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2章: 雨の夜―気になる二人 / 第5話
検問所の門前に立つファルカスの視線の先には、森へと駆けていくイージスの姿がある。
ファルカスは、イージスを止めるために持ち上げた腕を仕方がなく下ろした。
「あの、バカ!こんな時間に一人で出るとは……。魔獣に襲われても知らんぞ」
吐き捨てながら、両手を握りこむ。震える肩を抑え込むために。こうしている間にも、夜の帳は東から西へ落ちていく。しかもアイツが向かう先では、黒くて厚い雲も広がり始めているのも見える。気が付くと、呼吸が早くなっていた。
体を丸め息を吐きだすと、漆黒の髪をかき上げる。目を細めるが、見える姿は、ただ小さくなっていくだけだ。
「……くそっ!」
大きく吐き捨てると、馬に駆け寄り、地面を強く蹴った。
「残りの奴らは、念のため調べてから返せ。俺はあいつを追う」
馬上で指示を出すと、飛び出した男の背中を追い、自分もまた飛び出した。
ファルカスには、先を行くイージスの姿だけが映っている。
あの袋は……間違いない。
あの男——イージス=アルギュロスとかいったか。知りたくもなかったが、あの後アルが教えてきた。何が、「兄さん、気になるでしょう?」だ。
ふと、左腰の据わりを確認すると、そこには慣れ親しんだ重みがある。あろうことか、斬られてしまった。よりによって自分の剣で……。
斬ってきた時の、片頬だけを歪めてきた顔がちらつく。
初めて見た時から変な感じはしていた。何なんだ、アイツは。
あっ……。一瞬、馬の動きが微妙に崩れた。
右手だけで手綱を持っていたことに気付き、舌打ちする。左手で柄を握り込んでしまっていたらしい。
そういえば、アイツは丁寧に拭いてから剣を返してきたっていう話だったな。握りこんでいた手を開くと、指が勝手に剣を撫でる。
ザッザッという音とともに、むわっとした土埃が一気に鼻を通る。
——つっ。馬に蹴り上げられた小石が左頬に当たり、左手で軽く頬をさする。何を考えているんだ、俺は。頭を軽く振り、手綱を両手で持ち直すと、再び標的を定めた。
追い続けていると、徐々にイージスの背中が大きくなっていく。声が届いたのか、こちらを振り向きはするも、止まる気配はまるでなかった。
しかし、何度目かの呼びかけの後で、急に馬の速度を落とし始めた——今まで止まろうとしていなかったのに。
手綱を強く握り直すと、一気に距離をつめる。あいつの肩から下がった袋が、しっかりと自分の目に入るまで近づいた。
* * *
検問所を飛び出してきたイージスの両脇では、緑の木々が流れていく。頬にあたる風が、自分の中の熱を下げていくようだ。後ろから聞こえる馬の足音に振り返ると、砂塵の中に揺れる漆黒の髪が目に映る。追ってきているのは、あの副団長だった。あきらめの悪い奴だな。
仕方なく、声が耳に入る距離までベルに速度を落としてもらう。
「止まれ、馬を止めろ!」
声は耳に入ったが、言うことを利かせようとしているのが気に入らない。折角下がった体温も、今はまた元に戻ったかのようだった。
「止めたけりゃ力づくで来いよ」
吐き捨ててやり、前を向き直す。
「聞け!そっちは魔獣が増えているんだ。一人じゃ危ないぞ」
皮肉を返してやったのに、全く諦めようとせずに追いかけてくる。
「分かったから。頼む。止まれ……止まってくれ!」
「——ベル!」
命令じゃ……ない。
明らかに自分の身を案じている声を意外に思い、完全に速度を落とした。左に並んだ副団長が、長く息を吐いたのが分かった。
「何で……はあ……そこまで……今日中に……届けなきゃ……ならない……」
叫び過ぎたのだろう、吐息とともに出す声が、かすれている。
「今日が誕生日なんだと」
イージスが胸元の袋を示し、それだけを短く答えると、少しの沈黙があった。
「——仕方ない……しかし、俺はまだその包みを確かめていない」
副団長の強い口調に軽くため息が漏れる。まだ、言うのかよ。
副団長が大きく息を吸い込んだ。
「——だから、それを検めるまで、俺は付いていく」
じっとこっちの目を見てくる。コイツは、何を言っているんだ。
「はあ!?お前は、帰れよ」
「これは、任務だ。俺の意思ではない」
切れ長の目は涼やかなのに、口は固く結んでいる。勝手にすればいい。黙ってベルの速度を上げると、すぐ後ろに馬の足音が続いた。
自分の左側で、馬上に揺れる漆黒の髪を見とめる。
任務だと言い張っていた割には、「どこへ行くのか」とも「何をしに行くのか」とも訊いてこない。
右側では景色が後ろへ流れていき、風が体温を下げるのに、左側の景色は変わらず、体が熱い気さえする。脈打つ心臓が邪魔だ。久しぶりに人と馬を並べる高揚感だ、多分。ベルも前方にピンと耳を立て、並走を楽しんでいる。
森の中を通る街道を走り、聞いていた特徴の家を見つけた。馬から降りると、副団長も馬から降りて、自分の後を付いてくる。遅い時間の来訪に警戒されたのか、なかなか扉が開かれない。
副団長がこっちの肩を軽く叩き、一歩前に出た。
「遅くにすまない。俺は、黒の団の副団長ファルカスだ」
副団長がのぞき窓にマントの留め具を映すと、黒の団の名前に安心したのか扉が開き始める。副団長が半歩だけこちらに下がった。
