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第6話 / 全6話
帰りの電車は時間帯のせいか週末のせいか混雑していた。最初は手を繋いでいたが、人ごみに押しやられ、めったに開かないドア前に流されると、電車が揺れるたびに人の圧に襲われそうになる。
ちょっとしんどいな。
そんな考えが奏音の顔に出ていたのかどうかはわからない。片手を繋いだまま、透哉が奏音の顔の横に肘をついた。人の流れの圧で透哉が奏音まで潰してしまわないように。
「混んでるな。少し時間ずらせばよかったかも」
「……うん。でも大丈夫。ありがと、透哉」
「かわいいカノンを潰すわけにいかねーだろ」
小声で言葉を交わしながら、少し笑った。透哉の気遣いを奏音は素直に嬉しいと感じた。
混雑した電車で駅に止まるたびに人が少し減ったり増えたりを繰り返す中、奏音は透哉と近い距離のまま何気ない会話を繰り返していた。今日は楽しかった。白クマの赤ちゃんがかわいかった。ペンギンはもっと見ていたいくらいかわいかった。透哉にもらったちびたんが嬉しかった。そんなことをくるくると表情を変えながら話していると、一瞬、透哉の返事に間があった。なんだろうと奏音は透哉の目を見た。
透哉はいつも通り楽しそうに笑っていた。それから、ふと距離が近くなった。キスされた。電車の揺れで人の圧に押されたのではない。唇が重なった。どきりとして奏音は目を伏せた。
反射的にキスを受け入れてから、奏音の脳裏に違和感が浮かんでくる。
このキスは、〝カノン〟に対するキス? でもカノンは奏音で〝男の娘〟だよ?
ほんの少しの間だけ触れていたキスは離れていき、近い距離のまま透哉が奏音の耳元で囁いた。
「カノン、好き。カレカノごっこじゃなくてちゃんと付き合おう?」
透哉の言葉に奏音の頭は真っ白になった。
かわいいものが好き。かわいいは正義。
だが、カノンの中身は奏音だ。透哉の言葉を理解するのに時間がかかった。透哉が付き合おうと言っているのがカノンなのか奏音なのか判断がつかない。カノンだとしても男の娘であることには変わりない。
「透哉。カノンは女の子じゃないよ」
「知ってるよ」
何とか絞り出した言葉は透哉にあっさりと肯定された。
「透哉は……誰に付き合いたいって言ってるの。カノン? それとも沢渡奏音?」
「両方」
透哉の返事に次の停車駅のアナウンスが重なった。奏音は何をどう返したらいいのかわからない。混乱している。繋いだままの片手のことも忘れていた。沈黙。それからがたん、と電車が揺れ停車したかと思うと奏音が背にしていたドアが開いた。背中の支えを失い、体が揺らいだかと思うと奏音は繋いでいた手を放して一人最寄り駅でもない駅に降りた。一人で。次から次へと降車客が押し寄せて、簡単に透哉とはぐれる。
一分にも満たない停車時間。電車は発車していった。駅のホームに奏音は立ちつくしている。──透哉は、いなかった。
耳に透哉の言葉が繰り返し響く。「カレカノごっこじゃなくてちゃんと付き合おう?」「知ってるよ」「両方」透哉はカノンも奏音も好きだと言ってくれた。だが、奏音は。
かわいいは絶対的な正義だった。奏音がかわいい姿になれるカノンを好きだ。かわいいと言われると嬉しくなる。けれど──奏音は女の子になりたいわけではない。〝かわいい〟は奏音の嗜好だ。
奏音は無意識に黒いレースに縁どられたバッグに付けてもらったばかりのちびたんを握りしめていた。
──好きって言ったって、カノンと奏音の両方を好きって言ったって、わからない。カノンは僕がなりたいかわいいを詰め込んだ姿で、僕ではない。透哉がカノンをかわいいって言ってくれるのは嬉しいけど、僕とカノンは違う。僕は僕で、女の子になりたいんじゃない。……だから、たぶん、透哉といて楽しいけど、好きって言うのは……きっと、違う。
「……ねえ、ちびたん……僕ってなんなんだろ……」
奏音は自分の輪郭が透哉の言葉で滲んでいくのを感じていた。
初夏の夕方。知らない駅のホームでバッグについた白いクマのぬいぐるみキーホルダーを握って、途方に暮れるとてもかわいい男の娘がひとり、ぽつんとどこにも行けないでいた。
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