読み込み中...
読み込み中...
第1話 / 全21話
僕、佐藤(31歳)。
先月まで都内のIT企業でエンジニアをしていた。
大学を卒業して7年、満員電車に揺られ、毎日朝から晩まで仕事して、郊外の1Rに帰りつくのは夜10時。
食事は毎日外食 or コンビニ飯。
唯一の楽しみは推しのVtuberのゲーム配信・・・
エンゲル係数高めであんまり金も貯まらない。
彼女も出来ない。
あっというまに賢者を通り越して大魔導士になりそうな勢いだ。
このままでは過労死する!と一念発起して、転職エージェントに登録。
エージェントからの紹介で、実家近くの山奥にある鄙びた温泉街にある老舗ホテルの「Uターン歓迎!情報システム管理者募集」の求人に応募してUターン転職を決めた。
実家に戻り、親父のお古の中古車を譲り受け、今日はホテルへ初出勤!
片道50km、1時間少々のドライブ通勤。
都会に就職して約7年ぶりの運転だが、道中の信号が両手で足りるくらいしかない田舎道。
のんびりとした山と田んぼと畑しかない景色を楽しみながら車を走らせる。
道路標識の【ながとゆき市】の看板が見えた。
ゆるやかな山あいの坂道を上り、大きなトンネルを通り抜ける。
長い長い真っ暗なトンネルを抜けると、両脇に生け垣に囲まれた小さなパーキングゾーンがある。
左手には昔は峠の茶屋だったのだろう、木造の古ぼけた商店が1軒だけ。
道路を挟んだ右手には木造のトイレらしき小屋だけがぽつんとある。
ふと気になって茶屋の方へ目をやると、おばあさんらしき人影が見えた。
へー、営業してるんだ。今度寄ってみよう。
その先に、小さな橋と、次のトンネルがまっすぐ続いている。
僕は迷いなくその道を走らせていく。
再び、真っ暗なトンネル。
一瞬、ふわりとした感覚が駆け巡る。
同時に、胸ポケットの中のスマホがぶるっと震えた。
あれ?そういえばゲーゲルマップにはトンネルなんて表示なかったような?気のせいか⋯?
次の瞬間、トンネルを抜け、まばゆい光に包まれて思わず目を細めた。
トンネルを抜けたら、そこは時間が止まったような異世界だった。
山と清流、田んぼと畑しかない景色が延々と続く。
黄色いガードレールに囲まれたゆるやかな下り坂を進むと、鄙びた趣のある大きな建物が見えてきた。
眼前に流れる美しい清流と、その傍らを彩る桜並木。
ピンク色の花びらがはらはらと舞い、眼下に流れる清流は今にもせせらぎが聴こえてきそうだ。
川を跨ぐ小さな橋と、その向こうに堂々とそびえ立つお城のような巨大なホテルが姿を現す。
その名も「くつろぎの宿 ホテルせせらぎ館」
これから、ここで働くことになるのかー!
ドキドキしながら正面玄関前へ車を進めると、春らしいピンクの着物を着た30代位の清楚な感じの仲居さんが僕に気付き、内股でいそいそと駆け寄ってきた。
「ようこそいらっしゃいませ。ご予約ですか~」
「いえ、今日からこちらでお世話になる佐藤です」
「あぁ!佐藤様ね、伺っておりますよ」
感じのよい仲居さんの笑顔が、運転席の僕に近づく。すごく近い。
きれいに纏められた黒髪から、ふわっと、花のようないい香りがした。
「えっとね、この先の坂道をそのまま車で道なりに進むと駐車場があるから、そこに車停めてまたこちらまで来てくださる?よろしいかしら?」
「この先ですね、わかりました!ありがとうございます!」
物腰柔らかで素敵なお姉さんだったので、期待に胸を高鳴らせながら駐車場へ向かった。
・・・あれ?
この道結構長くね?
車で2、3分くらいだろうか。
ホテルの裏山をぐるりと迂回するようにゆるやかな上り坂を進むと、大きな駐車場に出た。
ちょうどホテルの裏側、山の反対側だろうか。
広い駐車場には、観光バスが数台、従業員の車(だと思う)がびっしりと停まっている。
駐車場の奥には、山の斜面に沿って2階建てのアパートが4棟ほど、ぽつぽつと並んでいた。
僕は空いている駐車場に車を停め、来た道を下って行った。
山に面した坂道には、山の斜面に沿って鬱蒼と木々が茂る。
ふと足元を見ると、青々とした小さな毬栗がコロコロと転がっている。
秋になれば、沢山の栗の実が実るのかもしれないな、なんて風情を感じる余裕さえあったのだが・・・
「これ・・・帰りきつそ・・・でも自然いっぱいで空気うめぇ!」
ゆるやかな下り坂が続いている。
さっきは車で上ったが、帰りは徒歩で駐車場まで戻るのかと思うと気が滅入る。
しかし、近くを流れる川のせせらぎも、時折吹き抜ける風も心地いい。
いいとこだな~と期待に胸を膨らませて、玄関まで戻った。
玄関前では、先ほどのピンクの着物の仲居さんがまた出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、ささ、フロントまでご案内しますよ」
いそいそと玄関の自動ドアへと先導してくれる。
僕は仲居さんの艶やかな後ろ姿を追いかける。
きれいにまとめられた髪。うなじから帯にかけてすらりとした背中、着物の上からでも判る美しく整ったお尻の形・・・が歩くごとにふにふにと左右に揺れている。
美しい。
とても美しいお尻。
都会のパンツスーツのお姉さんとはまた違う、和服ならではの艶気が目の前で揺れている。
僕は叫ぶ!心の中で。
・・・眼福だーーー!!wwwこれが毎日続くなら頑張れそうだ!
玄関の自動ドアを抜けると、どでかい金屏風と桜の木をあしらった美しい生け花が出迎えた。
その右手奥にフロントカウンターがあり、ビシッとキマったフロントマンが出迎える。
「いらっしゃいませ!」
凛とした清々しい声が響いた。
超有名声優ばりのイケメンボイスである。
仲居さんがフロントカウンターの男性に声をかけた。
男性もホテルマンらしい清潔感のある濃いグレーの3ピースの制服がバッチリ決まっている。
「佐藤さんですね、お待ちしてました。こちらへどうぞ」
と、フロントカウンター裏へと案内された。
案内してくれた仲居さんが、そっと駆け寄り、耳元で「がんばってください」と笑顔で声をかけてくれた・・・春の花のようなとてもいい香りがまた鼻腔を刺激し、佐藤の期待はさらに高まり、心臓の鼓動が高鳴った。
いよいよ、いよいよだ!
ここから僕の理想的な田舎暮らしが始まる!
しかし、佐藤は思い知ることになる。
ここはド田舎であり、異世界であることを。
この話はいかがでしたか?
この作品を評価する