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第5話 / 全14話
「はぁ……はぁ……」
冷気リソースを限界まで絞り出し、膝をついた俺の目の前で、金属使いの男がぴくりとも動かなくなっていた。足元はコンクリートと強固に氷結し、自慢の鉄パイプも粉々に砕け散っている。
完全に俺の勝ちだ。
だが、安堵のため息を吐いた瞬間、静まり返った廃ビルの中に「ブーン」という不快な羽音が響き渡った。
「あん……? なんだ?」
見上げると、天井付近の薄暗がりから、手のひらサイズの小型ドローンが滑らかに降りてきていた。赤く点滅するレンズが、まるで生き物のようにじっと俺を捉えている。
一瞬、敵の増援かと思って身構えたが、冷気リソースは底を突いている。もし攻撃されたら終わりだ──そう焦った直後、ポケットの中でスマホが狂ったように震え始めた。
ピコン! ピピコン! ピコン!
連続する通知音。画面を開くと、見覚えのない謎の配信アプリが勝手に起動していた。
画面の上に躍り出ていたタイトルは──『【初配信】射程1mの氷使いvs金属使い! 物理トラップで逆転劇!【闇異能ファイト】』。
「なっ……なんだこれ!?」
視聴者数はリアルタイムで十万人を超え、画面を覆い尽くすほどのコメントが高速で流れていく。
『うおおお!? 鉄パイプを低温脆性で叩き割りやがった!』
『物理知識で勝つ氷使いとか激熱すぎるだろwww』
『近接限定の制約を水膜トラップでカバーするとか天才かよ!』
『投げ銭ぶち込めえええ!!』
ドロロロン! という派手な効果音と共に、画面下にカラフルなギフト通知が怒涛のように流れていく。
【ユーザーAが10,000ptを送りました】
【ユーザーBが50,000ptを送りました】
【ユーザーCが100,000ptを送りました】
「……は? じゅ、じゅうまん、ポイント……?」
画面上の「獲得ポイント換金ボタン」を恐る恐るタップしてみる。
口座残高:375,000円。
「さ、三十七万……!? 一回のバトルで!?」
俺の心臓がドクンと跳ね上がった。
たまに日雇いバイトをして、日銭を数千円稼ぐのが関の山だったこの俺が。エアコンも冷蔵庫もないボロアパートで、生ぬるい水を飲んで飢えを凌いでいた俺が。
たった数分間、死に物狂いで頭を捻って戦っただけで、一ヶ月分の生活費を遥かに超える大金が手に入ったのだ。
ドローンから、歪んだ電子音が聞こえた。
『素晴らしいファイトだったぞ、新星』
「……誰だ?」
『私は闇異能ファイトのプロモーターだ。今の戦い、配信は大バズりだよ。君のような泥臭く頭脳で勝つタイプは、観客が最も熱狂するプロレス的カタルシスを持っている。……どうだ? こんな廃ビルの野試合ではなく、公式ファイトのリングに上がらないか?』
「公式ファイト……?」
『ああ。賞金額は今の比ではない。勝ち続ければ億単位の金と、誰もがひれ伏す富と名声が手に入る。君のその『瞬間冷凍』の力を、世界中に見せつけてやろうじゃないか』
億。その単語が脳裏に強く焼き付く。
回らない高級寿司、クーラーの効いた豪華な部屋、誰も俺をバカにできない圧倒的な成功者としての人生。
そんなものが、この右手の力一つで手に入るというのか。
「……いいぜ。やってやるよ」
俺は湧き上がる欲望を隠そうともせず、ドローンのカメラを見つめてニヤリと笑った。
*
数日後。指定された地下特設バトル会場。
そこは元地下駐車場を改造した巨大な全天候型アリーナだった。重厚な鉄扉を押し開けた瞬間、耳を刺すような大歓声と、眩い照明の光が俺を呑み込んだ。
「うおっ……すげえ熱気だな……」
中央に作られた特設リングを囲むように、超満員の観客がすり鉢状の客席を埋め尽くしている。頭上には無数の撮影ドローンが滞空し、世界中にこの熱狂を生中継していた。
ボロアパートの灼熱とは違う、人間の欲望と熱狂が渦巻く熱気。
俺はポケットの中で右手を強く握りしめた。
ここが、俺の成り上がりの舞台だ。もう二度と、あの底辺の暮らしには戻らない。すべてを凍らせて、トップまで駆け上がってやる。
『さあ、お待たせいたしましたッ! 今宵の闇異能ファイト、注目のメインカードがいよいよ開幕だァァッ!』
アリーナ全体に設置された大型スピーカーから、割れんばかりの爆音が響き渡った。
頭上に設置された巨大な四面モニターには、俺の顔写真と、配信画面から切り抜かれた前回の戦いのハイライトが映し出されている。
『青コーナー! 前回の配信で金属使いを怒涛の物理トラップで粉砕! ネットを大炎上させた超新星! 半径一メートルの絶対凍結──ケイジィィィッ!』
ドッと湧き上がる歓声と、それ以上に激しい野次。
アリーナを埋め尽くす観客たちの目が、一斉に俺に注がれる。頭上を旋回する数十台のカメラドローンが、様々な角度から俺の姿を捉え、リアルタイムで世界中へ映像を流していた。
(すげえ……本当に大勢の奴らが、俺を見てやがる)
ボロアパートで誰にも知られず、ひっそりと飢えや暑さに耐えていた俺が、今やこの巨大なアリーナの中心に立っている。
胸の奥で、ドクドクと心臓が熱く脈動する。恐怖はない。あるのは、これから掴み取るであろう膨大な金と名声へのぞくぞくするような興奮だけだ。
だが、会場のボルテージがさらに跳ね上がったのは、次のアナウンスが響いた瞬間だった。
『そして対する赤コーナー! 連勝街道を突き進む灼熱の破壊者! 全てを焦がす高熱の覇者──コードネーム『ヒートブロウ』! 豪徳寺レオンの登場だァァァッ!!』
ズドンッッ!!!
