読み込み中...
読み込み中...
第6話 / 全10話
# 錆びた魂
## 灰の果て
黒棘の森の戦いから十年。
王国エルドリアの辺境、煤けた街グリムフォードの外れにある酒場「黒い蹄」。
薄暗い店内に、ロウエンの姿があった。
無精ひげに覆われた顔、血と泥にまみれた革の外套、そして光を飲み込むような昏い目。
かつて王国を救った英雄は、今や酒瓶を握る亡魂にすぎなかった。
ロウエンは酒を煽り、記憶を溺れさせた。
カイルの叫び声、ガルドリックの咆哮、セリナの毒舌、バルドの笑い、ミリアの涙、ゼクの静かな眼差し――銀狼の牙の仲間たちは、黒棘の森で血と炎に消えた。
彼らの行方を追い、街を彷徨い、ゴロツキを半殺しにした日々。
だが、どんなに探しても、仲間は見つからなかった。
希望は砕け、誓いは呪いに変わった。
「もう…いい…」
ロウエンは呟き、剣の柄に巻かれた布を握った。
双頭の狼の刺繍は、擦り切れて色褪せ、まるで彼の魂を映すようだった。
カイルは死んだ。ガルドリックも、セリナも、皆死んだ。
そう思い込むことで、心の傷を塞ごうとした。
だが、傷は癒えるどころか、腐り続けていた。
## 悪夢の残響
夜が更けるたび、ロウエンは黒棘の森の悪夢に苛まれた。
目を閉じると、血と炎の戦場が蘇る。
巨狼の咆哮、仲間たちの断末魔、要石の崩れる音。
カイルが魔獣の群れに飲み込まれ、剣を振りながら叫ぶ姿。
「ロウエン、行け! お前ならできる!」
その声が、ロウエンを夜毎に叩き起こした。
酒場の粗末なベッドで飛び起き、汗と酒の匂いにまみれる。
胸を押さえ、息を荒げながら、昏い目で闇を見つめる。
「カイル…なぜ俺を置いていった…」
ロウエンは酒瓶を床に叩きつけ、ガラスが砕ける音に身を縮めた。
悪夢は彼を離さず、過去は彼を縛った。
生きていること自体が、罰のように感じられた。
## 虚無の刃
ロウエンは日銭を稼ぐため、魔獣討伐の仕事を請け負った。
グリムフォード周辺の森や荒野で、毒を吐く大蛇、双頭の熊、翼を持つ狼を斬り倒した。
剣技は錆びず、むしろ十年の孤独がそれを研ぎ澄ました。
だが、彼の戦いには目的がなかった。
金も、名誉も、生きる意味も、どうでもよかった。
ある日、街道で魔獣の群れに襲われた商人の護衛を請け負った。
大蛇が馬車を包囲し、商人が悲鳴を上げる。
ロウエンは無言で剣を抜き、蛇の首を刎ね、血を浴びながら次々と敵を屠った。
戦いは数分で終わり、地面は血と肉の海と化した。
商人は震えながら金貨を差し出した。
「命の恩人だ! ありがとう、剣士!」
ロウエンは金を受け取らず、背を向けた。
昏い目には、感謝も憎しみも映らない。
ただ、虚無だけがあった。
「どうせ…また生きちまった…」
彼は呟き、剣を鞘に収めた。
## 死に場所の彷徨
ロウエンは死にたかった。
すべてを終わらせ、悪夢から解放されたかった。
黒棘の森での罪――仲間を見殺しにした自責――を、死で清算したかった。
彼は死に場所を求めて彷徨った。
魔獣の巣へ単身で飛び込み、数の圧倒する敵に立ち向かった。
ある夜、グリムフォード北の「亡魂の谷」で、魔獣の群れと対峙した。
数十の翼を持つ狼が空を覆い、毒霧を吐く蜘蛛が地面を這う。
ロウエンは剣を握り、ただ突進した。
「来い、化け物ども…俺を殺してみろ…!」
剣が唸り、血と肉が舞った。
狼の翼を切り裂き、蜘蛛の脚を両断し、毒霧を突き抜ける。
傷が増え、血が流れ、骨が軋む。
だが、戦士の本能が彼を裏切った。
剣は止まらず、敵を屠り続けた。
魔獣の群れは全滅し、ロウエンは血だまりの中で立ち尽くした。
「ハハ…また…生きちまった…」
彼は膝をつき、剣を地面に突き立てた。
死ぬことすら許されない。
まるで、双頭の狼の誓いが、彼をこの世に縛り付けているかのようだった。
## 亡魂の戦士
ロウエンの戦いは、グリムフォードで噂になった。
「血まみれの剣士」「死を恐れぬ亡魂」と呼ばれ、街の民は彼を避けた。
酒場の客は彼に近づかず、衛兵は彼を監視し、子供たちは彼を「赤い目の魔物」と恐れた。
ロウエンの姿は、まるで心を失った亡魂そのものだった。
ある夜、酒場で傭兵がロウエンに絡んだ。
「英雄様よ、落ちぶれちまって哀れだな! 銀狼の牙の名も、今じゃゴミみてえだ!」
ロウエンは昏い目で傭兵を見据えた。
次の瞬間、剣が閃き、傭兵の腕が床に転がった。
悲鳴が酒場を切り裂き、客たちが逃げ出す。
ロウエンは剣を鞘に収め、酒瓶を手に席に戻った。
「英雄なんて…ただの嘘だ」
## 赤い空の呼び声
十年目、赤い空がエルドリアを覆った。
ゼルガドンの復活が囁かれ、灰燼の街にも恐怖が広がった。
酒場の客たちが怯え、祈り、逃げ惑う中、ロウエンは杯を傾け、目を閉じた。
「俺には関係ない」
だが、赤い空は黒棘の森の血の色を思い出させた。
カイルの声、仲間の笑顔、双頭の狼の誓い。
胸の奥で、微かな炎がくすぶる。
「ハッ…馬鹿らしい…」
ロウエンは立ち上がり、錆びた剣を手に、ふらりと酒場を出た。
誰かに頼まれたわけではない。
感謝されたいわけでもなかった。
ただ、過去の亡魂が、彼の足を動かした。
彼はゼルガドンの砦へ向かった。
傷だらけの鎧、重い足取り、昏い目。
かつての英雄の面影はどこにもない。
ただ、戦士の魂の残滓が、彼を戦場へと導いた。
(続く)
この話はいかがでしたか?
この作品を評価する