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第6話 / 全14話
「死ねやぁッ、氷使いィッ!」
巨躯をきしませ、豪徳寺レオン──コードネーム『ヒートブロウ』が凄まじい速度で肉迫してくる。
その両拳から放たれるのは、単なる炎ではない。空気を歪ませ、周囲の酸素を一瞬で焼き尽くすほどの超高熱の熱風だ。ゴオッと激しい咆哮を上げる熱波が、アリーナのコンクリート床を赤黒く変色させながら俺に向かって押し寄せてくる。
息を吸い込むことすら躊躇われるほどの激痛。まるで灼熱の炉の中に直接放り込まれたかのような錯覚に襲われる。
(チッ……速い上に、熱気の圧力が半端じゃねえ……!)
俺はすぐさま右手に意識を集中させた。
射程は俺の身体を中心とした、半径わずか一メートル。
敵の熱風がその絶対領域に侵入した瞬間、俺は胸の奥の冷気リソースを叩きつけ、空中のわずかな水分と床に散った汗を一気に引き寄せた。
「──『氷壁』ッ!」
ピキキィッ!
俺の目の前に、厚さ十センチを超える頑丈な氷の盾が形成される。
前回の戦いで鉄パイプの撃ち込みすら相殺した、密度の高い結晶構造を持つ防壁だ。
だが──。
ジュワアアアアアアアアッッッ!!!
「なっ……!?」
衝撃音すら鳴らなかった。
レオンの放った熱風拳が氷壁に触れた瞬間、激しい重低音とともに、爆発的な白い水蒸気が全方向に吹き荒れた。
氷の壁は防具としての役割を果たす暇すら与えられず、一瞬で、文字通りコンマ何秒の速度でドロドロの湯気に変えられ、そのまま空気に溶けて消え去ったのだ。
「甘えんだよォッ!」
蒸気の向こう側から、炎を纏ったレオンの太い腕が突き抜けてくる。
氷の壁が消えたことで殺気立った鉄拳がダイレクトに俺の顔面へと迫った。
「くっ……!」
俺は咄嗟に体を後方へ反らし、決死の覚悟でバックステップを踏んだ。
鼻先かすかに数ミリのところを、真っ赤に熱した鉄柱のような拳が通り抜ける。それだけで前髪の先がチリチリと焼け焦げ、皮膚が火傷のような熱さに激痛を上げた。
「ハハハハハッ! 見ただろ全員!? 噂の『瞬間冷凍』も、この真夏の猛暑と俺様の熱風の前じゃただの水蒸気発生装置だァッ!」
レオンは攻撃の手を緩めず、ニヤニヤと歪んだ笑みを浮かべながら、連続で灼熱の拳を繰り出してくる。
ドゴッ! ガンッ!
レオンが腕を振るうたびに、巨大アリーナの床が熱気で爆発を起こしたように弾け飛ぶ。
俺は一メートル以内に迫る熱波に対し、必死で冷気を放出しては氷の小盾を作り、攻撃の軌道をわずかに逸らすのが精一杯だった。
しかし、作った氷はことごとく「ジュッ!」という虚しい音を立てて蒸発していく。防御としての持続時間はゼロに等しい。
「おいおい! どうした氷使い! 防御すら維持できねえで、ひたすら逃げ回るだけか!?」
頭上の巨大モニターには、闇配信の観客たちからのコメントが凄まじい勢いでお祝いのように流れていく。
『うわマジで瞬殺レベルで溶けてるwww』
『氷の盾、秒どころか一瞬で消えてて草』
『弱点突かれたらマジで何もできねえなこのフリーター』
『ヒートブロウ圧勝! 賭け金いただきだぜ!』
『解凍速度早すぎてただの温水シャワーでワロタ』
会場を埋め尽くす観客たちも、レオンの圧倒的な優勢に立ち上がり、興奮した大歓声を上げていた。
「殺せーっ! 焼き尽くせヒートブロウ!」
「氷使いのメッキが剥がれたぞ!」
汗が滝のように全身から吹き出す。だが、その汗すらもレオンが撒き散らす熱風によって、肌に留まることなく一瞬で乾き切っていった。
喉が焼きつき、視界が熱気でゆらゆらと歪む。
(クソッ……レオンの野郎、ハッタリじゃねえ。計算通り叩き込んできてやがる……!)
