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第5話 / 全10話
# 血と灰の果て
## 血と灰の後
黒棘の森での壊滅から三ヶ月。
王国エルドリアの辺境、灰に覆われた街道をロウエンが歩いていた。
擦り切れた革の外套は血と泥にまみれ、かつて輝いた銀狼の牙の紋章は色褪せている。
剣の柄に巻かれた布――双頭の狼の刺繍――だけが、過去の誓いを静かに物語っていた。
ロウエンは生きていた。
だが、それは生きているというより、死に損なっただけだった。
カイル、ガルドリック、セリナ、バルド、ミリア、ゼク――銀狼の牙の仲間たちは黒棘の森で血と炎に沈んだ。
彼らの死体すら見つけられず、ただロウエンだけが森の奥で目を覚ました。
なぜ自分だけが生き残ったのか。
なぜカイルの叫び声が耳に残るのか。
答えはなく、ただ自責の念が胸を抉る。
「カイル…お前はどこだ…」
ロウエンは呟き、剣を握り直した。
仲間が死んだとは信じられなかった。
いや、信じたくなかった。
たとえ一人でも、誰かが生きているかもしれない。
その微かな希望だけが、彼の足を動かしていた。
## 鉄鴉の翼
ロウエンはヴァルクロス近郊の街、グリムフォードにたどり着いた。
ここは鉄華祭で名を馳せた騎士団「鉄鴉の翼」の本拠地だ。
鉄鴉は、機動力と集団戦術に優れた中堅騎士団で、魔獣の襲撃に備え新たな戦士を求めていた。
ロウエンは、かつての英雄の名を捨て、ただの傭兵として門を叩いた。
「銀狼の牙のロウエンだと? 本物か?」
鉄鴉の団長、ヴァルグリッドは、鋭い目でロウエンを見据えた。
40代の痩せた男で、顔には鴉の羽を思わせる黒い刺青が刻まれている。
ロウエンは無言で頷き、剣を見せた。
双頭の狼の刺繍が、かすかにヴァルグリッドの目を引いた。
「英雄の腕なら、うちには宝だ」
鉄鴉の団員たちは、ロウエンの加入に沸いた。
訓練場で彼の剣技を見た若手騎士たちは、目を輝かせて囁き合う。
「本物の英雄だ! あのロウエンが俺たちと戦うなんて!」
「黒棘の森でも生き延びた男だ。魔獣なんて一捻りだろ!」
ロウエンは彼らの歓迎に笑みを浮かべなかった。
仲間たちの笑顔が、訓練場の喧騒に重なる。
バルドの豪快な笑い、セリナの毒舌、ミリアの優しい声――すべてが幻のように消える。
彼の心は、ただ一つに囚われていた。
仲間はどこにいるのか。
カイルはなぜ叫んだのか。
## 規律の軋轢
鉄鴉の任務は、グリムフォード周辺の魔獣討伐と街道の警護だった。
ロウエンは戦場で無類の強さを発揮した。
毒霧を吐く蜘蛛を一撃で斬り、翼を持つ狼を剣で地面に叩き落とす。
その戦いぶりは、鉄鴉の団員たちを圧倒し、敵を震え上がらせた。
だが、ロウエンは任務の合間に、仲間たちの行方を追った。
街の酒場で噂を聞き、衛兵に問い詰め、旅人に尋ねた。
「黒棘の森で生き残った騎士を見たか?」「銀狼の牙の名を知っているか?」
答えはいつも同じだった。
「誰も生きてねえよ」「あの森は地獄だ」
ロウエンの行動は、次第に鉄鴉の規律を乱すようになった。
任務中に勝手に街へ戻り、情報収集に時間を費やす。
隊列を無視し、単独で魔獣の巣へ突入する。
団員たちの不満が募った。
「英雄だかなんだか知らねえが、任務をサボる奴は仲間じゃねえ!」
「仲間の命を預かる気がないなら、さっさと出てけ!」
ヴァルグリッドはロウエンを呼び、静かに告げた。
「ロウエン、お前の剣は確かに強い。だが、騎士団は一人で戦う場じゃねえ。お前の心はここにねえよ」