爆音と共に、赤コーナー側の入場ゲートから、真っ赤な炎の柱が何本も天井へ向かって噴き上がった。
ゴオオオオッという凄まじい燃焼音がアリーナを震わせる。瞬時に押し寄せてきた熱波に、前列の観客たちが「うおっ!」「あっつ!?」と悲鳴を上げて顔を覆った。
ゆらゆらと空間が歪む炎のカーテンを押し分けて、一人の男がゆっくりと姿を現した。
豪徳寺レオン。
真っ赤な特注の高級レザージャケットを羽織り、胸元を大きく肌蹴させたその体躯は、鍛え上げられた筋肉で極太に引き締まっている。金髪を逆立て、鋭い眼光で俺を睨みつける立ち姿は、まさに格闘技の王者の風格そのものだった。
そして何より異常だったのは、男の全身から放たれている『熱量』だ。
男が歩を進めるたびに、その足元から陽炎が揺らめき、足跡のコンクリートが黒く焦げていく。
ただそこに立っているだけで、男の周囲数メートルの空気が物理的に歪み、耐え難いほどの熱気が津波のように押し寄せてくるのだ。
「……なっ……!?」
俺は思わず一歩、脚を引いた。
ボロアパートの真夏の暑さなど、これに比べれば涼風のようなものだ。まるで巨大な温風ヒーターの吹き出し口の真前に立たされたかのような、肌がジリジリと焼ける感覚。額から大量の汗が一気に噴き出し、視界が滲む。
(なんだこの熱気は……! 触れてもいないのに、遠くから熱風が皮膚を刺してきやがる……!)
観客席からは、割れんばかりの「ヒートブロウ!」コールが巻き起こっていた。
『見よ、この圧倒的な熱量! 豪徳寺レオンの全身から放たれる熱波動により、アリーナの室温はすでに四十度を突破ぁぁ! まさに歩く灼熱地獄だァッ!』
実況の声が興奮気味にアリーナを揺らす。
豪徳寺レオンは観客の歓声に応えるように両手を広げると、不敵な笑みを浮かべながら、ゆっくりとリングの中央へと足を進めてきた。
男が近付くにつれ、空気中の水分が蒸発していくかのように、喉と鼻の奥がカサカサに乾いていく。
俺の『瞬間冷凍』は熱を奪う能力だ。だが、目の前に立つこの男は、存在そのものが無限の熱源であるかのように圧倒的な熱量を放っている。
リング中央、距離にしてわずか三メートル。
豪徳寺レオンは脚を止め、見下ろすような高圧的な視線で、俺の全身を品定めするようにじろじろと眺めた。
「へっ、お前が噂の氷使いか」
レオンの口から漏れた息すらも、白い湯気となって揺らめいていた。
男の周囲に漂う超高熱の空気は、俺の肌を焦がさんばかりに猛威を振るっている。
だが、俺は怯まなかった。額の汗を乱暴に袖で拭い、不敵に口元を歪めて男の視線を受け止める。
(どれだけ熱かろうが関係ねえ。俺の能力は『熱を奪う』ことだ。お前が熱ければ熱いほど、奪い甲斐があるってもんさ……!)
