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2章: 雨の夜―気になる二人 / 第6話
「あそこだ」
示された猟師小屋は、街道を少し外れた所にあった。馬繋ぎ場で二頭を休ませると、急ぎ小屋へ逃げ込む。
雨と風に追われ、二人ともひどいありさまだった。
小屋の中には冷えた空気が横たわっている。所持していた火打石で火をつけようとするが、手先が冷え切って上手く火が付かない。
「そこの魔石を使えばいいだろう?」
いぶかし気に副団長は、火付け用の魔石を指さす。暖炉には、たいてい魔石が備え付けてあるものだ。
「……生まれつき魔素が少ないんだ」
薄笑いで肩をすくめ、用意してある答えを口にする。あいつの返事は「そんなこともあるんだな」といったところだろうか。
「……俺がやる」
代わって、魔石で手際よく暖炉に火を入れてくれる背中が見える。肩透かしを食らった気分だ。
頭を振って軽い驚きを追いやる。使えるものを探すと、見つけた物は、備え付けの食器類に、毛布が二枚……。
「脱いだ服は、そこへかけろ」
暖炉の近くに置かれた、小さなひとつの作業台と一脚のガタついた丸椅子が示される。壁のフックにかけられたマントからは、ぽたぽたと雨の残りが零れ落ちる。
男の頬や首筋には、濡れた漆黒の髪が張り付いている。男は上着の裾に手をかけ一気にまくり上げるも、濡れた服は脱ぎにくいらしく、うなじの所で引っかかり、漆黒の髪が隠れてしまった。
その間は、自分より細いのに、十分に鍛えられた体——それだけが眼に入る。
普段は隠れているうなじを、一筋の水滴がなぞり背中へと流れ着く。二の腕に筋がグッと浮かぶと、水滴を飛び散らせながら漆黒の髪が現れ、こっちを振り返った。
「何してる。早く脱がないと体温が奪われるぞ」
濡れた服を脱ごうとしない自分に、眉を顰め軽く息を吐いてくる。
「寒さで指が上手く動かないんだ」
髪から目が離せなかっただけだというのに、全くなんて下手な言い訳か。
背中を向けて濡れた服を脱ぐことにした。背後では、水分を含んだ衣類が床に落ちる気配——下衣を脱いだのだろう。
下着1枚に、肩から毛布を掛ける姿の二人……。
湯が入ったカップを渡してくれたので、持っていたスキットルから2つのカップに蒸留酒を注ぐ。カップの中で広がる琥珀色と共に、立ち上る湯気が穏やかな香りを鼻に届ける。
男が毛布に包まり、暖炉の前に座ったことを確認した。丸椅子と男の間を少し開けてあるような気もする。しかし、揺れる炎の前に座る気にはなれないので、少し距離をとる。
自分の斜め前に座った男は、毛布の先から腕をのぞかせ、無造作に髪をかき回していた。漆黒の髪から飛び散った水滴が降りかかるが、嫌な気分はしない。
髪をかき回していた腕が止まり、体を少しこちらへ開いた。首を傾け、男の隣を示している。
「そんなんじゃ温まらない」
男は振り返らずに、さらに間を開けるために、もぞもぞと横へ動く。暖炉から距離を取る自分に、そこに座れということらしい。暖炉の炎と見比べ、隣に腰を下ろすことにした。
「熱いな」
震えながら一生懸命カップに口を付けようとする男は、子犬みたいだ。ふいにくるりとこちらに顔を傾けた。
「名前がまだだったな。俺は黒の団、副団長のクロエ=ファルカス。クロエが家名だ」
「俺……俺は、ダリア商会のイージス……」
それだけを答える。一瞬眉をひそめ怪訝な顔をされたが、何も言われなかった。大丈夫だっただろうか。カップに目を落とし、口を付けると少し苦い。
——俺は、一体誰なんだろうな……。
「お前——」
ファルカスは、指さしながら呼びかけてきたのに、一瞬止まった。コホンと一つ咳ばらいをすると、背筋を伸ばして座り直す。
「お前は、ずっと運び屋をやっているのか?」
「……ああ」
ただ雨の音と風の音だけが聞こえていた。
「——運び屋」
「何だ?副団長」
短い答えに何か思うところがあったのか、ファルカスは「運び屋」と呼びかけてきた。名前の話が終わったようで助かった。
「ん?」
先を促すも、ファルカスの視線は定まらず、何か言いにくそうにしていた。
「……悪いが、俺は何にも持ってきていない」
突然の告白に口の端が持ち上がる。掌でカップのぬくもりを感じ、冷えた体が暖かくなっていく。
「真剣な顔をして何を言うかと思えば……ほら」
袋から取り出した非常食を手渡した。
