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第7話 / 全13話
ルシアン・クロードは望まれて生まれてきた命では無かった。
産まれてすぐ実の母に捨てられる。
母親の温もりを感じることなく、小さく冷たい籠の中でただ大声で泣くことしか出来なかった。
奴隷商人に拾われ、なんとか生き延びることができた。
産まれてから与えられたものは、最低限の食事のみ。
似たような境遇の子供たちと共に、奴隷商の雑用をこなして過ごしていた。
「働かない者には食事を与えない、ここまで育てたのは誰だと思っているんだ」
毎日毎日、その言葉しか口にしなかった。
働け。働け。働け。ただ働くしかなかった。
それしか、生きれる方法が見つからなかった。
ある日、ボロボロの本を見つけた。
最低限の読み書きは教えられていたが、簡単なところしか読むことはできない。ルシアンは完璧に理解することは難しかった。
だが、描かれている絵を見て胸を打たれる。
囚われのお姫様を、剣を持った王子様が助けに来てくれた。
ルシアンにとってはその本だけが救いだった。 生きてさえいれば、いつかは本の中のお姫様のように幸せになれるのだと思えたから。
7歳を過ぎた頃、貴族に売られた。
ギラギラと輝く宝石を数え切れない程身につけているその男こそ、ルシアンを買った貴族その人だった。
悪趣味な格好をしていると思いながらも、この男には逆らってはならないとすぐに理解した。
「随分とキレイな顔をしているな」
顎に手を添えられ、上から下へと視線を巡らせている。最初にかけられたその言葉に対し、ルシアンは褒められているのだと思った。
だから、笑った。
バチン、と何かが破裂したような音が無駄に広い部屋へと響く。
頬を、殴られた。
「勝手に笑うな」
床に転がる自分の体。
理解が追いつかなかった。奴隷商は働けとは言うものの、殴ったりなどはしてこなかった。商品に傷がつくのが嫌だったのだろう。
空腹の苦しみを味わうことはあれど、人に殴られる痛みなど、知らなかった。
次は腹を、その次は腕を、足を。殴られ、蹴られる。
——死の恐怖を感じたのは、産まれて初めてだった。
貴族には他にも十人の奴隷がいた。
毎日その中から気分で自室に呼ぶ物を選び、想いのままに扱っている。
その中でも、顔が気に入られていたルシアンは呼ばれる回数が多かった。
食事は充分に与えられ、機嫌が良いときには好きなものまでたらふく食べさせてもらえた。
だが、その後に全て嘔吐する。
顔にはアザは無く、誰に見せても美少年だと言う程の美貌。それに反して体は痩せ細り、どこを見ても大きなアザが目立つ。
白い首筋には、歯型と赤い跡。少年の心は、日に日にすり減っていった。
貴族からの呼び出しが終わり、自室のベッドに身を潜める。
寝むりにつこうと目を瞑ると、先程までの出来事が脳裏に浮かぶ。気持ち悪い、気持ち悪い。
——死にたい。
そう思うようになったのは、いつからだろうか。
初めの頃は、どんな事があっても生き延びてやるという強い思いがあった。王子がきっと助けてくれる、その気持ちだけで耐えてきた。
だが、いつの間にかその気持ちは消え失せ、死にたいと思うようになっていた。
貴族に買われてから六年が立った頃、奴隷八人が逃げ出した。
屋敷に残った他二人の奴隷は鬱憤晴らしのため殺されたらしい。
ルシアンはお気に入りだったため殺されはしなかったものの、いつも以上に乱暴な扱いをされていた。
——どうせなら、このまま殺してくれ。
「おっさん、趣味悪いね」
扉の前には、見慣れない男が立っていた。
貴族の取引先の人間だろうか。
……いや、どこか様子がおかしい。
黒いマントで分かりにくいが、服には血が染み込んでいる。
「お前は誰だ!! 見張りは?? 見張りは何をしている! コイツを取り押さえろ!!」
「ここに俺が立ってるってことは、勿論見張りも倒してる。今この屋敷の中で意識があるのは俺とバディ、そしてアンタら二人だけ」
わかる?と右手に持つ剣をコチラに向けながら問いかけてくる。
「お前は誰なんだ! 一体、何者なんだよ! こんなことしやがって! ただじゃ済まねえからな!!!」
そう言い切ったあと、貴族はその場で倒れ込む。
首元には黒いモヤが現れ、首を締め付けられたようだった。
気付かぬ内に黒いマントの男が近付いて来ている。
きっと、コイツがやったんだろう。
このまま殺してくれるのか。
——やっと、解放されるんだ。
「俺の名前はヘクトル・エルカディオン。この国の【英雄】になる男だ。お前は? ここから出て、生きる気はあるか?」
黒いフードを外し、キレイな瞳がこちらを見つめる。
——その時、初めて産まれてきたことの実感を得た。
生きているのか死んでいるのか、分からないような人生を送ってきた。
なんの為に生きているのか、ずっと分からなかった。
だが、今初めて生きる希望を得た。
この人が、僕の生きる意味だと。
「僕の名前は、ルシアン・クロード。貴方を支える人間になる男です」
青い髪を揺らしながら、ヘクトルは笑った。
無邪気に笑う彼の顔は、王子様というよりお姫様のようだった。
