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第13話 / 全14話
「な、なん……だと……ッ!?」
踏み込んだ一メートルの絶対領域。俺の右手が描く軌跡を前に、ヴァルターの顔面から完全なる余裕が削ぎ落とされた。
完璧に整えられていた王者の表情が、死への本能的な恐怖と、格下と見下していた存在に追い詰められた屈辱によって無残に歪む。
「死ねや、ヴァルターァッッ!!」
俺の叫びとともに、肉体の限界を超えて溢れ出す極冷の波動が、ヴァルターの喉元へ向かって一瞬で突き進む。
俺を中心とした半径一メートル──そこはただの冷気空間ではない。周囲の熱エネルギーを極限まで奪い尽くし、空気と飛散する金属粉すらも絶対零度近くまで冷却することで完成された、超伝導の嵐だ。
ヴァルターが長年築き上げてきた不可視の高磁場防壁が、量子ピン止め効果によって格子状に縫い留められ、ガラスのように脆く粉々に砕け散っていく。
だが──王者の称号は、伊達ではなかった。
「調子に……乗るなよ……雑種がぁぁぁッッ!!」
ヴァルターの喉から、今まで聞いたこともない獣のような咆哮が絞り出された。
奴の優雅な身なりは既に崩れ去り、血走った両目が眼球から飛び出さんばかりに見開かれる。
命の危機を察知した絶対王者は、プライドも何かもかなぐり捨て、体内に眠るあらゆる異能のリソースを絞り出した。
直後、俺とヴァルターのわずか数十センチの隙間に、空間そのものが収縮・ねじ切れるような凄まじい高磁場が再び形成された。
ドガガガガガガッッッ!!!
「ぐッ……!?」
正面から叩きつけられたのは、超高密度の磁力と力場の塊だ。
ヴァルターは残された全エネルギーを胸の前に集中させ、極限まで再圧縮した局所高磁場の「肉厚な壁」を強引に作り出したのだ。
俺の超伝導領域と、ヴァルターの超高密度力場。
相容れぬ二つの超巨大なエネルギーが、わずか一メートルの至近距離で正面から真っ向衝突した。
バチチチチチチッ!! ドカアアアンッッ!!
目も眩むような激しい紫白い放電と、絶対零度の白い冷気が交錯し、壊滅的な衝撃波となってアリーナ全体へ破裂した。
衝突の衝撃だけで、俺たちの足元のコンクリート床が深さ数十センチにわたってすり鉢状に爆砕される。破片が弾丸以上の速さで四方八方に飛び散り、アリーナの壁面を蜂の巣に変えていく。
「押し潰せぇぇぇッ! 私の領域を汚す不快な虫ケラめがぁぁッ!」
ヴァルターが血反吐をぶちまけながら、両手を前に突き出して力場を押し込んでくる。
奴の血管が額から首筋にかけて黒く浮き上がり、全細胞を焦がすような死力で高磁場を維持しようとしていた。
俺の超伝導が力場を解体・固定しようとし、ヴァルターの力場が超伝導の空間ごと俺の肉体を押し潰そうと反撃する。
至近距離での、完全なる力と理論の引っ張り合い。
空間が目視できるレベルで重たく歪み、光すらも屈折して二人の姿を異形に引き伸ばしていた。
頭上の巨大モニターと闇配信の画面には、処理速度の限界を超えた狂乱のコメントが、画面を埋め尽くして破裂しそうになっていた。
『嘘だろおいッ!? ヴァルターが耐えた撃ち合いに持ち込んだぞ!?』
『至近距離の極冷超伝導vs超高密度力場!! えぐすぎるだろこのバトル!!』
『アリーナの床がどんどん消滅してるんだがwww』
『行けケイジ!! 王者のメッキを剥がせ!!』
『ヴァルター耐えろ!! 王者の絶対領域を見せてみろ!!』
数万人を超える観客の悲鳴と大歓声、そして何千億という金額が動く投げ銭の通知音が、鼓膜を裂くほどの騒音となってアリーナを震わせる。
だが、今の俺の耳には、そんな雑音は一切届いていなかった。
(止まるかよ……! ここで引いたら俺の負けだ……ッ!)
全身の筋繊維がズタズタに千切れ、皮下血管が破裂して皮膚から真っ赤な血が噴き出し続ける。
熱を奪い尽くされた細胞が限界を告げ、全身の骨が軋み、肉体が今すぐにでも内部から四散して弾け飛びそうな激痛が全身を苛んでいた。
激痛と失血で、視界は真っ赤に染まり、思考が朦朧とする。
だが──止まるわけにはいかない!
