みつけていた、あの張り詰めた横顔。
「……ああ、あの馬鹿正直なねーちゃんか。まだまだ見通しが甘いな。俺が突っ込んでなきゃ、今頃環境大臣か、あの並んでたSPの誰かの首が飛んでたぜ」
「確かに、君の言う通りだ」
五条は否定せず、くくっと喉を鳴らして笑う。
「だが、彼女はまだ新人だからな。……上層部、つまり公安を通してね、警視総監殿からも直々に『くれぐれも姪を頼む、何かあればG/O/Dが裏からフォローしてくれ』と、頭を下げられているんだよ。国費がふんだんに投入されている我々としては、無下にはできない案件だ」
「……ったく、めんどくせえな。俺は便利屋じゃねえんだぞ」
東雲は盛大に顔を顰め、ソファの背もたれに頭を預けた。
しかし、口では最悪の文句を並べながらも、その脳裏には、木曜日の立食パーティーの会場図と、あの危なっかしい新人SP──瀧沢薫の姿が、すでに『警護対象』としてインプットされていた。
カチリ、と電子セキュリティが解除される音が響き、再びオフィスの自動ドアが滑るように開いた。
入室してきたのは、お世辞にもこのハイテクな空間には似合わない、くたびれたビル清掃員の制服を着た男。その後ろから眠たそうに目をこすりながら歩いてくるのは、一人の銀髪の少年だった。
「ウーッス」
「ただいま〜」
緊張感の欠片もない気の抜けた声がオフィスに響く。清掃員姿の男は部屋に入るなり、ポケットから気怠そうな動作で電子タバコを取り出した。吸い口を咥えて軽く吸い込めば、先端のインジケーターが静かに青く明滅する。
五条はデスクから顔を上げ、その男へと鋭い視線を向けた。
「日向。現調はどうだった」
「日向」と呼ばれたその男は、カモフラージュ用の作業服の襟をパタパタとあおぎながら、深く、白い水蒸気を吐き出した。香料の混ざった僅かに甘い香りが、冷房の風に流されていく。
コードネーム『飛車』。
その盤面を縦横無尽に駆け巡る名に恥じず、一撃必殺の破壊力を持つ古流武術「體術」の使い手であり、G/O/D内でもトップクラスの実力を誇る怪物だ。……だというのに、いまいち仕事への執着がなく、定時退社を何よりも死守するような、極度のめんどくさがり屋でもあった。
日向は電子タバコを指先で弄びながら、眉の間に深い不快感の皺を刻んだ。
「……最悪だね。あの会場を手配した奴の気が知れねえな。装飾用の厚手のカーテンに、無駄に高い位置にある明かり取りの高窓。……伏兵にも、遠方からの狙撃にもこれ以上ない最適なロケーションだ。まるで、ここで狙ってくれと言ってるばかりの構造だぜ」
日向の冷徹なプロとしての指摘が、冷房の効いたオフィスに重く響く。
木曜日の田村議員の講演会。それは、仕組まれたかのような『最悪の舞台』で行われようとしていた。
「——白。いざという時の『準備』は滞りないか」
五条が次に視線を向けたのは、日向の後ろにいた銀髪の少年だった。少年は、その透き通るような銀の髪を揺らし、悪戯っぽく綺麗な目を細めて笑う。
「勿論だよ、室長」
見た目こそあどけない少年。だが、その正体は数百年の時を生きた高位の『妖狐』である。
陰陽道の高名な家系である五条の血脈と、古くから不磨の盟約を交わしており、現在は人間の戸籍を得て、この現代の世に馴染んでいた。
コードネームは『銀将』。普段は五条の秘書としてオフィスに控え、その強大な霊力を用いて、遠隔から戦場のメンバーをサポートする「防壁」の役割を担っている。
白は、ソファーで気怠そうにしている金髪の男へ、品定めするような視線を向けた。
「ねえ、喬。天井裏も見てきたけど、あそこは潜伏するには丁度良さそうだよ。今日の大臣の時みたいに、ピンチの瞬間に上からカッコよく登場するヒーローアクションが、さぞかし映えそうな構造だった」
「……下の名前で呼ぶんじゃねえよ、馴れ馴れしい。あと、俺はヒーローじゃねえ、仕事だ。ただの金稼ぎだよ」
東雲──いや、東雲喬は眉根を寄せ、突っぱねるように言い返した。
何百年を生きる化物から見れば、人間の年齢など誤差のようなものなのだろう。どれだけ冷たく突き放しても、白は「喬、喬」と親しげに呼んでくる。その近過ぎる距離感に、喬はいつも小さく頭を悩ませていた。
喬は少し視線を落とし、日向がもたらした現調の情報を脳内で数式のように組み立てていく。ただの杜撰な会場選定ではない、裏にある悪意の濃度を察知したように、彼は低く呟いた。
「……木曜の後援会には、別の目的が潜んでいそうだな」
喬の直感めいた発言。だが、彼の輝かしい過去の経歴ゆえの極めて高い情報処理能力に裏打ちされたその一言は、化け物ぞろいのメンバーたちに、喬への確かな信頼と評価を再認識させるに十分だった。
「さすがだね、喬。僕たちの中にいても、君のその感性と身体能力だけでやってのけるだけのことはあるよ」
白の純粋な称賛。日向もまた、吐き出した煙の向こうから、それとなく喬の鋭い観察眼を認めるような、静かで確かな眼差しを向けている。
五条は満足そうに口角を上げると、改めて全員を見渡した。
「どんな目的が潜んでいようと、我々が為すべきことはただひとつだ。よろしく頼むよ、東雲君」
「……へいへい」
五条の言葉に、喬は短く応答した。
上司に対する態度にしては不遜極まるものだが、五条はそんな喬の粗暴な人間性も含めて、このG/O/Dに招き入れるべき至高の『駒』だと確信の上、引き入れたのだ。
「まあ、何はともあれ、木曜日は大忙しになりそうだね。喬、期待してるよ」
白はクスクスと愉しげに笑い、五条のデスクの傍らへと滑るように移動する。その足取りには、人間にはない独特の獣めいたしなやかさが宿っていた。
最強の『飛車』。変則の『桂馬』。そして裏で糸を引く『王将』たる室長と、変幻自在の『銀将』の妖狐。
一般のSPたちには決して見えない、夜の住人たちの作戦会議は、冷房の音に紛れて静かに進んでいく。
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