ロウエンはヴァルグリッドを見つめ、呟いた。
「…ああ、そうだな。俺の心はここにねえんだ」
ヴァルグリッドはため息をつき、団章を剥奪した。
「出てけ、ロウエン。鉄鴉に幽霊はいらねえ」
ロウエンは無言で訓練場を去った。
背後で若手騎士の囁きが響く。
「英雄も落ちぶれちまえば、ただの狂犬だな…」
## 孤狼の追跡
ロウエンは一人、グリムフォードの街で仲間を探し続けた。
酒場で噂を聞き、市場で旅人に尋ね、路地裏でゴロツキを締め上げた。
「黒棘の森で騎士を見たか?」「カイルって名を聞いたことはねえか?」
ある夜、酒場の裏でゴロツキの集団を半殺しにした。
情報屋を自称する男が、銀狼の牙の生き残りを見たと嘘をついたのだ。
ロウエンの剣が男の肩を切り裂き、血が石畳を染めた。
「嘘をつくなら、舌を切り落とすぞ」
男は泣き叫び、許しを乞うた。
だが、ロウエンの目には、かつての英雄の面影はなかった。
ただ、鬼神のような男が、そこに立っていた。
街の人々はロウエンを避けるようになった。
市場の女は彼を見ると顔を背け、子供たちは「狂った剣士が来た!」と逃げ出した。
衛兵すら、彼に近づくのをためらった。
「英雄だった男が、街の厄介者に成り下がった」と囁かれ、ロウエンの名は泥にまみれた。
「カイル…セリナ…誰でもいい…生きててくれ…」
ロウエンは夜の街を彷徨い、剣を握りながら呟いた。
双頭の狼の刺繍が、月光に鈍く光る。
だが、その光は、闇に飲み込まれる寸前だった。
## 恐れられた救い
ある日、ロウエンはグリムフォードの外、荒れ果てた街道で旅人の一行に出会った。
馬車を囲む魔獣――毒を吐く大蛇と双頭の熊――が襲いかかっていた。
旅人たちは悲鳴を上げ、荷物を捨てて逃げ惑う。
ロウエンは無言で剣を抜いた。
大蛇の牙が振り下ろされる瞬間、剣が閃き、首を刎ねる。
熊が咆哮し、爪を振り上げるが、ロウエンの刃がその腕を両断。
血と肉が飛び散り、魔獣は瞬く間に息絶えた。
馬車のそばで震える旅人――老いた商人とその家族――が、ロウエンを見上げた。
だが、彼らの目は感謝ではなく、恐怖に満ちていた。
「ひっ…近づくな! お前、血まみれの化け物だ!」
老商人が叫び、娘が泣きながら馬車に隠れる。
ロウエンは剣を下ろし、虚ろな目で彼らを見つめた。
血に濡れた外套、傷だらけの顔、まるで魔獣のような姿。
彼自身が、恐れられる存在になっていた。
「…助けただけだ」
ロウエンは呟き、背を向けた。
旅人たちは馬車を急がせ、彼の姿が視界から消えるまで振り返らなかった。
街道に残されたのは、魔獣の死体と、ロウエンの孤独な足跡だけだった。
## 奈落の淵
グリムフォードの街を離れ、ロウエンは黒棘の森の周辺を彷徨った。
森の焼け跡、血の匂い、折れた剣の欠片――すべてがあの夜の地獄を思い出させた。
彼は森の奥で膝をつき、剣を地面に突き立てた。
「カイル…ガルドリック…ミリア…誰か…答えてくれ…」
だが、答えは風の音だけだった。
仲間たちの行方は、まるで闇に溶けたように掴めない。
ロウエンの心は、希望と絶望の間で砕けそうだった。
彼に味方する者は誰もいなかった。
鉄鴉の騎士たちは彼を拒み、街の民は彼を疎み、旅人すら彼を恐れた。
双頭の狼の誓いは、ただの呪いのように心を縛る。
遠くの空が赤く染まり、魔獣の咆哮が響く。
ゼルガドンの影が、世界を覆い始めていた。
ロウエンは剣を握り、森の奥へ歩みを進めた。
一人、蛍火のように。
(続く)
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