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第1章 / 第2話
風呂から上がるとシンジは自室に上がる。窓からは春の月灯りがさしていた。時雨町にある普通のサラリーマンの父と、弁当屋でアルバイトをしている母、そしてうるさい妹。シンジは勉強机の上にパソコンを広げて、検索ワードに『ビーチベースボール』と打ってみた。
青い海の画像が広がる。それによると大体のルールが分かった。温暖化対策として始まったとか、その辺は飛ばすとして。七回制、場所はビーチベースボールなので、もちろん砂浜。攻守の際には特殊な専用ボール『アクアボール』を使うらしい。アクアボールは特殊な作りで、軽い素材でできているため、女子でも男子並みの速球が投げられるとか。更にスクロールしてみた。
寝巻き姿のままパソコンを操作する。
水着で行うこと、またアクアボールは、水着に当たると破壊される。はあ?シンジがスクロールした先には、グラビアアイドルが際どい水着で,「ようこそBBBへ」と吹き出しに書いてある、不謹慎極まりないページが堂々と記載されていた。
「やっほーお兄!うわー風呂から出ていきなりエロサイトとか流石にひくわー」
勢いよくドアを開けて妹の楓が、現れた。そして、ニヤニヤしながら、茶髪に染めた後ろ姿で階段を降りていく。
「お母さーんおとうー今日のお兄のエロサイトの子、巨乳だよー」
やられた。今後一週間はこのネタで擦られる。最悪だ。
慌てて梨央奈が押しつけて行ったバッグを勉強机の下に隠す。
◇
朝起きて高校へ向かう。シンジの家からバス停を五駅ほど過ぎたところに,時雨高校はある。普通科の普通の高校。
何気なく校門の前を過ぎると、時計があり、まだまだ朝の会まで時間があった。
体育館裏に足を伸ばす。春の風と、花粉症でくしゃみが出た。
体育館裏につながる、裏道を歩いていると、何か変な音がした。
「ブンッ」
「ブンッ」
風を切る音が響いている。シンジは紙袋を手に持ったまま顔だけを出してみた。
長い髪の女の子。天須梨央奈がいた。バットを寝かせてから小刻みに足を動かす。そして
「ブンッ」
と音がする。あのスイング。見ただけでわかる。これは簡単に身につけられる振り方じゃない。何千、何万回もバットを振り続けたスイングだ。梨央奈の腕には,真っ赤になるくらいの血豆ができていた。そういえば昨日はそんなとこには気づかなかったっけ。
「だめ!もっと」
そういうと梨央奈は,もう一度バットを振る。近くに制服が畳んであり、体操着は、汗でびっしょりだ。
シンジは、梨央奈に背を向けると体育館裏を後にした。
◇
「BBBの監督になって。」
差し出された手を遮って座る。朝の教室。晴れやかな春の日差しが心地いい。
天須梨央奈は,少し俯いてから、シンジに向かってさっきのセリフを言った後に手を伸ばしてきた。
「冗談じゃねえ。俺はやらねえ」
シンジは座りながらもため息をつく。
「やりなさいよっ」
唇を曲げて睨みつけてきた。教室の視線がシンジに集まる。
「無理!」
そう言って窓を見上げた時、担任が入って来て、授業が始まった。助かった。シンジは薄ら笑いを浮かべた。だが、机の下にはまだ紙袋の中にある梨央奈のカバンがあることを思い出すと、またため息をついてしまう。
教科書や服が入っているかもしれない。早く返したいけど授業が始まってしまう。
1時間目の授業は国語だった。担当は,嫌なやつで有名な柴崎だ。50代で独身らしい柴崎は,ターゲットを見つけるとハイエナみたいに追い詰めることから、『ハイエナ柴崎』と呼ばれている。
「じゃあ20ページを読め。ええと天須。」
嫌な予感が当たる。柴崎は,いやらしい目で梨央奈を見ながら教科書を出すのを催促した。
「ん?どうしたのかな?天須?まさか二年生最初の授業で忘れものか?」
梨央奈は,慌てた様子もなく、席から立った。堂々としている。
「はい。忘れました。申し訳ありません」
綺麗な角度でお辞儀をする。その態度が余計に柴崎を怒らせたのか、柴崎はニヤニヤ笑いたいのを我慢してると言ったような顔で問い詰める。
「ん?忘れた?あれみんなは一生懸命授業を受けてるのに,準備もしてないってことだよな。天須?どうなんだ?」
舌なめずりをしたように見える。梨央奈は毅然としてる。だけどシンジには分かった。梨央奈の耳が真っ赤になって肩が震えている。
周りは柴崎に対して毅然と振る舞う梨央奈を応援しながらも、状況を見守ると言った感じみたいだ。
「すみません。先生。実は俺が忘れてて天須さんは貸してくれてただけなんです。」
シンジはいつのまにか紙袋を開いて梨央奈のカバンを出す。
流石にカバンを開けて、教科書を出すわけにはいかない。
「なあにぃ?城か。貴様。あとで職員室に来い」
柴崎が舌打ちをして叫んだ。
教室内は静まり返ってしまった。
授業が無事に終わって、シンジは職員室から出る。柴崎の嫌味は相変わらずだったけど適当に交わして誤魔化した。適当に謝れば大した相手ではない。梨央奈のやつなんであんなに強がってんだよ。
昇降口に差し掛かった時、誰かが靴箱を背にして立っていた。
天須梨央奈だった。
長い髪を弄りながら、口を窄めてどこかを見ている。シンジは無視しようとする。
