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第2話 / 全9話
どれほど深い悲しみも、ひとりの胸だけに閉じ込められることはない。
嘆きの残響は、その場に留まらず、形のない気配となって世界へゆっくりと滲み出る。
それは誰のものとも分からぬまま、遠く離れたどこかの心に、微かな震えとして触れることがある。
──まるで、名も知らぬ痛みが
次の物語の扉をそっと叩くように──。
「ぽとん」
足元で、軽い音が弾んだ。
転がってきたのは、色あせた小さな手毬だった。自然に身を屈め、そっと拾い上げる。その瞬間、自分の手の小ささに気づく。
手毬を握ると、胸の奥が重く痛んだ。
「それ、返して?」
幼い声に顔を上げる。自分と同じ背丈の幼女が、手毬へそっと手を伸ばしていた。
返すと、ふわりと笑う。その無邪気さが、胸のどこかを微かに撫でた。
──また失敗した。
言葉にしなくても分かる。終わり方だけが、いつも通り最悪だったことも。立ち止まっていても結果は変わらない。
ならば、また歩くしかないのだ。
家路を急いだ。日が傾き、空が鈍い朱色に染まる。幾度となく見慣れた、家の土壁は、最後の光を浴びて薄く影を落としていた。
軋む門をくぐり、何事もなかったかのように家の中へと足を踏み入れる。
「おかえり」
父と母の声。食卓には、既に温かい粥と野草の和え物が並んでいた。
鮮明な景色と対照的に、父と母の顔はいつも曖昧にぼやける。この人たちに育てられた記憶は、遥か彼方のものとなってしまった。
無言で食事を取る。冷え切った心で、温かい粥を流し込む。食後、父と母は他愛のない会話を続けていたが、意識はすでにこの家にはない。
父と母が寝床に入り、部屋の灯りが消えるのを、自室でじっと待つ。そして、二人が寝静まったのを確認し、立ち上がる。
長持ちの蓋を開け、旅に使えそうな地味な衣を数枚だけ抜き取る。父の枕元の木箱には、わずかな銭。明日以降の旅路には全く足りないが、この夫婦の生活の糧をこれ以上いただく訳にもいかない。足りない分は、道中にまた、あのおぞましい方法で稼ぐしかない。自分を見下ろす名も知らぬ男たちの顔が脳裏をかすめるが、すぐに首を振りかき消す。
旅の準備を整え、窓の外、夜明け前の闇をじっと見つめる 。
やがて空が薄く白む。幼い体のまま家を出ると、朝の風が胸の傷をそっとなぞった。向かう先は知っている。迷う必要はない。何度も同じ道を歩いてきたのだから。
からくり人形のように歩き、味のしない飯を飲み込み、ただ夜を数えた。
いくつ目の夜だったか、崩れかけた橋の下にうずくまり、夢を見た。
あの家に戻り、食卓には温かい粥が並び、母が柔らかな声で「おはよう」と微笑んでいる。その温もりに触れようと、そっと手を伸ばした。けれど、指先が触れる直前、その景色は砂のように脆く崩れ、灰となって風に消えた。ひやりとした冷気の中で目を覚ます。
―ああ、そうだった。もう、あそこには戻れない―
もし、あの朝に家を出ていなかったら…
そんな甘い問いかけは、心の中で即座に灰にして捨てる。
思い出に浸る権利などない。この胸の痛みも、二度と触れられない温もりの記憶も、すべてを道連れにして、ただ歩くしかないのだ。
再び目を閉じた。もう夢の温もりを求めてはいない。ただ、明日への冷徹な誓いだけが、心に静かに灯っていた。
数カ月の旅路のあと、とある寺の重い門を叩いた。
「お願いします。この者、法を求め、西方への旅を志しております」
「名は」
「……陳褘(ちんい)と申します。旅を志す者です」
老僧は目を細める。
「その目……幼子には見えん。ずいぶんと深い影があるのぉ」
⽼僧は、何かを測るようにじっとこちらを⾒ている。けれど、その理由を説明する気にもなれなかった。
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