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第25章 世界 / 第274話
そして、辿り着いたのは玉座の間の前だろうか。大きな白い扉の前には衛兵が控えている。両脇には特別大きな三つの氷像が鎮座し、私たちを見下ろす。
「今年は薔薇にしたんだ……」
クラウは一つの氷像の前で呟き、氷の花へと手を伸ばす。
「それがクラウのご実家の?」
「あっ。うん、そうだよ」
後ろから追いついたフレアとアレクに、クラウは儚く微笑んでみせる。
私も横からプレートを覗き込んだ。『ルーゼンベルク公爵家 貴方に微笑む希望』と記してある。
「希望、かぁ」
私の隣に立つこの人が家族の希望なのだろうな、と思う。
「クラウをイメージしたんじゃないかなぁ」
「えっ? 俺?」
あからさまに驚くクラウに、何度か頷いてみせる。
「そんな訳ないよ。何か月も前に氷像の案は決まるし、その時は俺が帰るなんて家族は知らないし――」
「きっと、身体は離れてても心は繋がってるって信じてたんだよ」
無邪気に笑う息子の顔を忘れる家族なんて、この世界にはいない。私もそう信じたい。
クラウは薔薇色に頬を染め、伏せた目を潤ませるのだった。
* * *
アラブの国のような建物やヤシの木、それにオアシスの青い湖面を見た後、こうして私たちはプールにいる。ウォータースライダーに乗ってはしゃぎまわるアレクとフレアとは対照的に、私とクラウは浮き輪に掴まってぷかぷかと浮かんでいる。
「ミユ、俺たちも滑ろう?」
「……怖い」
ジェットコースターだって怖いのだ。ウォータースライダーだって怖いに決まっている。強引に決めつけ、口をへの字に曲げた。
「じゃあ、俺一人で行ってこようかな」
「私を置いてくの?」
「嫌ならおいでよ」
苦笑いするクラウの腕を掴み、頬を膨らませてみる。ところが、クラウはそのままウォータースライダーに向かい始めたのだ。私の身体も引きずられていく。
「い~や~!」
「なんで駄々っ子みたいになってるのさ」
滑りたい訳ではない。でも、置いていかれるのは嫌だ。相反する気持ちがせめぎ合い、何故か腕を掴む力は強くなる。
「ミユ、楽しいぞ、コレ!」
「もう一回滑ろう?」
「一回じゃなくて、何回もな!」
私の心をかき乱すように、アレクとフレアは笑顔を振りまきながらウォータースライダーへの階段を上っていく。嫌がらせとしか思えない。
ウォータースライダーがあると事前に知っておきながら、何故、こんな事態に陥ると考えなかったのだろう。こうなったら自棄だ。
「楽しくなかったら怒るんだから」
「もう怒ってるじゃん」
腕を放し、プールから上がるクラウを追いかける。通路を通り、階段を上っていく。鼻歌を歌いながら、彼は何を思っているのだろう。
途中でアレクとフレアが歓声を上げながらウォータースライダーを滑り降りていった。
「もう少しで頂上だよ」
「……うん」
頂上に着かなければ良いのに。愚痴をこぼしたくなったけれど、もう遅い。
ぽっかりと開いたトンネルは私たちを食べてしまいそうだ。二人が乗るには十分な浮き輪を置き、クラウはそこにドンと腰掛ける。
「ほら、ミユも乗って」
「う、うん……」
クラウが何度か浮き輪を叩くので、そこにそっと座った。
「行くよ?」
返事をしないまま、浮き輪は滑走を始めた。右に左に揺さぶられ、悲鳴が漏れる。浮き輪とクラウにしがみつき、なんとか堪えた。
あっという間にプールに着水し、顔に水がかかる。
「鼻に水が入ったぁ」
痛む鼻の奥を気にしながら、何度か鼻で息を吐く。
「楽しかったじゃん?」
「うん」
この高揚感は何だろう。怖い筈なのに、楽しいとも思っている自分がいる。ドキドキワクワクが止まらない。
「もう一回滑る?」
「滑る」
まさか、即答するとは自分でも思わなかった。両手でクラウの片手を取り、また長い階段へと進んだ。
「この黄色い花、可愛いよね」
これまた何故か、全員に用意されたお揃いのハイビスカスの水着にクラウは目を遣る。
「このお花、ハイビスカスって言うんだよ~」
「ミユも見たことある?」
「ううん、まだないの」
ハイビスカスを北海道で目にするのは稀だ。エメラルドにも咲いていない。首を横に振ると、クラウは「そっか」と呟いた。
「いつか、この目で見てみたいな」
その青い瞳はただ未来を見詰めているようで、私を捉えているのだろうかと心配になってしまった。視線の先にちょこっとだけ割り込んでみる。
「ミユ?」
クラウが笑ってくれたので、私もただ笑顔を返した。
* * *
楽しい時間はあっという間に終わってしまった。夕食も腹いっぱいに食べ、自室のソファーに座る。
目が重たくなってきてはいるけれど、まだ眠ってはいけない。今日中に刺繍を終わらせたいのだ。明日になれば、いつ別れの時がやってくるのか分からないのだから。
刺繍道具一式をテーブルに並べ、針を生地に刺していく。花びらはこれで終わりだ。後は葉っぱのみ――。
うつらうつらと瞬きをしながら、ひと針ひと針を大事にする。縫い直しをしている時間はない。頑張れ、私。自身を鼓舞しながら、並行に糸を縫い進めるサテンステッチを施していく。
夜は静かに更けていった。
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