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第32話 / 全32話
朝。目を覚ました私は、しばらくぼーっとしていた。昨夜、カーテンをしっかり閉めていなかったようで、隙間から漏れる光で部屋の中がすっかり照らされていた。
ゆっくりと顔を横に向けると、やっくんが隣で眠っていた。安心しきった安らかな顔で、規則正しい寝息を立てている。
私は手を伸ばして、ふわふわの頭をそっと撫でた。
(……かわいい頭)
そのまま、するりと手を滑らせる。ふと、ふわふわの髪の毛からのぞく尖った耳が視界に入る。ほんの少し欠けてしまった、耳の先端。見たら、胸がチクリとした。
(どうして、こんなになるまで)
……でも、帰ってきてくれて、今ここにいる。そう思ったら、少しだけほっとした。
正直、このままここで寝ていたかった。このままやっくんの寝顔を眺め続けられたらどんなによかったか。でも残念なことに、今日も普通に日勤だ。しかも、もう準備しないと間に合わない時間になっていた。私はやっくんを起こさないようにそっと体を起こして、ベッドから足を下ろす。それから、遮光カーテンをしっかり閉めてあげた。扉の前で一度だけ後ろを振り返って、寝ている姿を視界に収めた後、部屋を出た。
『やっくん失踪事件』の後、少し変わったことがある。ひとつは、家で過ごすときのやっくんの位置だ。それまでのやっくんは、戸棚の上やソファーの肘掛けの上で過ごすことが多かった。けれど帰ってきた後は、私の隣に座ってくれるようになった。私が側に寄ると、やっくんからもこちらに来てくれる。それがなんだか嬉しくて、ついわざともたれ掛かったり、頭を撫で回したりしてしまう。そんな触れ合いが、いつの間にか日常になった。
それから、私が眠るときの流れも少し変わった。私が眠るとき、やっくんも必ず側に来てくれるのだ。ただし、やっくんは夜行性なので、一緒に寝ることはない。私が眠った後に起き出して家事を終わらせ、朝方にはクローゼットの大型犬用のベッドで眠っている。ベッドで寝てもいいよと言ったんだけど、広い空間は落ち着かなくて寝にくいらしい。
その日も、私はソファーでやっくんとじゃれていた。近づいて頭を撫で回し、思いっきり可愛がる。
(あー! 今日もかわいいな!)
心の中で叫ぶ。やっくんはかわいい。だけどやっくんは言うなって言うから、最近の私は心の中で叫ぶだけにしていた。本当は声高に叫びたい。でも我慢、我慢だ。
何も言わずに撫で回していると、やっくんがちらりとこちらを伺うように見てくる。
「千春。……最近……言わないな……?」
「え?」
「その……『かわいい』と」
「え!? 嫌なんじゃなかったの!?」
「……嫌なのではない。ただ、その……少し恥ずかしいだけだ」
やっくんはそう言うと、頬を赤く染めながら本当に恥ずかしそうに目を逸らした。
……は? つまり、恥ずかしいけど言ってほしいってこと……?
――無理。
私はやっくんに飛びついて叫んだ。
「今日もかわいいね! 昨日もかわいかった! 明日もかわいいよ私が保証する!」
「うわっ! 千春、ちょっと待て」
「待てないー! もうかわいすぎて無理ー!」
ぎゅうぎゅうに抱きしめて堪能していると、抱きしめる腕にかすかに痛みが走った。
「いたっ」
思わず体を離す。私の腕をつかむやっくんの指先に、ほんの少しだけ鋭い爪が覗いていた。次の瞬間、突然視界が暗転する。――何か、頭に被せられた。これは……やっくんの羽衣か。
「少し黙っておれ」
私は笑いながら被せられた布を顔から除ける。
「もしかして照れちゃった? かわいいー」
「聞いておらぬ!」
それから数日後、私は西陣記念病院の休憩室で美咲と談笑していた。
「……そういえば、また合コン誘われてるんやけど、千春も来るんやろ?」
私は弁当のおかずを一口食べ、飲み込んでから口を開く。
「私はいいや。悪いけど、他の人誘ってー」
「え!? もしかして、他所で彼氏できたんかいな?」
「いや、全然だよ。それより、うちの蝙蝠がかわいくてさー」
「蝙蝠?」
「うん。バナナが好きで、あげたらすごい嬉しそうな顔で食べるんだ」
美咲は私の顔をまじまじと見つめた後、ぽつりと言った。
「……独身でペット飼うと婚期が逃げるって聞いたことあるけど、千春もそのパターンやったか」
「あはは。聞こえなーい」
今日も家に帰れば、やっくんがいる。
それだけでいい。
完
◆ ◆ ◆
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――この先も、千春とやっくんの日々は続いていきます。
続編では、二人で旅行に出かけたり、新しい怪異に出会ったり、ちょっと変わった人間と関わったり。
まだまだ書きたい話があります。
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