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第8話 / 全21話
「サトさん、よく頑張ったネー。お疲れ様ネ」
リリーさんが僕の背中をトントンと優しく叩いた。
時刻は17時。15時までに30部屋というのは、ほんの冗談だったらしい。
実際は予約が入っている客室10室を15時までに清掃を終え、残りの予約の入っていない客室を今日中に片付けるという意味だったそうだ。それでもリリーさん、凄い勢いだったが?さすが魔人。
清掃しながら、リリーさんと少し話が出来た。
リリーさんは4ヶ国語ペラペラの魔人なのにママチャリで爆走通勤する2児の母というパワフルな人だった。
思わず、「ご主人は人間なんですか?」と訊いてしまった。
リリーさんは「そうヨ♡」と言ってニヤっと笑った。
片付けを終え、リリーさんの後ろをついて行く。
宿泊のお客様の笑い声が響く客室の廊下から、「STAFF ONLY」と書かれた鉄製の扉を開けてパントリーに入った。落ち着いた雰囲気の廊下から、事務的な白い壁、清掃道具、洗浄用のシンクが並んだ事務的な空間。
壁際に大きな従業員用エレベーターの扉が2つ並んでいる。
「あとは地下に降りて片付けて終わりネ」
リリーさんは苦笑いを浮かべながら、エレベーターの「↓」ボタンを押した。
2つあるうちの右側の扉が開き、カートを押すリリーさんと僕はエレベーターの中に入った。
「いつも思うケド、WhiteCollarに力仕事させるの、意味ワカラナイ」
「みんな研修で回るんですか?」
「イヤ、新入社員は最初からその部署に入るネ。中途の人ダケ」
「そうなんですか・・・参ったな」
リリーさんはちらりと僕を見て口を尖らせると、我慢の限界を超えて吹き出した。
「ぶっふふ、デモさとサン、へばりすぎ。アーッハッハッハ」
リリーさんは”あの瞬間”を思い出したのか、腹を抱えて豪快に笑いだした。
僕は恥ずかしくなって俯くしかなかった。
エレベーター地下1階に到着し、扉が開いた。
「明日もあるからネ。よく休んでネ。オツカレサマー」
地下1階でエレベーターを降りると、リリーさんはカートを押して奥へと消えていった。
「お疲れさまでした。今日はありがとうございました」
僕は深々と頭を下げて、リリーさんを見送った。
さて、ここはどこ?
僕はエレベーター前で立ちすくみ、周囲を見回す。
エレベーターの左側は袋小路の行き止まり。
右手側は暗い通路が続いていて、巨大なステンレス製の扉の奥からゴーゴーという音が響き、少し開いた扉の隙間から微かに冷気が漂って来る。
興味本位で中を覗いてみると、中は巨大な冷蔵室だった。
山のように積まれた黄色いビールケース。たぶん夕食用に準備された小鉢が入った番重などが沢山並んでいた。
でもなんでちょっと開いてるんだろ?
「あれ?佐藤さん?ソコ、入ると出られなくなるよ」
不意に後ろから声を掛けられた。
眼鏡をかけ、ポマードで癖のある髪をオールバックにした、中肉中背の温厚そうな男性が立っていた。
「私、接客係の支配人をしてます、安住です」
人の良さそうな笑顔で、安住と名乗った男性がぺこりと頭を下げた。
「申し遅れました。新人の佐藤です」
遅れて僕も頭を下げた。
「どうしたの?ひとり?もしかして迷った?」
「ええ、今研修終わったところで、どうやって戻ったらいいやらと」
「ははは、あるあるですネ。ちょっと休憩するけど、一緒に来る?疲れたでしょ?」
聞き取りやすい、はきはきとした落ち着いた声。
ワイシャツのボタンを外してネクタイを緩めているものの、スリーピースのベスト姿がキマっている。
この人は人間かな?