感情が高ぶる。心臓がどくどくと素早く鼓動し、顔は熱を帯びていた。
——彼が、僕のお姫様なんだ。
「ちょっと、何してるんですか。その子……奴隷? まさか、拾う気じゃないですよね? 飼うなら責任持って最期まで。半端な気持ちで拾うことは許しませんよ」
扉からまた一人、女の人が入ってくる。同じ服装をしており、先程言っていたバディというのは、この人のことなのだろう。
「コイツ、カリスタのとこで雇ってやってくれ。魔法使える使用人探してるって言ってたよな? 才能あるから、丁度いいだろ」
◇◇◇
「ヘクトル様!!」
屋敷の中が騒がしい。扉が勢いよく開かれ、聞き慣れた声がどんどん近付いてくる。普段は比較的落ち着いている彼が、珍しく息を切らしていた。
「何があった?」
「警備兵達が……」
その一言で、嫌な予感がした。
部屋を出て、庭へと急ぐ。昨日の夜、警備兵達が巡回をしていた場所。
……今日起きたら、差し入れでも渡しに行こうと思っていたのに。
庭につくと、目を疑うような光景が広がっていた。
一人、二人、三人。そこまで数えたが、意味のないことだとすぐに理解する。
肉片の散らばった庭。警備兵の頭がそこら中に転がっていた。
昨日まで笑っていた警備兵が、ただの肉の塊へと姿を変えている。
十五人、全員優秀な人間だった。
なのに、そこには“戦闘の痕跡がない”死体だけがある。一方的に虐殺されたのだろう。
「侵入者は?」
「見ていません」
「結界は?」
「破られていません」
ありえない。夜でも、何人かの使用人は起きていた。
朝やられたとしても物音で誰かしらは気付くはず。
それなのに誰にも見られず、結界にも引っかかっていない。
なにか、なにかおかしい。
「ルシアン」
「はい」
二人同時に魔力を練り始める。
結界は周囲に円を描くように貼られていた。
……だが、空からなら入ってこれる。
——パチパチパチ。
屋根の上から拍手の音が聞こえた。
視線を向けると、白いローブを身に纏う男が立っている。
「オハヨ」
男は笑った。まるで、友人に再会したかのような笑顔で。
「久しぶりだなァ、ヘクトル!」
白く長い髪は三つ編みにされ、前に垂らし、背中には片翼の黒い羽が見える。
赤く鋭い眼光が、ヘクトルだけを捉えていた。
知っている顔。忘れるはずがない声。
全身の毛が逆立ち、呼吸が止まった。心臓が嫌な音を立てる。
視界の奥で、赤黒い記憶が蘇った。
剣が宙を舞い、右肩が熱を帯びる。
右目に感じる焼け爛れたような痛み。
存在しないはずの感覚が、今もなお肉を抉り続けていた。
「ソコにあるやつ、肩慣らしとして殺したんだケド」
屋根から飛びおり、男は死体の方へと近付きながら言葉を発している。
「イヤァー、ミスった。もっとキレイに殺してやるつもりだったのにさァー。相棒ならもっと上手く殺れんだケドなァ」
男は落ちていた腕を拾い、少し悔しそうな表情を浮かべる。
「“黎明の神子”!!!」
ルシアンは練り上げていた魔力を放出し、庭園を埋め尽くすほどの水槍が白いローブを目掛けて放たれる。
水槍が触れた地面が抉れ、石垣が砕けた。
男は避けれず、無数の槍が体に穴を開けている。
それは間違いなく、ルシアンの人生で放った中で最高の魔法であった。
一瞬のことだった。ルシアンが叫んでから魔法が男に迫るまで、一秒もなかったかもしれない。
だが、この男がそれを避けれないはずがなかった。
——白いローブからしたたる血液。
勝ちを確信するための材料だったソレが、ルシアンに目掛けて放たれた。
液状だった赤は、研がれた槍のように鋭く、鉱石のように硬く形成されていく。
相手にした攻撃と全く同じ傷がルシアンの体にも現れた。無数の槍が、体に穴を開けている。
「なっ……」
思考する間もなく、ルシアンはその場へ倒れ込んだ。
「今さァ、オレが話してんのわかんねェ? オマエらのこと殺るつもり無かったのに、変なことすんじゃねェよ」
あーあ、と呆れたような素振りを見せながら、コチラに近付いてくる男。
体には無数の傷が付いていたはずだが、男が口を開いた時には全て塞がり、何事もなかったかのように立っていた。
ヘクトルは今もその場から動けず、震える体を眺めている。
「オマエ、なにつまんねェことしてんだ? 早く前の力を取り戻せよ。殺そうと思ってたケド、今のオマエを殺す気にはなんねェーわ。帰る」
ヘクトルの右肩を叩きながら耳元でそう告げる。
「そういや、その右腕どうした? ソレのせいで本来の力出せねェじゃん」
首を傾げ、「勿体ねェー」と呟く男。
少し思考したあと、納得した顔で口を開いた。
「アァ! 思い出した」
黒い羽が広がる。
「オレがやったんだったわ」
片翼しかない翼を巧みに操り、男は振り返ることもなく空へと消えた。
残されたのは十五人の死体と、一人の怪我人。
そして、過去に囚われたまま動けない男が一人。
【黎明の神子】の最高幹部、六信徒の内の一人。【第一信徒】シフェル。
——【英雄】ヘクトル・エルカディオンを殺した男。
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