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第一部 ルー=ガルーの邂逅 / 第7話
身体は軽いのに、足は確かに床についている。
床板が小さく軋む音。
視線だけ音の方に向ける。
部屋の隅で黒いスーツの男が、足場を確かめるように身動いでいた。
瀬戸が聴診器を首にかけ、イオリに向き直った。
「胸の音を聞くよ」
ひやりと、聴診器が胸に触れる。一回、二回と、冷たさは消えた。
「息を吸って……吐いて。うん、雑音もない。腕を上げて」
イオリが両腕の高さまで腕を上げると、相馬が肘を軽く支える。そこへ瀬戸の両手が伸びる。
――手が近付くにつれ、呼吸の深さが変わる。
「触られていたいところは」
瀬戸が指を揃えて伸ばす。
肋骨が包み込まれる。上から、下へ。
「息を吸って」
呼吸を、忘れていた。
鳩尾に触れた親指が、腹の中の柔らかさまで見透かしている。
「吐いて……」
瀬戸が触れ、視て、聴き。
イオリの輪郭を定義してくれる。
「細えな」
真壁が呟いた。そうなのだろう。彼らに比べたら。
でも、まだ足りない。ウエストの括れを指が包む。瀬戸の指先同士は、届かない。
「コルセット、寝るときには必ず外すように」
「はい」
「小倉さん失礼します、触ります」
前置きし、相馬がイオリの横に立つ。顎を上げると、白い手が顎を支え、下唇を裏返すように引っ張った。
瀬戸もイオリの前に出て、胸のポケットからペンライトを手に取る。彼も、いつの間にか手袋をつけていた。
伏せた睫毛。視線は合いそうで合わない。
「綺麗に定着している。次は気になったときで大丈夫だろう」
「何があるんだ」
「タトゥーだよ、真壁」
下唇の裏には、黒い数字がタトゥーとして刻み込まれている。ここは消えるのが早い。口の中に滲む唾液を呑み込む。
「絵か?」
「伊織君が、ご両親から命を貰った日だよ」
「ふうん……」
「――3月5日」
壁際のムサシが、呟いた。
「見えたのか、そこから?」
「……たまたま、す。若」
イオリは眼を瞬かせた。ムサシが言った数字は正しい。
相馬が唇から手を離した。ゴムのにおいが遠ざかる。瀬戸はイオリの胸元から順にピアスの様子を確かめた。
「ピアスは、引っ掛けたりしていないかな」
「はい」
「左胸が、一番最初だったね」
「はい。やっぱり、ちょっと傾いちゃってます」
「そうかい? セルフで初めてにしては、綺麗だ」
「あ……ありがとうございます」
唇が勝手に緩む。イオリ自身を褒めたわけではないだろうと、自分に言い聞かせる。親指を手の中に握り込んで、手の力を緩めた。
「性器ピアスに問題は無いかな?」
「はい、大丈夫です」
瀬戸の手と視線が、下へ向いた。性器を上へ向けられて、すぐに手放された。
「それじゃ後ろを向いて」
「はい」
「小倉さん、お尻触ります」
イオリは瀬戸に背を向け、椅子に手を突いて脚を開いた。ゴムの薄膜が、尻肉を押さえる。相馬の指が浅く食い込み、尻肉が静かに開かれた。
アヌス。
その周囲に、架空の白い花と、存在しない言語のメッセージ。イオリ本人は鏡越しにしか、見たことがない。
「初物か?」
――真壁の淡々とした反応に、瀬戸と同じ種類の安堵が生まれる。
外見も声も、においも、全然違うのに。
「伊織君はバージンだよ」
「証明は?」
「触診で、診断はできる。さて、感染も起きてないな。――もういいよ伊織君。起きる時、気を付けて」
「小倉さん、ゆっくり起きてください」
相馬が手を離し、素早く手袋を脱いでイオリの身体を支えた。
身体を起こすと、勝手に息が上がっていた。いつもなら、これで診察は終わり。ずれた眼鏡を直す。
「小倉さん、服はこちらに」
相馬がアンダーシャツ、コルセットと順に差し出す。コルセットはすぐにまた装着できるよう、いつの間にか紐が緩められていた。
下半身は裸のまま、コルセットのホックを掛ける。
腰裏に手を回し、中央の紐を引く。
最初は一気に。コルセット全体が締まり、身体が起こされる。ぎゅう、と腰が支えられ、容易には前に曲がらなくなる。
調節と共に「イオリ」が整えられていく。
しゅる……と余った紐を手のひらに滑らせ前へ回し、最後に裏へしまい込んだ。
「どうする、真壁。私としては……」
「いや、良い。お前がそう言うならな」
真壁が煙草を取り出し、瀬戸は再び「禁煙だよ」と苦笑した。肩をすくめた彼は、構わず火をつける。
「小倉さん、どうぞ」
「ありがとうございます」
相馬が、下着を差し出した。
「さて、診察は以上だが――」
イオリが再び椅子に腰を下ろすと、瀬戸が立ち上がり一歩踏み出す。隣に、相馬が視線を伏せ、何かの箱を持ってやってきた。
「贈り物があるんだ」
聞き慣れない言葉に、身体が固まった。
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