真夏の気温に加え、敵は熱風を自由に操る高熱の能力者。
どれだけ急激に熱を奪って物体を凍らせようが、周囲の環境と敵の攻撃自体が熱の塊である以上、作られた氷は熱エネルギーの奔流に飲み込まれ、即座に融解してしまう。
持続時間がない。
つまり、これまでの戦い方のように「凍らせて足止めする」ことも、「氷の壁で安全地帯を作る」ことも、この空間では一切通用しないのだ。
「逃げ場はねえぞ、ドブネズミがァッ!」
レオンが大きく両腕を広げ、アリーナの壁際へと俺を追い詰める。
背後には頑丈な鉄柵。退路は完全に断たれた。
「終わりだ! お前の自慢の氷ごと、その汚ねえツラを丸焦げにしてやる!!」
レオンの全身から、これまで以上の最大級の熱波が爆発的に噴出する。
真っ赤に染まるアリーナの空間。
絶体絶命の灼熱の檻の中で、俺は猛烈な汗を流しながら、死に物狂いで脳みそを高速回転させていた。
「ハハハッ! 年貢の納め時だな、フリーター! その汚ねえツラごと、炭にしてやるよォッ!」
レオンの猛威がアリーナ全体を呑み込んでいく。
燃えさかる炎と、空気を歪める熱波の奔流。背後の鉄柵に背中が触れ、逃げ場はどこにもない。汗は吹き出した瞬間に蒸発し、皮膚の表面がチリチリと引きつる。呼吸をするたびに肺が焼き尽くされそうな激痛が襲う。
(……待て。落ち着け、ケイジ。考えろ)
俺は必死で意識を研ぎ澄まし、目の前で繰り広げられる現象を観察した。
レオンは勝ち誇り、観客は俺の敗北を確信している。だが、俺の脳裏には、先ほどから違和感として引っかかっていた『ある物理現象』が鮮明に浮かび上がっていた。
──氷が一瞬で溶けて、湯気になって消える。
敵はそれを「夏場だから解凍速度が早いゴミ能力」と笑った。
だが、物理の基本は違う。
(氷が溶けて水になり、水が蒸発して気体になる時……何が起きてる?)
状態変化だ。
物質が固形から液体、そして気体へと変化する際、周囲から膨大な熱エネルギーを奪い去る。これがいわゆる『融解熱』であり『気化熱』だ。
つまり、俺の氷が溶かされているのではない。俺の作った氷が溶けることによって、レオンが放った莫大な熱エネルギーが、一方的に相殺され、奪い取られているのだ。
(敵が高熱であればあるほど……俺の氷が解凍される瞬間の『熱奪取』の効率は爆発的に跳ね上がる!)
思考のギアが、ガチリと噛み合わさる。
さらに俺の視線は、レオンが全身に纏っている重厚なプロテクター──赤黒く発光する特製の『熱伝導金属甲冑』へと注がれた。
高熱の能力者であるレオンは、自らの熱で自爆しないよう、熱を効率よく放散する熱伝導率の高い特殊合金を全身に身につけている。
今、その金属甲冑はレオン自身の放つ超高熱によって限界まで加熱され、真っ赤に輝いていた。
熱膨張だ。金属は熱を加えると膨張し、分子と分子の間隔が限界まで広がる。甲冑の表面からは、ミシミシと悲鳴のような微小な金属摩擦音が絶え間なく上がっていた。
(高熱で限界まで膨張しきった金属……そこに、俺のマイナス百数十度の冷気がぶち当たったら、どうなる?)