闇異能ファイトの特設リングの上、氷と炎──相容れぬ二つの異能が正面から激突する直前の、緊迫した空気が二人の間を満たしていく。
アリーナの熱気は、完全に最高潮へと達していた。
豪徳寺レオンは鼻で笑うと、上空を旋回する大型撮影ドローンへ向かって大袈裟に両手を突き掲げた。
「おいおい! 世界中のリスナーども、よく見とけよ! こいつが前回の闇配信で一発当てて調子に乗ってる、貧乏人のラッキーボーイ様だァ!」
会場に設置された巨大スピーカーから、レオンの野太く通り通る声が爆音で響き渡る。まるでプロレスのプレスマイクそのもののド派手な煽り文句に、アリーナ全体からワーッと歓声と指笛が巻き起こった。
「前回の試合、俺もじっくり見させてもらったぜ? 水膜だの低温脆性だの、小賢しい物理の授業ごっこで勝ち拾ったそうじゃねえか。……だがな!」
レオンは急に言葉を区切ると、ニタリと下品に口元を歪め、俺の顔に太い人差し指を突きつけてきた。
「お前のその自慢の『瞬間冷凍』……重大な欠陥があることに、俺様が気づいてねえとでも思ったか!?」
「……あ?」
俺が眉をひそめると、レオンはカメラに向かって大きく肩をすくめ、大声で観客席へ問いかけた。
「教えてやるよ! いまが何月か、みんな知ってるよな!? そう、クソ暑い『真夏』だ! そして、こいつの能力の本質……凍らせるだけ凍らせて、あとはただの氷! つまり──夏場の猛暑の中じゃ、持続時間がゴミみたいに短くて、あっという間に解凍されちまうってことだァッ!」
「なっ……!?」
心臓が跳ね上がった。
(こいつ……俺の配信映像から、解凍までの時間を計算しやがったのか……!?)
確かに、俺の凍結能力は対象の熱を奪って瞬間冷凍させるものだ。だが、氷そのものに特殊な耐久性や永続性があるわけではない。この灼熱の真夏、しかも周囲の熱気を一気に上げるヒートブロウの真前では、せっかく作った氷も、あるいは凍らせた足止めも、秒単位で溶けてただの水に戻ってしまう。
「ハハハハッ! 観客ども、聞いたか!? 氷使いの天下もここまでだ!」
「マジかよ! 夏場じゃ秒で解凍されるってことか!?」
「弱点バレバレじゃねえか! ヒートブロウの熱風食らったら一瞬で溶けるぞ!」
「オッズ変更だ! ケイジに賭けた金返せーっ!」
頭上の巨大モニターには、配信のリアルタイムコメントが怒涛の勢いで流れていた。
『【朗報】氷使いさん、季節の概念に敗北www』
『熱波使い相手に夏場とか一番相性悪くて草』
『秒で溶かされて丸焦げ確定だな』
『一発屋のフリーター乙www』
アリーナ全体を包み込むのは、格下と看破された俺に対する容赦のないブーイングと嘲笑の嵐だ。
汗が頬を伝い、アゴの先からポタリと床へ落ちる。落ちた汗は、レオンの放つ熱気ですぐにジュッと音を立てて蒸発した。
(クソッ……! 現場でいきなり一番痛い弱点を突いてきやがった……! 確かに、この猛暑とこいつの高熱じゃ、せっかく凍らせても維持できねえ……!)
一瞬、冷や汗が背中を駆け抜ける。
だが──俺の唇は、自然と不敵な笑みを刻んでいた。
「……ハッ」
俺の鼻で笑う音に、レオンが不機嫌そうに眉を跳ね上げた。
「あぁ? 何がおかしいんだ、貧乏人。己の能力の欠陥を突きつけられて、ショックで狂ったか?」
「いや……別に?」
俺は肩をすくめると、右手で乱暴に前髪をかき上げた。指先には、いつでも解き放てる極冷の感覚が確かに宿っている。
「夏場だからすぐ溶ける? だったら何だ通気口野郎。秒で溶けるってんなら──溶ける前に、その分厚い面先を氷漬けにしてブチ破ればいいだけの話だろ」
「……言わせておけば、威勢だけは一人前だなァッ!」
レオンの顔から余裕の笑みが消え、凶暴な肉食獣のような表情へと変わった。
ゴオオオオッ!!!
レオンの両拳から、爆風と共に真紅の炎が燃え上がった。周囲の空間が一瞬で赤く染まり、息を吸い込むだけで肺が灼熱で焼かれるような激痛が走る。
「後悔させてやるぜ、フリーター! お前の氷も、その生意気なツラも、俺の熱波でドロドロの黒こげにして溶かし尽くしてやるッ!!」
『出たぁぁぁッ! ヒートブロウの真骨頂、灼熱の熱風拳だァッ! 絶体絶命の氷使いケイジ、この猛暑と高熱を前にどう立ち向かうのか!? バトル開始ッッ!!』
ゴングの重厚な音が響き渡ると同時に、レオンの巨体が猛烈な熱波を撒き散らしながら、一直線に俺へ向かって突進してきた。
「来いよ、炎の煽り屋……! 成り上がりの糧にしてやるぜ!」
俺は低く身構え、右手に冷気のリソースを極限まで集約させた。
灼熱のアリーナで、億の賞金と己の生存をかけた格上との死闘が、ついに火蓋を切った。
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