二人の下から、扉を両手で支えた小さな女の子が見上げてきた。依頼人とおんなじ栗毛だ。母親らしき女性が上で扉を支えてやっている。
胸元の袋からそっと包みを取り出し、両手で持ち直す。赤い染みが目に入ってくると、眉間が動いてしまった。
縮んでしまった眉が、伸びているかを意識しながら、両手に持ち直して少し屈む。
女の子へ腕を伸ばすと、向こうも小さな手できゅっと包みを掴んできた。
「親父さんからだよ。誕生日おめでとうって。これ……」
女の子に謝ろうとした瞬間、イージスの視界で、漆黒の髪が沈んだ。
「悪い。俺が汚してしまったんだ」
副団長の方が先に、片膝をつき女の子に頭を下げていた。
「これ位良いよ。持ってきてくれてありがとう」
——良かった。自分がほっと吐く息とは別に、足元からも、ほっと吐かれた息が聞こえる。
女の子がきょろきょろ辺りを見渡した。
「お父さんは?」
「仕事で遅れているが必ず帰る」
副団長は膝をついたまま、しっかりと女の子と目線を合わせ約束していた。
子供相手にここまでするとは……。
イージスは足元の副団長に目を落とし、軽く頭を振った。
「その素敵な贈り物、開けてみてくれるかな?」
「うわー」
女の子がごそごそと包みを開くと、人形が出てきた。
「おおー、凄く可愛いな」
女の子へパチパチと拍手を送ると、親指を立て、副団長へ傾けた。
「このおじちゃんも見たがっているから、見せてやってくれないか?」
女の子は、副団長に向かって人形を差し出した。
「はい、どうぞ」
「ああ……」
副団長は、両手で人形を受け取った姿勢のままで呆気にとられている。
思い切り腰を折って、アイツの横から覗き込んでやった。
「かわいい、に・ん・ぎょう・だな?」
「な……」
覗き込まれた方は、こちらへくるっと首を傾けると、目と口を同時に開いた。ちらっとだけ人形を見ると、すぐに女の子へ返す。なにか言いたげにこちらを見上げた顔が、憮然としていた。
元々、包みを検める気なんかなかったくせに……。思わず口元が緩む。
副団長が立ち上がり、母親の方と話を始めた。副団長の説明を静かに聞く母親の後ろでは、人形を持ってパタパタと走り回る女の子が見える。
「もう、遅いですし。泊まっていかれては?」
「折角の申し出だが、申し訳ない。女所帯へ迷惑をかけるわけにはいかない。都市までの道は街灯もある。問題ない」
副団長らしい判断に、こっちも頷く。
女の子は手を振って見送ってくれた。大きく手を振り返す自分の隣で、小さく手を振り返しているのを見逃さなかった。
「任務ね……ご苦労な事で」
「……任務だ」
からかってやると、不愛想に返してきて馬に跨る。少し……不器用なんだな。
街道の脇では、魔石を使った街灯がゆっくりと灯り始め、その明かりだけを頼りに来た道を戻る。静かな森の中では馬の足音と、馬の息遣いが聞こえるだけだ。時折、街灯の近くを通ると、昨夜と同じように漆黒の髪の煌めきが目に入る。
——ん!?
「止まれ!」
イージスが違和感を覚えたのと、叫ばれたのが同時だった。街道の脇から魔獣が姿を現わし、前方を塞ぐ……二頭だ。魔獣は左右に分かれた。
お互い確認するまでもない。魔獣の動きに注視しながら、静かに下馬する。それぞれの馬に合図を送り、馬が距離をとったことを確認する。
夜気に吹かれながら背中合わせになると、じんわりと熱が伝わった。
「俺はこっちを。お前はそっちを頼む。あいつらをやった事があるか?」
「いや」
剣を抜きながら、短く答える。
「そうか、眉間を狙え」
そう言われた瞬間、後ろからザザッと地面を蹴る音が耳に入り、シュッという風を切る音が続く。
あいつの相手の方が大きかった。こちらも剣を構える。
魔獣が飛び込んでくるのを避けながら、眉間に一撃打ち込む。腕に伝わる衝撃を感じると、言われた通り、ドサッと魔獣が地面に倒れた。
あいつの方はどうだ。急ぎ振り向くと、相手が大きい分手こずっていた。剣を鞘に納める間も惜しく走る。魔獣とあいつの間に飛び込み、魔獣を翻弄するのを引き受ける。
——今だ。
声をかける前に、漆黒の髪が飛び込み、重い剣が止めを刺した。こっちの動きをよく見ている。
魔獣を倒した後で、息を整えるために膝をつくと、漆黒の髪が視界に入る。肩で息をしながらも、手を差し出してきた。
「手間を……取らせて……悪かった」
魔獣を倒すのは、自分の仕事というわけだ。差し出された手を掴むと、黒の団への発言に、苦い笑みが浮かぶ。
「いや。俺の方こそ悪かったな」
自分についてこれる奴とやるのは……。それに、先に大きい方を引き受けたあいつは、やっぱり……。
口の端が上がるのを抑えられそうにない。
「お前の剣は一見重そうだが、実際には無駄がなく軽い。どこかで正統な剣を——まずいな」
折角向けてくれた言葉が、遮られてしまった。
ポツリポツリと落ちる水滴に、頭を上げる。あの黒い雲では本格的に降り出すだろう。
「この先の猟師小屋に向かおう」
「ああ、それがいい」
提案された猟師小屋なら知っていた。あそこなら馬も繋げる。激しい雨は、さらに激しい風を呼ぶだろう。
それぞれの馬に跨り、小屋へと急ぐ。
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