答えは一つしかない。
熱衝撃──『ヒートショック』だ。
熱湯を注いだガラスコップに、突然氷水を叩きつけるとどうなるか。
膨張していた分子が一瞬で強制的に超収縮を起こし、内部応力に耐え切れなくなった結晶構造が、一瞬でズタズタに崩壊して粉々に割れる。
レオンが誇る高熱環境、そして「すぐ溶ける」という夏の弱点。
それこそが、この熱伝導甲冑を内側から破壊するための、最高の条件(お膳立て)だったのだ。
(解凍速度が早い? 持続時間がない? ……ハッ、結構なことじゃねえか)
溶けるなら、溶かせばいい。
急激に冷やし、敵自身の熱で急激に溶かす。その極端な寒暖差をコンマ数秒の間に何度も繰り返し叩き込めば──あの頑丈な金属甲冑は、一粒の砂利すら防げないガラス屑と化す!
じわじわと、胸の奥から狂気を含んだ熱い感情が込み上げてくるのが分かった。
弱点を突かれて追い詰められたんじゃない。
勝利のためのピースが、最初からすべて揃っていたのだ。
「……ヒハッ」
不意に漏れ出た俺の笑い声に、目前まで迫っていたレオンが不快そうに眉をひそめた。
「何が笑える、負け犬が! 恐怖で頭でもイカれたかッ!?」
「いやあ……感謝してんだよ、熱波の煽り屋さん」
俺は両腕をダラリと下げ、あえて無防備な体勢をとった。
視線は真っ直ぐ、迫り来るレオンの胸元──限界まで赤熱し、ミシミシと歪んでいる金属甲冑の目盛りに注がれている。
「お前が自慢の熱気で、俺の最高の仕込み(ステージ)を整えてくれたからな!」
「言わせておけばァッ! そのまま焼死体になれぇぇッ!!」
レオンが咆哮し、右拳に全熱量を凝縮させる。
爆ぜる炎、渦巻く熱波。アリーナの空気が爆発的な勢いで膨張し、音速に近い速度で灼熱の鉄拳が放たれた。
距離、二メートル。
一メートル。
俺の『絶対領域』へと、自ら最大の熱源が飛び込んでくる。
(来いよ……! 物理の実験の時間だッ!)
俺は右手のひらを固く握り締め、胸の奥に眠るすべての冷気リソースを、限界を超えて解き放つ準備を整えた。
「──瞬間、冷凍ッッ!!」
踏み込んできたレオンの炎の拳を紙一重でかわし、俺は右手のひらを、奴の胸元へと叩きつけた。
狙うのは肉体ではない。レオンが全身に纏う、超高熱で赤黒く膨張しきった『熱伝導金属甲冑』そのものだ。
胸の奥に溜め込んでいた冷気のリソースを、惜しみなく、一滴残らず全開放する。
俺の手のひらから放たれた極冷の波動が、真っ赤に加熱された金属の表面へと直接流し込まれた。
ジュゥゥゥゥ……ッッ!!
一瞬、激しい水蒸気が上がった。だが、それはほんの刹那のことだ。
超高熱で限界まで分子間距離が広がり、膨張しきっていた金属に対し、マイナス百数十度の絶対的な冷気が間髪入れずに襲いかかる。
膨張からの、強制的な超急速収縮。
急激な寒暖差によって金属内部に凄まじい引っ張り応力が発生し、結晶構造が耐えきれなくなって崩壊を起こす。
──物理現象、ヒートショック!
ギシィィィィィィンッッ!!!
アリーナ全体に、耳を刺すような高音が響き渡った。
レオンの胸甲冑を中心に、蜘蛛の巣状の白い亀裂が一瞬で全身へと駆け巡る。
「な……ッ!? な、なんだ!? 俺の、甲冑が……ッ!?」
レオンの顔から余裕が完全に消え去り、驚愕と恐怖で目が限界まで見開かれた。
何が起きているのか理解できない奴の目の前で、物理の法則は無慈悲にその牙を剥く。
パキィィィィィンッッ!!!
