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第2話 / 全14話
「おい、冗談だろ……!?」
重厚な金属音が空間に響き渡り、巨大冷凍施設の扉が完全に閉ざされた。
一瞬にして世界から音が消え去り、耳を圧迫するような不気味な静寂が襲いかかる。
「開けてくれ! 誰か、誰かいないのか!」
ケイジは半ばパニックに陥りながら、目の前を阻む厚い鉄の扉に飛びついた。
夢中で拳を叩きつける。重く鈍い打撃音が虚しく室内に響くだけで、外からの応答は一切ない。手の甲に痛みが走るのも構わず、今度は肩をぶつけ、何度も扉を揺らそうと試みた。だが、頑丈な断熱扉は微動だにしなかった。
非常用の解錠ハンドルに手をかけ、体重をかけて引き下げる。しかし、金属レバーは固く噛み合ったまま、ギチギチと鈍い音を立てるだけで一向に動く気配を見せない。
「嘘だろ……なんで動かないんだよ!」
不注意だった。ほんの僅かな確認不足。ほんの数分で済む作業だからと高を括り、内部からの安全確保を怠った結果がこれだった。
激しく呼吸を乱すたび、肺に入り込む空気が刺すように冷たい。吐き出した息は驚くほど濃い白煙となり、目の前の暗闇の中に消えていく。
落ち着け、とケイジは必死に自分に言い聞かせた。慌てるな。ポケットに手をつっこみ、急速に冷えていくスマートフォンを引っ張り出す。
暗い室内で、液晶画面の青白い光がケイジの青ざめた顔を不気味に照らし出した。
藁にもすがる思いで、一番上に表示されている連絡先――外で作業を分担していたタカシの名前をタップする。
「頼む、気づいてくれタカシ……! お願いだ、電話に出てくれ!」
祈るような心地で画面を見つめた。しかし、スピーカーからコール音が鳴ることはなかった。
画面の右上、電波強度を示すアンテナマークの横には、冷酷な二文字が刻まれていた。
『圏外』
「な……っ!?」
何度画面をタップしても、発信エラーの表示が虚しく弾き返されるだけだった。
厚いコンクリートと強固な断熱材で覆われたこの巨大冷凍施設の中まで、外の電波が届くはずもなかったのだ。
「そんな……嘘だろ……」
ケイジの手から力が抜け、スマートフォンを握りしめた指先が急速に体温を失っていく。
画面の明かりがふっと消えると、再び底なしの暗闇が室内を支配した。
その時、頭上から「グォォォン」という重低音が響き渡り、巨大な冷却ファンが勢いを増して動き始めた。
一気に吹き荒れる極冷の風。
それは一瞬にして作業着を通り抜け、ケイジの肌を直接苛み始めた。体中の熱が、目に見える速さで外気へと奪われていくのがわかる。
「寒い……っ」
鳥肌が一気に全身に立ち、皮膚がピリピリとした刺すような痛みを訴え始める。
この巨大冷凍倉庫の室内温度は、人体など容易く凍りつかせる領域に設定されているはずだ。ここに閉じ込められたまま時間が経てばどうなるか、考えるだけでも恐怖で血の気が引いていく。
闇の中、猛烈な冷気がケイジの体を容赦なく包み込んでいく。冷気とともに、底知れない焦燥と恐怖がじわじわと全身を侵食し始めていた。
「がたがた、ガタガタガタッ……!」
歯の根が噛み合わず、勝手に打ち鳴らされる音が暗闇に響いた。
冷気はもはや衣服の隙間から忍び寄るなどという生易しいものではない。極冷の刃となって、全身の皮膚を、肉を、骨を容赦なく削り取っていく。
「痛い……痛い痛い痛いっ……!」
寒さを通り越し、激しい痛みが体を苛んだ。
千本の針で同時に全身を突き刺されているような、あるいは生きたまま皮膚を剥ぎ取られているような地獄の苦しみ。あまりの痛痛しさにケイジはその場にしゃがみ込み、抱え込むようにして小さくなった。少しでも体温の放散を防ごうとするが、そんな抵抗など吹けば飛ぶような無駄あが気に過ぎない。
爪先から順に感覚が消えていく。最初はジリジリとした痺れだったものが、やがて冷たい鉄の棒へと変わったように硬直し、まったく動かなくなった。膝の関節までがキシキシと軋み、自分の体でありながら制御が利かなくなっていく。
(なんで……なんでこんなことになったんだ……!)