「待って」
梨央奈に呼び止められた。シンジは振り向く。天須梨央奈は,カバンを持ったまま、目を合わせようとしてすぐ逸らす。
「天須さん。大丈夫だから。それじゃ」
制服に重みを感じた。梨央奈が制服の裾を引っ張っている。
「待って!勝負して。もし!もし!私が勝ったら言うこと聞くとかっ」
シンジは振り返りながら梨央奈を見つめた。
「違って。違うの。あっありがとうっていいたいけどなんかよく分かんなくて!お礼したいから勝負してあげる!」
顔を近づけて訴える梨央奈。シンジの胸に柔らかいものが当たる。弾力があって圧倒的なそれの感触にシンジはたじろいだ。
「キャッ違うの!だから野球やりたいだけで、今のはノーカン。」
そう言う梨央奈の顔には涙がつたっていて……。
「分かったよ。勝負だけはしてやる。けど監督にはならねえから」
こうして勝負が始まってしまった。シンジとその前を走る梨央奈。梨央奈はバッグを開けると、中には,透明なガラス玉のような球が入っていた。水色の液体が中に満たされている。
「それは?」
「何ってアクアボールよ。」
そう言って体育館裏までやって来た。
「一打席勝負ね。もし私が勝ったら言うことを聞く。もしあなたが勝ったらなんでも聞いてあげる」
そう言って、芝生にピッチングをする為の線を引く。
「バット持ってる?」
シンジは首を横に振る。
「ちょっと待ってて」
梨央奈は、勢いよく校舎側の方へ背を向けて走っていってしまった。
梨央奈のやつ遅い。何やってるんだ。
「ごめん」
やって来た梨央奈は,体操着姿に着替えていた。赤と白の組み合わせに半袖のやつだ。胸の辺りが膨らんで嫌にもさっきの感触を思い出す。
「いいから始めるぞ。」
バットを持つ。意外に軽いバットだ。多分金属製だけど、今まで使ってきたものとは違う素材で出来ている。
二、三回素振りしてみた。
「シンジ!俺はいつか甲子園でお前と戦う。」
レイジ……。真木村レイジと一緒に,練習していた時や,後にライバルになって戦った事。色々思い出が蘇る。
体が熱くなっていく。
「早くしろよ。」
シンジは梨央奈に言われるまま,体育館裏の壁を背にする。キャッチャーがいないので壁をその代わりにするみたいだ。
梨央奈は水色の球を持つと、腕を振って投球モーションに入った。
「パシッ」
壁にボールがぶつかる。一球目はストライクだった。
シンジは見逃した。
スリークォーターから、ややサイド気味のフォーム。そこから、見たことのない軌道。
球が手元で風を切るようにピュッと音を出す。
シンジは腕に力を込める。面白い。撃ち抜いてやる。
「行くわよ」
梨央奈は,また足をあげて、右手からボールを放つ。
「パシッ」
捉えたと思った打球がフラフラと上がり、後ろの草むらに消えていく。
「フッ」
梨央奈は笑ったのが見えた。
「今のはファールだ。ノーカン」
梨央奈はちょっと嬉しそうに、うなづく。
3球目。梨央奈から放たれたボールは,右打者のシンジにぶつかる勢いで向かって来た。
デッドボール。シンジは避けようと右側に跳ぶ。
ボールは,そこからグルンと曲がり,そのままアウトコースギリギリに決まった。
「なっなんだよ。今の」
尻餅をつくシンジ。
「ふふふ。スライダー。見たことないかしら?」
ニヤニヤ笑う梨央奈。
おかしいだろ。あんな風に曲がるスライダー見たことな……。いやビーチベースボールの軽いアクアボールなら,普通より、変化球が曲がったとしてもおかしくない。
「私の勝ち?言うこと聞いて」
「待ってくれ。もう一打席頼む。」
シンジはバットを持って,軽く素振りをした。
「いいわよ」
梨央奈は,にっこり笑う。あいつこんな風に笑う事もできるんだな。
スライダーの風や変化を読み取る。
そして梨央奈のフォームに合わせて、思い切り振る。
打球音がして,球は後ろの壁にライナーで,突き刺さる。
「当てるなんて。」
梨央奈は,驚いたような顔でこっちを見た。
次で決める。放たれたボールに向かいバットを出した。
バットはボールから遅れて,空ぶっていた。
速い。梨央奈のやつ。まだ本気じゃなかったのかよ。多分、130後半は出てるんじゃないか?しかもボールが揺れてムービングボールのように変化してくる。
結局本気の梨央奈のボールには掠りもしなかった。
シンジは,バットを持つ。体が熱くなっているのを感じていた。野球を楽しんでる?違う。これはただのお遊び。
いや,梨央奈のあの球はお遊びなんかでできるボールじゃねえ。
シンジは梨央奈を見つめた。
「どう?ってえっとどうしたのっえ?ふふふ。へへ」
例の変な笑い方で引き攣った笑いを見せる。
「監督って言っても俺は素人だ。何もわからないし、何か教えてやれることなんてないけどいいのか?」
しばらく沈黙が流れた。梨央奈は,引き攣った笑いを浮かべていたが、意味がわかったのかたちまち、笑顔になる。
「ほんと!やったぁ。大丈夫よ。私がサポートするし、絶対後悔させないから」
そう言って思い切り手を掴んできた。
温かくて、少し汗で濡れた梨央奈の両手はとても柔らかくて……。だけどそれよりも梨央奈の思いっきり笑った顔が忘れられない。
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