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第一部 ルー=ガルーの邂逅 / 第12話
一段、低い声。
狼だ。
狼が口を開けて、眼前に迫っている。
「……」
「狼の群れでも、仲良しに見えることがあります」
目を細め、笑いかけた。
狼は、退かない。右手をテーブルの上に乗せた。
半身だけ、圧が強くなる。
「逃げようと、思わねえのか」
「逃げる理由が、今のところありません」
「俺達が怖くないのか」
瀬戸が隣で紅茶を飲む。
「先生がいますから」
真壁は顎を上げ、背もたれに身を預けた。
左右非対称の笑み。狼が人間になる。
「伊織君が頑張りすぎて、自分を追い詰めないように、君も気にしてやってくれ」
「瀬戸がいなくなったら、どうする」
視界が、細かく揺れた。
鼻の奥がひりと焼ける。
返事が、出ない。
「真壁、それ以上は」
口角を上げる。
上がらない。
もう一度上げる。
左手を固く握り締める。右手で、押さえ込む。
「いなかったことには、なりませんから」
車が揺れた。
は、として窓の外を見る。こぢんまりとした駐車場。
バックの警告音が、妙に懐かしい。エンジンは静かで、タイヤの擦れる振動が腰に響く。
隣には、黒いセダン。
ぴー、と長い電子音。エンジンが止まる。メーターの灯りが、ふう、と消えた。
「よし、二郎、鍵開けてこい」
「うっす、マッサン」
マッサン、とはアロハシャツの男、大森のことらしい。
二郎がドアを開け先に降りた。ひやりとした空気が、車内に流れ込む。続いて、大森と真壁も降りる。
イオリの隣に、ムサシが残った。
「なんで、大森さんがマッサンって呼ばれてるんだろ……」
独り言に、ムサシがぼそりと漏らす。
「ん。下の名前がマサルさんだから」
「あっ! えと、ありがとうございます。そっか…まさる、さん……マサ、サン…マッサン」
口の中で、音を転がす。呼び方の数だけ、時間がある気がした。
「……気になんのか」
隣から低い声が落ちた。そっと顔を見上げる。
「慕われてるんだな、と」
「大森サンが、か?」
「ムサシさんも、慕ってるのかなって」
否定も肯定も、ない。ムサシは目を細め、イオリを見つめていた。
「…………変わらねえな」
何のことだ。
瞬きしていると、ムサシがドアを開けた。
「若が呼んでる」
そう言って背中を向け、彼も車を降りた。
事務所の入り口に社名が記されている。ムサシがドアを手前に引いて、イオリが通るのを待っていた。
ドアの前で、一度立ち止まる。
「あ……」
「どうした」
「もし、出来たらなんですけど、お願いが」
「いらねえ」
「駄目ですよね……」
首を傾げ、肩を落とす。しかし、ドアを押さえるムサシがぶっきらぼうに続けた。
「違え。
――敬語」
眉間に皺を寄せたまま、あの鷹の目がイオリを見つめる。
「いらねえ。タメ口でいい」
その視線が、わずかに泳いだ。
「……なんで…?」
「オイ、何モタモタしてんだ」
奥から大森が嗄れた声を上げる。
「はい!」
思わず返した声が、ムサシと重なった。
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