頭の中で、激しい後悔の渦が吹き荒れた。
たった一度の油断だった。
ドアストッパーを噛ませるという、ごく当たり前の手順。ほんの二、三秒で終わるはずの確認。それを「まあいいか、すぐ戻るし」と怠った。たったそれだけの、ほんの僅かな過ち。
その一瞬の怠慢が、自分の命をここまで急速に追い詰めると誰が予想できただろうか。
「くそっ……俺の、せいなのか……? こんな……こんなバカな間違いひとつで、俺は死ぬのか……!?」
掠れた声で叫ぶが、吹き荒れるファンの重低音にかき消された。
死ぬ。その二文字が、凍りついた脳裏にあまりにも鮮明に浮かび上がった。
嫌だ。そんなことは絶対に受け入れられない。
俺はまだ、何も成し遂げていないのだ。夢も、目標も、将来の約束も、何ひとつ形にできないまま、こんな薄暗く冷たい金属の箱の中で終わってしまうというのか。誰にも気づかれず、誰にも助けられず、明日の朝にはただのカチカチに凍りついた肉塊として発見される……。
あまりの絶望と死への恐怖に、胸が激しく押し潰されそうになった。
「助けてくれ……誰か……タカシ……誰でもいい……頼むから助けてくれよ……っ!」
必死に声を張り上げようとしても、喉が凍りついたようにひくひくと震えるだけで、情けない擦れ音しか出ない。肺の中まで冷気が侵入し、息を吸い込むたびに内臓が凍えていくような感覚に苛まれる。
情けなさと、恐ろしさと、圧倒的な無力感。
さまざまな感情が溢れ出し、ケイジの目から熱い涙がこぼれ落ちた。
「嫌だ……死にたくない……! まだ……まだ死にたくないんだ……っ!」
しかし、その溢れ出た涙すらも、この絶対零度の世界では許されなかった。
頬を伝うわずかな温もりは一瞬で奪われ、冷酷な冷気によって肌の上でカリカリと固まっていく。涙が凍りついて引きつる頬の感覚が、死が刻一秒と近づいていることを残酷に物語っていた。
逃げ場はない。助けも来ない。
絶望という名の氷の鎖が、ケイジの全身をじわじわと、確実に縛り上げていくのだった。
痛みが、ふっと薄らいでいった。
だがそれは、救いなどでは断じてない。極冷の刃によって神経そのものが麻痺し、全身の感覚細胞が死滅し始めた証だった。
あんなに激しく打ち鳴らされていた歯の根の音が止まる。全身を襲っていた猛烈な震えすらも消え去り、肉体はまるで一筋の温もりも残っていない凍土のように冷たく硬化していた。
「あ……が……っ」
口唇を動かそうとしても、硬直した顔の筋肉は微動だにしない。声にならないかすかな吐息すら、もはや白く立ち上ることさえなかった。肺が冷気で凍りつき、酸素を吸い込むことすら満足にできなくなっている。
ドックン……ドックン……と、胸の奥で心臓が頼りなく脈打つ音が聞こえる。
しかし、その打動は刻一刻と遅く、そして小さくなっていた。体内で途絶えかけた血流はドロドロと粘度を増し、脳へと酸素と熱を運ぶ機能を失いつつある。
(死ぬ……俺は、本当に……ここで死ぬのか……?)
凍りつきかけた脳裏に、最後に残された思考の破片が浮かんでは消えた。
あまりにも呆気ない最後だった。二十余年の人生、何か大きな偉業を成し遂げたわけでもない。誰かに強く必要とされる存在になれたわけでもない。ただなんとなく毎日を過ごし、そしてこんな暗く冷たい巨大な金属の箱の中で、誰に看取られることもなくカチカチの肉塊となって果てるのだ。
悔しい。恐ろしい。情けない。
溢れ出る感情のすべてが氷の刃となって胸を刺すが、もはや涙を流すことすら叶わない。
(ふざけるな……っ! こんな……こんなところで……終わってたまるか……!)
魂の底から絶叫しようとした。けれど、声帯は完全に凍結し、指先ひとつ動かすことすらできなかった。抵抗する術は完全に潰されていた。
急速に、視界の周縁から濃厚な漆黒が侵食してくる。
巨大冷凍倉庫の薄暗い天井も、冷気を吐き出し続けるファンの影も、すべてが深い闇の中へと呑み込まれていく。光が消えていくのではない。ケイジの視神経が、その寿命を終えようとしているのだ。
音が遠のいていく。冷気を含んだ風の咆哮も、耳の奥で響いていた自分の血流の音も、すべてが不気味な静寂の中へと消えていく。
冷たさすら、もう感じない。
自分がどこに倒れているのか、腕がどう曲がっているのかすらわからない。肉体という概念そのものが削ぎ落とされ、氷の虚無へと溶けていく感覚。
ああ、これが『死』なのか。
人間が死を迎える瞬間というのは、こんなにも容赦なく、底なしの暗闇へと突き落とされるものなのか。
(助け……て……)
届くはずもない最期の願いが、途切れ途切れの思考の波間に溶けた。
――ドックン。
胸の奥で、掠れた鼓動が小さく一つ跳ねた。
それが、最後だった。
呼吸は完全に途絶え、心臓の脈動は二度と刻まれることはなかった。
氷点下の闇の中、ケイジの意識は深い、深い途絶の底へと、永遠に沈んでいった。
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