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第9話 / 全21話
「とりあえず、タバコ吸って。現世に戻れるから」
黙り込む僕に、安住さんが煙を燻らせながら呟いた。
「戻れるって?」
「現世のものを取り込めば、それだけ現世に近くなるってことさ」
「現世?」
「そう、現世。現世のものを取り込まないと、幽世から出られなくなるから気を付けてネ」
現世?幽世?どういう意味だろう?
「ここはね、現世と幽世がまざりあった場所なんだ」
えーと、現世が僕が住む世界のことで、幽世というのが異世界ってことかな。
「幽世というのは、神様が作ったもうひとつの世界。ヒトがいう妖精や妖怪、幽霊なんかが住む世界ね」
だいたい合ってたようだ。ラノベの異世界ものらしくなってきて何故か安心する。
「どういう理屈か知らないけれど、ヒトの世界と妖の世界が交わった場所。それがこの湯女泣温泉街なのさ。トンネルを通じて地続きになってて、普通のヒトも自由に行き来できる」
「安住さんはヒトなんでしょ?」
「僕?そうだよ。奥さんは妖だけどねー」
「リリーさんと逆なんですね」
「おお、今日はリリーさんと一緒だったのか。魔人級の吸血鬼なのにヒトに優しいからね、あの人」
「え?吸血鬼なんですか!?」
仕事中、速すぎて腕が何本も見えたので、どっちかというと阿修羅とかそっち系かと思ってた。
「うん、ピーフォン、だったかな。ベトナムの方の魔物ね。まぁ興味があったら今度ゲゲってみて」
僕はすかさずスマホを取り出し、ゲーゲルでピーフォンを検索する。
ん?警察専用の携帯電話?これじゃない・・・あった、これだ。
—ピーフォン(Phi Phương)—
「月夜に変身する絶世の美女にして吸血鬼」の一族とされ、美しい容姿ゆえに正体を疑われ、村の外へ結婚相手を探しに行かなければならないという伝説が伝えられている・・・
絶世の美女・・・だと・・・?
リリーさん婚活でわざわざこんな田舎に来たのかな?それはそれでなんか可愛い。想像してしまい、思わずにやけてしまう。
「ピーフォンあった?笑っちゃうでしょ、美女って」
「美女って感じじゃないですけど、性格は可愛い人でしたね」
「ふふ、佐藤さん案外すぐここに馴染めそうだね。ちょっと安心したよ。けど・・・」
「けど?」
「千穂さんとの逢瀬はほどほどにね。死んじゃうよ?」
「え?どういうことですか」
「彼女はね、飛縁魔の血族ね。簡単にいえば、日本版サキュバスかな」
「サキュバス?あー・・・」
妙に納得してしまった。僕は精力を吸われてたのか。今日のマッサージは、その精力を戻してくれたのかな。
「根は凄くいい人だけど、生きる為にヒトの精力が必要になるし、相手を不幸にする権能もある。でもなぁ、たぶん佐藤さん、気に入られちゃったみたいだしなあ・・・死なないでよ?」
安住さんはくすくす笑いながら煙草の煙を燻らせた。
「死んじゃいますか・・・」
「うん、このままだと吸いつくされて死んじゃうね。あーそうだ。佐藤さん、トンネルの間にある峠のお店、知ってる?」
「はい、昨日出勤する時に、前を通りましたけど」
「ふれあい市場っていうんだけど、今日帰りに寄って、そこのお惣菜買って食べとくといい。おすすめは婆ちゃんに訊くといいよ」
「わかりました。帰りに寄ってみますけど・・・なんで?」
「あそこは昔から現世と幽世を結ぶ峠の茶屋だったらしいよ。詳しくは婆ちゃんに訊いてみるといい。面白いから」
「さて、と、僕は料亭に戻るね。佐藤さんも暗くなる前に早く帰りなさい。婆ちゃんによろしく」
「はい、いろいろありがとうございました」
安住さんはタバコを灰皿に押し付けて火を消すと、缶コーヒーを飲み干してベンチを後にした。
途中、空き缶が山積みになったカゴに空き缶を放り込み、別の通路に続く暗闇に消えていった。
僕も同じようにタバコの火を消し、缶コーヒーを飲み干して、元来た地下通路を通ってエレベーターまで戻った。エレベーターで1階に戻り、狭い曲がりくねったバックヤードを通って、総務課まで戻った。
総務課のカウンターに置かれていたタイムカードの打刻機の前で、鈴木課長と出くわした。
「おお~佐藤さん、聞いたよ?なんか大変だったみたいだね。今日は大丈夫だった?」
僕の両肩をぽんぽん叩き、東条英機スマイルを僕に向けた。
「はい、いろいろありましたけど、何とか」
カウンターの向こうでは、朝お世話になったタヌキ顔の綿貫さんがまるっこい身体をさらに丸くして、こちらを完全無視でカタカタとパソコンに何かを打ち込んでいる。
「ちょうど良かった、佐藤さん、タイムカードの機械がカードを読み込まなくなってねぇ、丁度今から電源を切ろうとしてたんだよ」
そう言って、カードリーダーの付いたタブレットPCの電源ボタンを長押しし始めた。
「ああっ!ちょっと待ってください!」僕は慌てて止めようとしたが、遅かった。
打刻画面が表示されていたタブレットの液晶がブラックアウトする。
「ん?どうしたの?」鈴木課長は電源ボタンを長押ししたまま、きょとんとしている。
「鈴木課長、これ、ウインドウOSのパソコンですよね?」
「そうだけど?」
「いきなり電源切ったら、壊れちゃいますよ?」
「えーそうなの?止まったらいつもこれしてるよ?ダメなの?」
「ダメですよ・・・ディスクアクセス中にいきなり落ちるとシステムが壊れることがありますから」
「ふーん、じゃどうするの?」
鈴木課長はなんだか不機嫌な顔でパソコンの前から離れた。
僕は電源を入れなおし、まずは起動するか確認する・・・よかった、起動した。
どうやら、起動時にタイムカードアプリが自動起動するようになっていたようで、何事もなくタイムカードの打刻画面が表示された。
ひと息ついて、僕は鈴木課長にできるだけ分かり易く説明する。
「鈴木課長、画面がフリーズしてカードが読み込まれなくなったら、画面を長押ししてください。」
こんな風に、と僕は液晶画面を長押ししてサブメニューからアプリを終了し、立ち上げ直す方法を説明した。
ちらりと鈴木課長を見たが、まだ若干不機嫌な顔のまま、目が点になっている。
「これで元通りです」
僕は壁の棚から自分のICカードを取り出して、ICカードリーダーにかざした。
「ポロン♪」と音が鳴り、「退勤」が打刻された。
「ほー、すごいね、なんかキツネにつままれた気分だ」
どうやら理解できなかったらしい。
「ま、直ったんなら良かった。さすが佐藤さんだね!これからも頼むよ!今日はお疲れ様!」
と作り笑顔で鈴木課長は総務課の奥の席に戻って行った。
「では、お疲れさまでした。お先に失礼します」
僕はそのまま退社した。
まさか初日が1泊2日の勤務になるとは思わなかった。
ほぼ気を失ってたけどナー
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