小気味よい破壊音とともに、かつては頑丈極まりなかった熱伝導甲冑が、まるで薄いガラス細工のように粉々に弾け飛んだ。
キラキラと光る金属の破片が、灼熱のアリーナに美しく舞い散る。
「ガっ……ぁぁあああっ!?」
さらに、甲冑の粉砕だけでは終わらない。
直前まで超高熱の環境で汗をかき、自ら加熱状態にあったレオンの皮膚と血管に、甲冑を伝って極冷の寒気がダイレクトに突き刺さったのだ。
猛暑と高熱からの、一瞬にして訪れる極寒。急激な血圧の変動と自律神経への過大な負荷──人体における本物の『ヒートショック』が、レオンの巨体を襲う。
劇的な寒暖差にショックを受けたレオンは、呼吸を詰まらせ、激しく全身を痙攣させてその場に凍りついたように直立した。
全身の防具を失い、動きも完全に止まった無防備な肉体。
「夏場はすぐ溶ける、だぁ?」
俺は冷気を使い果たし、肩で激しく息を吐き出しながらも、不敵に口元を歪めた。
「溶かさせてもらったよ。……お前の自慢の鎧ごとな!」
冷気リソースはもう空っぽだ。だが、俺にはまだ、この拳がある。
俺は全身の体重を乗せ、ノーガードで硬直しているレオンの顎に向かって、渾身の右ストレートを叩き込んだ。
ドガッッ!!!
鈍い肉小音が響き、レオンの巨体が宙を舞う。
白目を剥いた熱波の煽り屋は、そのまま背中からコンクリートの床へと豪快に倒れ込み、二度と動かなくなった。
沈黙。
数秒前までの熱狂が嘘のように、巨大アリーナ全体がシーーンと静まり返る。
倒れたレオンと、その横で息を荒くしながら立つ一人のフリーターを、観客全員が呆然と見つめていた。
そして──。
『か、勝者ぁぁぁぁッ! 氷使い、ケイジィィィィッッ!!』
実況の叫び声がスピーカーから爆音で響き渡った瞬間、アリーナ全体が揺れるほどの地鳴りのような大歓声が巻き起こった。
「うおおおぉぉぉぉッ!? マジかよ!!」
「鎧が砕けたぞ!? 何が起きたんだ!?」
「ヒートショック!? 高熱を利用して金属を砕いたのか!?」
「すげえええええ! あんなの勝てるわけねえだろ!」
頭上の巨大モニターには、闇配信の視聴者からのコメントが視認できないほどの超高速で流れ落ちていく。
『【朗報】フリーターさん、物理の授業で逆転KOwww』
『ヒートショックで甲冑粉砕とか天才かよ!!』
『解凍速度の早さを逆に利用したのか!』
『熱波使いが寒暖差ショックで沈んで草www』
『投げ銭ぶち込むわ!! 最高のファイトだったぞ!!』
画面を埋め尽くす大量のエフェクト。投げ銭の通知が止まらない。
スマホの画面を確認するまでもなく、今回のファイトマネーと配信収益で、桁外れの大金が俺の口座に転がり込むのは確実だった。
俺は額の汗を乱暴に拭い、砕け散った金属片が転がる床を見下ろした。
エアコンもないボロアパートで、ぬるい水を冷やすことしかできなかった俺が、今や万人の歓声を浴び、一夜にして大金を稼ぎ出している。
「ハッ……ハハッ」
胸の奥から、勝ち誇ったような笑いがこみ上げてくる。
弱点を突かれようが関係ない。
制約があろうが関係ない。
知恵を絞り、泥臭く物理で逆転すれば、俺はどこまでも成り上がれるのだ。
大歓声が響き渡るアリーナの真ん中で、俺は拳を強く握り締め、これから始まる新しい人生の輝きに、口元を大きく歪めてみせた。
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