「すみません。じゃ、僕もいいですか?」
「いいよいいよ、ついて来て~」
そう言って、安住さんは冷蔵室前から奥に続く通路をスタスタと進み始めたので、僕もそれについて行く。
安住さんの後姿は何も異常はなさそう。やっぱり人間なんだ。
薄暗い通路をついていくと正面に古びたガラス張りの自動ドアが見えた、その手前、右側には見覚えのある両開きのドア。ここ、朝に来た従業員食堂だ。
安住さんはそのまま食堂の前を抜けて自動ドアの前に立つ。ブ、ブーンと変な音がして、自動ドアは所々ひっかかりながらガタガタと開いた。平然と進む安住さんの後に続いて、僕も自動ドアをくぐる。
よくみると、自動ドアはあちこちに何かにぶつかったような跡があり、塗装が剥げてボロボロだった。
「ここが外に繋がる地下通路ね。従業員はみんなここから出退勤するから」
そう言って、左手に続く通路の先を指差した。
薄暗いコンクリートの冷たい通路がまっすぐに伸びていて、そのはるか先に外の光が見える。
天井は縫うようにびっしりと張り巡らされた黒く薄汚れた配管だらけ。その配管のわずかな隙間にポツポツと灯りが灯っている。上の配管からは、ゴゴゴという唸るような低く鈍い音が不気味に鳴り響き、なんだか怖い。
通路の両脇には、回収されたタオルやバスタオルが山積みになったカゴと、「シーツ」「枕カバー」「浴衣」と書かれた大きな布袋がいくつも積み上げられている。
今日僕たちが回収したものがここに集められたのだろう。
まさにホテルの乱雑なバックヤードを思わせる通路だった。
安住さんはその間を縫うように通路の先へ進み、僕もそれについていく。すると今度は段ボールだらけの壁が現れた。両側の壁には高級ブランドのティッシュやトイレットペーパー、歯ブラシや髭剃りなどのラベルが貼られた大きな段ボールがびっしりと何段も重ねられて、殆ど壁が見えない。
その段ボールで埋め尽くされた、トラック1台がやっと通れるくらいの通路を進む。
なんとなく、この通路もいろんな意味でアカンのではないだろうか。
出口付近に高額なアメニティの在庫が何のセキュリティもなくポンポン置かれている。
扉も勝手に開く自動ドアだし、入退室管理なんて概念すら無さそうだ。
大丈夫なのかと変な心配をしながら、安住さんの後を追った。
そして、やっと建物の外へと出た。
(はぁ~やっと外に出れた!)
自然の光と風を全身で感じて、まるで迷宮の出口にたどり着いたような開放感と安心感に包まれる。
外は既に暗くなりかけており、はるか遠くの山影に夕焼けが見えた。
目の前には、1階分くらいの段差の急な上り坂があった。右手には鬱蒼と青々とした山の斜面、左手は無骨なコンクリートの巨大な影が天高くそびえ立っている。煌びやかな正面とは違い、裏側の壁面には上下左右に配管がいくつも走り、薄汚れていた。
まるで何年も掃除されずに埃だらけになったサーバーラックの裏側みたいだ。
「びっくりしたでしょ?ここがホテルの裏側だよ」
安住さんが振り向いて苦笑いを浮かべた。
地下通路の出入口の横に自動販売機が並んでおり、その奥にベンチと灰皿が置いてあった。
安住さんは自動販売機の前でスマホをかざし、冷たいコーヒーをふたつ買い、ひとつを僕に差し出した。
「あ、すみません。頂きます」
安住さんはニコっと笑ってベンチに座り、ポケットからタバコを取り出して口に咥えた。
僕は安住さんの隣に座り、コーヒーのプルタブに手を掛けた。
「佐藤さん、吸える人?」
そう言って、タバコの入ったボックスを差し出した。見たことない銘柄だった。
「今は吸ってませんけど」
遠慮しようとしたが、僕の言葉を遮るように、安住さんはタバコのボックスを目の前まで突き出した。
「吸えるなら、吸って。大事な話があるから」
安住さんの目から笑顔が消えていた。
「はい、じゃ遠慮なく」
僕はその雰囲気に圧されて抗えなくなり、ボックスから1本タバコを摘んで、口に咥えた。
安住さんがライターに火を付けて差し出し、僕の口に咥えたタバコに火を点けてくれた。
ひさしぶりなので慎重に煙を吸い込んだが、「げほっ」とむせた。
安住さんは苦笑いしながら自分の口のタバコに火を点けて、旨そうに煙を吐き出すと、僕の顔を見て呟いた。
「佐藤さん、もう見えてるんでしょ?」
「え?何が・・・」
「ここにいる従業員、みんな変な姿に見えるんじゃない?」
安住さんはいきなり核心を突いてきた。
「その様子じゃ、見えてるね。千穂さん絡んでたしなァ」
「えっと・・・」
「お察しのとおり、ここは妖たちの世界だよ。幽世って呼ばれてる」
ああそうか・・・だから、なんかいろいろ変なんだ。
このご時世に紙ベースの仕事ばかりだし、気がついたらみんなヒトに見えないし。
え?そういう問題じゃなくて?
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