「そもそも、日が落ちてから都市を出た俺が悪かったんだ。お前は心配してついて来てくれただけだろう?」
「うっ……」
のぞき込むと、図星を指されたのか、眉根にしわが寄っていた。綺麗な顔をきれいに歪めている。
「はい、はい。任務ね」
両手をひらひらと振って、話を遮っておく。その不器用さは、悪くない。鼻から軽く息が漏れた。
「それに、誕生日は特別だからな……」
ファルカスは、受け取った非常食を齧りながら呟いた。齧るごとに香ばしい匂いがこちらまで届く。膨らんだ頬が、まるで子リスみたいだ。
口の中から非常食が消えてしまうと、惜しむように行儀悪く指先を唇に当て、嘗めとっている。
じっと見ていると、自分の行為に気付いたのか、形の良い指を唇から離し、指先を擦り合わせる。バツが悪そうに暖炉を見つめ始めた。
「……俺は、10年前黒の団に拾われた日が誕生になった」
呟いたファルカスは、視線を動かさない。
——誕生日だ、じゃなくて……誕生日になった……か。
目を伏せると、自分の誕生日が思い出された。皆が集まってくれて、お祝いの言葉に……御馳走……贈り物……。
贈り物……あれ、おかしくないか。あの時、酒場でこいつは……。
あっ……。視線をファルカスに戻し、その横顔をじっと目に捕える。
「お前、ひょっとして、あの時包みの汚れを取ろうとしていたか?」
ファルカスは、一瞬こちらに顔を向けたが、その問いには答えなかった。視線を逸らすと、ただ、下唇に手の甲をあて床を見ている。その長いまつ毛に残る水滴を炎に照らされながら。
そういえば、追いかけて来た時もこいつは、袋の中身を「包み」だって言っていた。あの時の「丁寧に」も……そういうことか……。
カップの薄い琥珀色を口に含むと、湯に解けた蒸留酒がまろやかになり、甘くなっていた。
暖炉の炎が生み出すファルカスの影が、軽く左右に揺れた。
「体が冷えたまま眠るわけにいかないな」
軽く目をこすりながら、こっちを見てくる。
「こういう時は、何か定番の話があるだろう?」
面白い話をするように水を向けてみると、ファルカスの話は、「怖がりの部下が、何もないのに驚いて転んだ」という失敗談だった。ひとしきり笑った後には、小屋の隙間から吹き込んだ風の音だけが、ひゅうっと聞こえる。
ふと横をみると、丸椅子が目に入る。しかもガタついているやつだ。丸椅子の反対側を見ると、丁度こちらを見ていない。悪戯心に火が付いた。体をなるべく動かさないように、そうっと丸椅子の脚に腕を伸ばす。
——ガタガタという突然の大きな音に、ファルカスの背中がびくっとした。
「何だよ、今の!」
大きな目を見開いてこっちを見てきた。堪えきれず、拳で口元を抑えながら下を向く。ちらりと様子を伺うと、理由を悟ったらしいファルカスの顔がどんどん赤くなっていく。
「そういうのは、冗談でもやめろよ」
「お前、結構怖がりだなあ」
からかうと、頬だけでなく、耳まで赤く色づく。
「俺は怖くない。ただ、急だったから驚いただけだ」
口を尖らせて、異を唱えてきた。結構強がりなヤツだなあ。
ファルカスは、憮然として暖炉の灰をかき回し始めた。
「誰だって、目に見えないものは怖いに決まっている……」
否定すればするほど、自分が不利だとは悟ったらしく、かき回しながら、ブツブツ言っている。
——そうだなあ。
「目に見えないからといって、怖いとは限らないけどな……」
「……じゃあ、次はお前の話をしろ」
こちらのつぶやきに、分が悪くなったのだろう。ファルカスは、少し頬を膨らませながら指をさしてきた。
「なんでも良いけど……人が聞いても怖くないやつだぞ」
どこまでも強情なやつだ。ついこちらも目を細めてしまう。何でも良いと言われてもねえ……そうだな。こいつに確かめてみようか。
少し考えて切り出してみることにした。
「副団長、このガラクシア大陸の創世神話は知っているか?」
「ああ」
「じゃあ、ちょっと話してみてくれないか?」
「次はお前の番だろう?何で俺が……」
いぶかし気なファルカスの様子は、放っておく。
「良いから、良いから」
掌を上に向けて話すよう促すと、ファルカスは諦めたのか、頭を掻いた後で少し背筋を伸ばす。
こういうところが真面目だな。
小屋に微かに隙間風が吹き込み、ファルカスは静かに話し始めた。
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