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第1章 翔ける / 第2話
眼下に海を見ながら、エンジン音を響かせて飛行船は飛び続ける。真っ青な海はどこまでも続く。人が生活するのは空に浮かぶ島々だけ――それを改めて実感させられる。船首付近で地図を見ながら王宮島とグライゼル島の距離を確かめた。一日あれば辿り着けるだろう。
通り過ぎていく島々に心を奪われつつ、鼓動が騒がしい。手にだって汗が滲んでいる。
「落ち着かないなぁ……」
片手を胸に当て、何度か深呼吸を試みる。しかし、いくらやっても緊張は解れない。
「もう……しっかりしなくちゃ、私」
風に靡く金の髪を押さえ、小さく呟いた。逃亡は始まったばかりなのだ。
次に見えてくる島はどんなところだろう。前方をじっと見据える。滝が流れ、その麓には屋敷が立っている。湖まであり、一大観光地といった様相だ。島ごとに色々な風景を見ることが出来て面白い。
私は父王から逃げきれるだろうか。とはいえ、母のためにも、私自身の精神を保つためにも、この国から離れたくはない。そんな思いが脳裏をよぎった時に、足音が近付いてきたのだ。振り返ってみれば、アルフレッドは瞳に影を宿し、ゼインは好奇心いっぱいの顔でこちらを見ている。
口を開いたのはゼインだった。
「王女殿下、ご気分はいかがですか?」
「不安はありますが、悪くはありません」
答えると、ゼインの緑色の瞳が細められる。
「王女殿下は空を翔けたことはありますか?」
「いえ、これが初めてです」
王族は島から出る必要がない。必要があれば要人を島に集めて済ませてしまう。何より、船が墜落でもすれば命はないのだ。王族が自らそんな危険を犯すはずもない。
「空の上はとても心地良いですね」
涼しい風が吹き、鳥が船の横に並んで飛ぶ。この光景を見られただけでも逃亡した価値があったというものだ。
「王女殿下は相手の王子殿下の顔を知ってるんですか?」
「……知りません。情なんて、これっぽっちもありません」
それなのに、父王は昨夜、「どうしてそんなに王子に愛情のない振りをする?」と私に詰め寄った。「振りではない」と言っても、聞く耳を持ってくれなかった。
私が唇を噛み締めると、アルフレッドは髪を掻き上げながら大袈裟に息を吐き出す。
「ゼイン、質問ばかりではメヌエッタ殿下も疲れるだろう」
「僕はメヌエッタ殿下の事情が知りたかっただけなんですけどねぇ」
ゼインは肩を竦め、苦笑いをする。
これは二人に言ったことではない。ただ、私が言いたかっただけだ。
「私は自国の貴族と結婚したいのです。自由が奪われるなんて、真っ平御免です」
王族でなくたっていい。衣食住に困らなければ、むしろ貴族でなくてもいいくらいなのだ。父王の怒りに震えたラベンダー色の瞳を思い出すだけで涙が出そうになってくる。
拳を握ると、ゼインは儚げに微笑んだ。
「それなら、逃げて正解だと思いますよ。王女殿下にだって、拒否権はありますから」
私を思う言葉に、図らずとも感動を覚えてしまった。
「ありがとうございます」
「巻き込まれた俺の気持ちにもなってみろ」
私とアルフレッドの声が重なる。やはり、私を受け入れてはくれないのだろうか。思わずアルフレッドの顔を見詰めたけれど、すぐに視線を逸らして下を向いてしまった。
気まずくなったのか、アルフレッドは咳払いをする。
「さて、明日の早朝にはグライゼル島へ到着予定です。メヌエッタ殿下の部屋は……ゼイン、どうする?」
アルフレッドは困ったようにゼインへ目配せをする。ゼインは目を泳がせてしまった。
「僕の部屋は狭すぎます。寝るならアルフレッド様の部屋しか……」
「だよな……」
二人とも肩を落とし、唸り声を上げる。
「私は眠れるならどこでもいいですよ?」
「そういうわけにはいきません」
アルフレッドはムスッとした表情で言い切ると、何かを決意したようにゼインに目をやった。
「ゼイン、床で寝ろ。俺はお前のベッドで寝る」
「そんなぁ……」
アルフレッドの提案に、一気にゼインは涙目になってしまった。二人に対して、物凄く申し訳ない気持ちが出てしまった。
「ゼイン、元気を出してください」
つとめて明るく言ってみる。すると、アルフレッドにやれやれと言わんばかりの表情で見られてしまった。
「お転婆なのはいいことですが、メヌエッタ殿下。鏡は持っていらっしゃいますか?」
「鏡、ですか?」
「ええ。俺の部屋に姿見がありますから、ご覧になった方がいい」
私の顔に何かついているだろうか。顔を両手で拭ってみると、ゼインに笑われてしまった。
「そこじゃないですよ。まったく、どこを走り抜けてこられたんでしょうねぇ」
言っている意味が分からない。首を傾げてみせると、ゼインに手で道案内をされた。
階段を降り、船内へと入る。そういえば、この船は誰が動かしているのだろう。コックピットに他の誰かがいるのだろうか。不思議に思いながらも、聞けずに終わってしまった。
すぐに一つの扉の前へと到着する。
「アルフレッド様の部屋はここですよ」
「ありがとうございます」
素直にお礼を言いたいだけだった。手を差し出すと、ゼインは気づかなかったのかすぐに身を翻してしまった。
ま、そんなこともあるか、とドアノブを回した。この部屋の窓からも外の眺めを一望出来て、飽きることはないだろう。
それよりも、鏡だ。狭い部屋の片隅に、姿見を見つけた。急いでそちらへ駆け寄り、自分の姿を映す。目の前のラベンダー色の瞳が見開かれる。
「きゃーっ! 何これーっ!」
悲鳴は船外にも漏れていただろう。
私の髪には蒲公英の綿毛が大量にくっついていたのだ。蒲公英畑を翔けた時についてしまったのだろうか。初対面でこんな姿を見られたのだと思うと、途端に恥ずかしくなってくる。
必死に両手で髪を梳かしてみたけれど、全てを取り除くことなんてできない。
こんなに小さな船にシャワールームが備わっているとも思えず、膝から崩れ落ちてしまった。
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