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第6話 / 全9話
相も変わらず、埃っぽい単調な旅路が続いていた。
見渡す限りの赤茶けた荒野を抜け、ようやく風景に変化が訪れたのは、玄奘と悟空が深い谷間に差し掛かった頃だった。甘い風がひとすじ、谷の底から這い上がった。そこには夢幻のように美しい、紫の小花の群生地が広がっていた。辺りを覆っていた砂埃とは無縁のように、青紫から藤色のグラデーションの花が、風に揺れて波打っている。
「なんだここ……花だらけじゃねえか」
悟空はその花野に飛び込み、小花を乱暴に引き抜こうとする。玄奘は、ため息をつき、冷たく言い放った。
「猿。その花にはむやみに触れるな。根に猛毒がある。耳かき一杯で獅子をも屠(ほふ)るほどの劇薬だ」
「へぇ、そりゃすげぇな。……」
悟空は鼻をぴくつかせ、花を覗き込む。
その態度は好奇心むきだしだが、その奥には、師の言葉を信じきれない子供のような印象が滲んでいた。
「へへっ、毒ねえ? 匂いでわかるが、俺様には効かねぇ」
「試してみるか?」
玄奘は、わずかに微笑んだ。冷たい笑み。だが、どこか子供がいたずらを仕掛ける前の光があった。
「貴様の金剛不壊の肉体といえど、この毒には勝てんぞ、猿」
玄奘は白馬から降り、花野へと足を踏み入れる。両手を広げ、天を仰ぐ姿は、厳格な法師というより、年相応の娘のようだった。
悟空は、ためらいながら後を追う。
「……おい、迷子になるなよ」
彼女は立ち止まり両膝をかかえしゃがみ込み、数輪の花をそっと両手で包み込むように摘み取った。その表情は、普段の冷たさではない穏やかな光を湛えていた。しかし、悟空からはその表情を見ることは出来ない。
そして突然、甘い声で悟空を呼んだ。
「さー、るー」
「ん? なんだよ」
悟空が歩み寄ると、玄奘は素早く彼の顎を掴み、摘んだ花を無理やり口に押し込んだ。
「んがっ!? てめえ、何しやがる!」
悟空は反射的にその花を吐き出し、口元を拭いながら、目を丸くして玄奘を睨みつける。玄奘は、悟空が吐き出した毒の花を拾い上げると、まるで砂糖菓子でも口にするかのように、躊躇なく自らの唇へと運び、ゆっくりと噛み砕いた。
そして -
氷の仮面を崩し、花が綻ぶように、無邪気で恐ろしいほど純粋な笑顔を浮かべた。
「ふふ……大丈夫だ、猿。これは“いつも”の味。毒なんて、私には効かない……ふふ、ふふふ」
悟空は怯えた顔で後ずさった。毒は根にあると言ってた。だが…
「おい……師匠? いまの笑い、やべぇだろ……」
玄奘は小さく首を傾げ、花弁を舌の上で転がすように味わいながら、静かに言う。
「毒より怖いものを、私は知っている。……だから平気だ」
悟空は眉を寄せた。
「……また、あの日の顔しやがって」
あの日…
そこは、血と泥濘が混じり合う、地獄の底のような場所だった。肉体は満身創痍。震えが止まらないのは、痛みか、それとも恐怖か。その地獄の中心で、まだ少女の面影を残す玄奘は、自らの血にまみれながら、無邪気な、本当に無邪気な顔で笑っていた。
「さあ、悟空。これであなたは私の奴隷」
彼女の、その穢れなき微笑みこそが、何よりも、静かに迫っている死の影よりも恐ろしいものだと、本能が叫んでいた。それでも、彼はそれを拒否できなかった。自らの服従の証……緊箍児が赤く輝き脈打つ。
瞬間、締め付けられる激痛と共に、全身の傷が嘘のように塞がっていく。
死にかけていた細胞が、黄金の呪力によって無理やり生かされる。それは治癒などという生優しいものではなく、生への強制だった。
「……私の、可愛い猿……」
玄奘は微笑む。
この微笑みにどれくらいの狂気が潜んでいるのか。
この時以来、悟空は彼女の笑いの意味を測れないでいた。
・・・
「行くぞ、猿。無駄にしている時間はない」
困惑する悟空を無視するように、玄奘はすぐに表情を消し、冷徹な法師の顔に戻った。
「……へっ。やっぱおかしいわ、あんた」
「・・・・・」
玄奘は、黙ったまま悟空を見つめる。
「……またそれかよ」
齢二十にも満たない女が何を背負っているのか、悟空には、測れない。
玄奘は、ゆっくりと西を向き、悟空に問いかけた。
「猿。私がいやになったか」
悟空はニタリと笑い、緊箍児を人差し指でなでながら言った。
「ははっ。そうは言ってねえ。この緊箍児の契約にかけて、俺があんたを無事に西の天竺まで連れて行く。どんな事からも守ってやる。そして、天竺についたら契約終了だ。あんたが俺様に服従する番だ。あんたの全てをいただく」
玄奘は、その言葉を、そっと目を閉じて受け入れた。
「……ああ。知っている。さあ、行くぞ、猿」
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