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第7話 / 全21話
(おいっ!こりゃだめだ。魂魄が薄まっとる)
(だれか!千穂ちゃん呼んできて!別館の岩盤浴!)
誰かの声が聞こえる・・・
魂魄?千穂さん?岩盤浴・・・?
ああ、あのめくるめく快感をまた体験できるのかな?
なんだか、あたたかい感触が背筋を撫でていく。
柔らかく温かい何かが、背中から腰へとゆっくり触れていく。
不思議なことに、その感触に触れられるたび、腰の痛みが薄れていった。
――気持ちいい。
そう思った直後、身体の奥に、何か温かなものが広がっていくような感覚がした。
「……え?」
触れられている場所から、何かが身体の中へ染み込んでくるような――。
これは、千穂さんかな・・・
背中をよぎるふたつのやわらかい手の感触が、ゆっくりと首筋から背骨に沿って腰まで伸びていく。
そのたびに、ずきりと感じる痛みが和らいでいくのが判る。
ああ・・・千穂さん、この手で触れたい・・・
無意識に伸ばした手に、誰かの細くて華奢な指が絡みつく
耳元でちいさな吐息が漏れる。
(だめよ?動いちゃ。元気になったら、またしてあげるから、ね)
やっぱり千穂さんだ・・・
幸福感に包まれる一方で、身体の奥で何かが揺らめいているような、不思議な感覚があった。
それが何なのか考える間もなく、僕の意識は深い眠りへ沈んでいった。
(はっ!)
—僕は目を開いた。
木目の天井に、同じ木目の豪華なシーリングファンがゆっくりと回転している。
これこそ「見知らぬ天井」だ。ただ本家より豪華すぎる天井が妙に腹立たしい。
傍らで、千穂さんが桜の木のデザインをあしらった扇子で僕を扇いでくれていた。
「あら、お目覚め?」
僕の視線に気づいた千穂さんが、嬉しそうに目を細め、優しく微笑んだ。
「起きたか!」少し迷惑そうな声が響いた。
千穂さんの背後に、猿顔で背の高い制服姿の男が現れた。
「えっと、ここは?」
「別館大浴場の湯上りラウンジですよ。佐藤さん腰をひどく痛めて気絶したので、千穂さんにマッサージをお願いしました」
千穂さんの背後からもうひとり、長い髪の毛に覆われたイケオジが現れた。
「佐藤さん初めまして。支配人の山神です」
「えっと、すみません。ご迷惑をお掛けして・・・」
ゆっくりと身体を起こす。
物凄い痛みを感じていた筈の、腰の痛みは和らいでいる。
どうやら天井を見上げるデッキチェアに、僕は寝かされていたらしい。
猿顔の男が歩み寄り、掌を差し出す。
掌の上には、小さな緑色の丸い珠がひとつ。
「営業の倭田です。これ、薬な。飲んだら楽になる」
「はい、ありがとうございます」
僕はその緑色の丸い珠を摘まんで、何の躊躇いもなく口に含んだ。
(おおお、にがい・・・死ぬほど苦い)
「あら、もう口に入れたの?ちょっとまって、豆茶入れてきます!」
千穂さんが慌てて立ち上がり、バーカウンターに置かれたピッチャーから黒いお茶をグラスに入れ、はたはたと戻って来た。
「これで流し込んで」
僕はグラスを受け取り、一気に喉に流し込んだ。
冷たいお茶が食道を抜けて、身体の中に染み渡って行く感覚。
あれほど苦味に支配されていた口の中がすっきりとする。僕の意識もはっきりと戻ってくるのを感じた。
同時に、研修途中でぶっ倒れた自分が恥ずかしくなり、自己嫌悪から自然に俯いてしまう。
「大変ご迷惑をお掛けしました。申し訳・・・」
「あーまぁ、そんなに気にしないで。デスクワーク主体の人にこんな研修組むほうがおかしいんだから」
山神と名乗ったイケオジ支配人が、笑顔で僕の肩を叩いて、安心させるように言葉を続ける。
「そういえば私も転職してきたとき、研修で腰やったよ。転職組同士、仲良くしましょう」
だから気にするな、山神支配人はにこやかに慰めてくれた。
「よっし、これで大丈夫かな。支配人、仕事に戻りましょうか」
猿顔の倭田さんが、パン!と両手を合わせた。
「そうですね。じゃ、千穂さん、あとお願いね」
山神支配人はさらりと千穂さんに視線を送ると、千穂さんは軽く微笑んで会釈で返した。
今更だが、千穂さん、すこしやつれたような・・・笑顔に精気がなく、疲れているように見える。
ふたりは、大浴場の暖簾をくぐり、カラカラと扉を開けていずこかへ去って行った。
ふたりが去っていくのを見送った後、僕ははっと我に返り、時計を見た。
13時を過ぎたところだった。リリーさん、仕事大丈夫だろうか。
「あ・・・研修、リリーさん大丈夫でしょうか」思わず声に出てしまった。
「うーん、他部署のことはわからないけど・・・聞いてみようか?」
千穂さんは首を振り、着物の帯の中から小さなPHSを取り出し、ボタンで操作したあと、可愛らしい小さな耳にあてた。
「あ、もしもし、千穂です。リリーさん、佐藤さんお目覚めになりました。・・・ええ。え?こっちに向かってた?はい、かしこまりました・・・」
電話の向こうで、リリーさんらしき甲高い声が聞こえた気がした。
突然、ガラガラっと暖簾の向こうの扉が勢いよく開き、ドスンドスンと赤いポロシャツの魔人が姿を現した。
リリーさんだ。あれ?なんか前より姿が大きく見える。
「サトさん、治ったネ!ジャ、仕事戻るヨー!」
開口一番、元気なリリーさんの声が湯上りラウンジに響いた。
「なにシてた?マッサージ?」
リリーさんは千穂さんに向かって睨むような視線を送った。
「はい、腰を痛めてらしたので、岩盤浴でマッサージを」
「そうかネ。ヨカッタネ、サトさん!美人のマッサージ!」
リリーさんはニコっと笑顔を浮かべて僕を見つめる。
「リリーさん、ご迷惑をおかけしました。布団上げ、大丈夫でしたか?」
「アー、だいじょぶネ。もう終わったヨ。でもお掃除マダ!手伝えるカ?」
僕は改めて腰のあたりを触ってみる。痛みはすっかり消えている。
「はい、がんばります!」
僕がデッキチェアから立ち上がろうとすると、咄嗟に千穂さんに止められて、小声で耳打ちされた。
(ごめんなさい。無理しないでね)
僕はなんだか嬉しくなって、勢いよく立ち上がった。
「3時までにあと30部屋お掃除ネ!キリキリ行くヨー!」
リリーさんに腕を掴まれ、ものすごい勢いで僕は連れ去られた。
30部屋という言葉に、僕は白目を剥いた。
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