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第6章 幻惑の森 / 第17話
それでも、森を抜けるために歩みを進める。どこから幻惑が襲ってくるか分からない。不安と恐怖を抱えながら、前を見据える。
そこで、アヴリルの足が止まった。
「またか……。そこ、退いて」
アヴリルが見せているのはいつもの呆れ顔ではない。口元が引きつった、悲しそうな表情だ。盾を持つ手も震えている。
「アヴリル、何が見えてるんだ?」
リックスが問いかけても、返事はない。
「退いてったら! あんたたちがあたしの前に現れるなんて、幻でしかないんだから!」
とうとう、アヴリルの瞳から雫が零れ落ちる。
「アヴリル、どうしたんだ……?」
「リックスも、さっきこうなってたぞ」
「えっ……」
リックスは伸ばしかけた手をそのままに、瞳を震わせる。
私が魔法を使えば、アヴリルの幻惑は解けるだろう。アヴリルが見詰める前方へと左手を翳し、水よ起きろと念じる。
瞬く間に滝のような水が天から降り注ぎ、アヴリルは我に返ったように口を小さく開けた。
「……ごめん、お父さん、お母さん」
たったそれだけで、なんとなくアヴリルが見ていたものを察してしまう。私の方こそ、勝手に覗いてしまってごめんなさい。そんな言葉も自然と心に溢れてくる。
アヴリルは涙で濡れた頬を手の甲で拭い、ぐっと目に力を込めた。
「あとはノエルとオフィーリア。悪いけど、オフィーリアは幻惑から助け出せないから。自分で何とかして」
アヴリルの声は震えている。よほど、幻惑が堪えたのだろう。
ノエルは何も言わず、拳を握る。私も何も言葉が出てこず、僅かに俯いてしまった。
森は続く。私たちの不安を飲み込むかのように、紫の霧は濃くなっていく。
今度はノエルの足が止まった。
「これが幻惑、か」
小さく呟くと、剣の柄に手を掛ける。
「俺の時は、やたらと物騒じゃないか。三人がかりで俺を殺そうってか?」
しかし、ノエルは口角を上げる。
「生憎、三人は俺に刃を向けるような仲間じゃない。去れ」
私が魔法を放つ間もなく、ノエルは斬撃を放つ。幻惑が掻き消えたのか、ノエルは膝から崩れ落ちてしまった。
「さっすがノエルー! 自分でやっつけちゃうなんてね!」
「俺の幻惑は分かりやすかったからな。でも、さすがに神経を持っていかれるな……」
ノエルの予測通り、私たちが幻惑としてノエルに襲いかかたのだろう。信用している仲間に裏切られるところなんて、想像したくもない。
「……許せない」
自然と私の口から洩れていた。
私たちは更に進む。別れ道もない、まっすぐな一本道だ。迷うことはなかった。
先に明かりが見えたような気がして、口元が一気に緩む。アヴリルの表情も明るい。
「もうすぐ出口に着くよ! もしかしたら、オフィーリアは幻惑に襲われなくても済むかもね」
「幻惑に襲われないって……そんなことあるのか?」
「うーん、奇跡に近い」
「駄目じゃんか」
リックスがアヴリルに溜め息を吐いてみせる。
後は私が乗り越えればいい。父の姿が見えたら、幻だと割り切って水を浴びせればいい。そんなふうに、単純に割り切ろうとしていた。
ところが、私が見たものは、そんな次元とはかけ離れていたのだ。
前方に現れたのは、黒の短髪にグレーの瞳の騎士――父の姿ではない。
「エスメラルダ」
言われた途端に、心臓が妙に脈打った。
「私は……エスメラルダなんかじゃない」
幻惑の影響なのか、視線が騎士から離れてくれない。
「君はエスメラルダだよ」
「違う」
「早く私のところに来てくれ」
「止めて……ローレンス!」
自分の口から飛び出した言葉に、戦慄を覚えた。私は、ローレンスなんていう人は知らない。エスメラルダの夢の中で見ただけだ。父ではなく、ローレンスが私の一番大切な人だというのだろうか。
そんなの認めない。
私が私であるために、前方へと左手を翳す。それなのに、ローレンスの笑顔が優しいのだ。私が攻撃しようとしているのを見ているはずなのに。
一滴の涙が私の瞳から零れ落ちる。
「オフィーリア!」
一瞬だけ、リックスの叫び声が彼方に聞こえた気がする。そうだ、これはただの幻惑だ。森が何と言おうとも、私が一番大切にしているのは父――私だけが心の中で信じていればいい。
ローレンスに向かって左手を翳す。頭の中で滝がローレンスを襲うところをイメージすると、その通りのことが現実で起きた。
幻惑が消えた。私の周りにはノエルとリックス、そしてアヴリルがいて、険しい顔をこちらに向けている。膝から力が抜けた。
「何でお父さんじゃないの……?」
幻でいいから、一目だけでも父に会いたかった。そんな願いもあっさりと打ち砕かれていく。
リックスは私の前にしゃがみ込み、私の顔を覗き込む。
「オフィーリア。ローレンスって……誰?」
「私が会ったこともない人。エスメラルダの恋人だったんだと……思う」
「何でそんな人が……?」
リックスが訝ると、横にいたアヴリルは首を軽く振る。
「オフィーリアにとって、そのローレンスって人が一番大事なんだろうね」
違う。私の一番大事な人は父だ。上手く声にならず、言葉を飲み込んでしまう。
「会ったこともない人が一番大事なんて……そんな馬鹿げた話があるか?」
「オフィーリア自身が言ってたじゃん。『エスメラルダだったんだと思う』って」
ノエルが疑問をぶつけても、アヴリルが覆してしまう。私も反論の余地がなくなってしまった。
自分が言った言葉がこんな形で返ってくるなんて。予想すらしていなかった。
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