読み込み中...
読み込み中...
第19章 城下町 / 第251話
昨日は楽しかったな、と物思いに耽りながら、テーブルに鎮座しているぬいぐるみの額を指で軽くつついてみる。クラウの楽しそうな笑顔、驚いた表情、怒りに震える口、悲しみに沈む瞳――そのどれもが私の宝物で、二度と味わうことは出来ない貴重な経験の産物だ。
スティアに帰りついた時には、鞄やスマホは手元からなくなっていた。その代わりなのか、ぬいぐるみだけは私とクラウの手から離れることはなかった。今頃、この子の相方はサファイアで微笑んでいるのだろう。そう思うだけで心が温まる。
ぬいぐるみの隣には、クラウの無事が確認出来る氷のラナンキュラスが花瓶に生けてある。一度は解けかけた花びらも、今はその造形美を湛えている。
「ミユ様、オズ陛下からの依頼です。ミユ様の口から、この世界から魔導師がいなくなることを国民に通達して欲しい、と」
アリアはかしこまると、真顔を私に向けた。
「言えるかなぁ……。緊張しそう」
「それはオズ陛下も承知の上です」
国王の依頼を放り投げる訳にもいかない。唸り声を上げた後、出来るだけのことはしてみようと小さく頷いた。
「では、行きましょうか。ミユ様が守ってきた、エメラルドのありのままを見てください」
「うん」
今一度、テーブルに置いてあるぬいぐるみとラナンキュラスにちらりと目を遣り、クラウにするように微笑んでみせた。気持ちを切り替え、魔法陣を踏む。緑の光が魔法陣から溢れ、スカートが、髪がふわりと持ち上がる。
降り立った場所は、どうやら広場のようだ。前方には男性の等身大の銅像が置かれ、それを取り囲むようにチューリップの花壇が広がっている。
「ミユ様、振り返ってください」
「えっ?」
アリアに言われるがまま、くるりと身を翻す。そこには笑顔で佇む群衆があった。私の顔を見るや否や、歓声が沸き起こり、フラワーシャワーが舞う。何が何だか分からない。呆気に取られて、隣で微笑むアリアを見詰めてみる。
「オズ陛下が号外を撒き散らしたのです。今日、地の魔導師が城下町の観光にやって来る、と」
「え~っ!?」
なんてことをしてくれたのだろう。私はいつも通りに生活をする、何気ないエメラルドの人たちの息吹を感じたかっただけなのに。溜め息を吐いてしまいたくなったけれど、そんなことをすればエメラルドの人たちをがっかりさせかねない。ぐっと堪え、拳を握る。深呼吸をした後、作り笑いを浮かべて民衆に手を振った。刹那、歓声が二倍ほど大きくなる。これで良かっただろうか。
「魔導師様、どこからご覧になりますか?」
「やっぱり、貴族様の屋敷、ですよね」
群衆に問われたものの、そこまで考えていなかった。何しろ、城下町はカノンの記憶の中でしか見たことがないのだ。何があるのかすら分からない。
眉間にしわを寄せながら考えていると、アリアがヒントを与えてくれた。
「ミユ様が今日の見学で、一番楽しみにしていたものは何ですか?」
「う~ん……」
生活を見てみたい。国民の笑顔を確かめたい。日本との違いを見つけたい。その中で一番気になったのは『食』だった。
「庶民の味を知りたいの。みんなが使う喫茶店のケーキを食べてみたい」
きっと、エメラルドのシェフが作るものとは違う、素朴で優しい味がするのだろう。
「では、先に喫茶店へ行きましょうか」
「申し訳ございません!」
アリアの声を遮るかのように、女性の声が群衆の中から響いた。
「魔導師様がいらっしゃるので、店をお休みにしてしまって……ケーキが焼けていないんです」
オズのせいだ。真っ先に思ったのはそれだった。紳士な笑顔の彼が脳裏に浮かぶ。号外なんて撒かなければ、ケーキも食べられただろうに。
「そんなぁ……」
「では、今から焼くことは出来ますか?」
「はい。果物さえ集められれば、材料はあります。一時間ほどかかってしまいますが」
一時間なんて、町の中を見ていればあっという間だ。全く構わない。食べられずに後悔はしたくない。
「お願いしても良い?」
「はい、勿論です!」
女性は飛び切りの笑顔を見せ、こちらに背を向けると群衆の奥へと消えた。
「ケーキを作るには、果物が足りないって言ってたよな。俺たちも店開けねぇと!」
「そうだよ! 急ごう!」
群衆は一斉に四方へ散っていく。
「何もしなくても、みなさん日常に戻っていかれましたね」
「うん、良かった~。私が見たいもの、全部見られるかな」
「時間が許す限り、やってみましょう」
「うん! ありがとう」
アリアがいてくれるだけで、物事が上手く進む気がする。ありがたいな、とアリアの頭をそっと撫でてみた。彼女は気持ち良さそうにする風でもなく、微笑んだまま小首を傾げるだけだった。ただの自己満足なので、理由を説明することもないだろう。
「大通りを歩いてみましょうか」
「きっと可愛いんだろうなぁ」
震災前に見た、木組みに白の漆喰が使用された家々が立ち並んでいる、さながらドイツのような風景にまた会えるだろうか。その期待は徐々に崩れていった。
倒壊を免れた建物はごく僅かで、ほとんどが半壊、全壊している民家もあるくらいだ。あの地震は、日本で私も体験したことがないような強い揺れだった。エメラルドは地震が多い地域だと聞いたこともないので、耐震設計はされていなかっただろう。
この話はいかがでしたか?
この作品を評価する