ここで押し切れなければ、俺を待っているのはタワーマンションの贅沢でも成り上がりの栄光でもない。あのアリーナの床でぐちゃぐちゃの肉塊となって転がる、無残な「死」だけだ。
「うおおおおおおおおおッッ!!」
俺は咆哮した。
全身の骨肉が砕け散る感覚を意地と執念で無視し、右腕に宿る冷気のリソースをさらに奥深くから強引に引きずり出す。
奪え! 冷却しろ!
周囲の空間、大気、光、そして敵の解き放つ高磁場のエネルギーすらも喰らい尽くし、絶対零度の極冷へと変換しろ!
ピキキキキキキキキッ……!!
超伝導の冷却波動がさらに一段階、その密度と威力を増した。
ヴァルターが死力で維持していた高磁場の壁に、再び目に見えるほどの巨大な「亀裂」が走り始める。
「な……なに……ッ!? 馬鹿な、まだ冷却の出力が上がるというのか……!?」
ヴァルターの瞳に、完全な絶望が宿り始める。
奴が全身の全存在を賭けて繰り出した超高密度力場が、俺の超伝導によって内側から侵食され、反磁性の磁気浮上効果によって力任せに押し戻され始めていた。
「終わりだァァァッ! ヴァルターァァァッッ!!」
俺の突き出した右腕が、寸分の狂いもなくヴァルターの再圧縮した防壁を押し潰し、その喉元へと刻一刻と肉薄していく。
空間の歪みが弾け飛び、青紫の放電が霧散する。
二人の超エネルギーが激突した極限の均衡が、ついに俺の泥臭い執念によって、完全に破られようとしていた。
メリメリ、メリッ……ドカンッ!!
悲鳴のような破壊音とともに、ヴァルターが展開していた高磁場防壁が完全に粉々に砕け散った。
圧縮された空間力場が弾け飛び、衝撃波となってアリーナの床と天井を打ち振るう。
自慢の絶対防壁を力ずくで打ち破られたヴァルターの口から、どっと鮮血が噴き出した。衝撃の反動で奴の体が大きくよろめき、その優雅な面容は苦痛と激悶によって見る影もなく崩れ去っている。
ガードは完全に上がった。
奴の身体を護る障壁はどこにも存在しない。
無防備に晒されたのは、無敗の絶対王者の細い喉元だ。
(勝った……ッ! 俺の勝ちだァァァッ!!)
脳内で勝利の歓喜が暴発した。
これで俺は王者を倒す。
闇配信の投げ銭も、億単位のファイトマネーも、最高級タワーマンションの贅沢も、回らない寿司も──すべて俺の勝ち取った「成功」として、永遠に俺の手の中に残り続ける!
あの暗くて冷たいボロアパートや、凍え死にかけた巨大冷凍施設の悪夢なんて、二度と俺を脅かすことはできない!
「これで……消えろッッ!!」
俺は破裂しそうな筋肉と骨を力任せに駆動させ、血に濡れた右手をヴァルターの喉元へ向かって一直線に突き出した。
俺を中心とした半径一メートル──『瞬間冷凍』の殺戮領域。
この右手が奴の皮膚に触れた瞬間、体内の極冷リソースを一気に解気し、細胞内の水分ごと奴の首を凍結破砕してやる。
イメージは完璧だった。完璧すぎるほどに出来上がっていた。
──だが。
直後、俺の全身の皮膚を突き抜けたのは、冷気ではなく──おぞましいまでの「空虚」だった。
(……え……?)
能力を発動させようと、胸の奥底にある「冷気の源泉」へ意識を集中させた。
だが、そこに広がっていたのは、灼熱の砂漠のようにカラカラに干上がった、何一つ残っていない虚無の空間だった。
限界を超えた超伝導の連続使用。
周囲の熱を奪い尽くし、物理法則を歪めるほどの極冷を放出し続けた代償は、俺が想像していたよりも遥かに早く、そして決定的な形で訪れていたのだ。
冷気のリソース(MP)が──完全に底をついている。
「がっ……あ……ッ!?」
能力の強制停止に伴い、体内に抑え込まれていた激甚な反動が一気に逆流してきた。
熱を極限まで奪われていた細胞が悲鳴を上げ、全身の皮下組織が熱暴走を起こしたかのように灼熱の痛みに包まれる。
俺の体を包み込んでいた絶対零度の白煙が、まるで幻だったかのようにふっと空中に霧散して消え去った。
「な……に……っ!?」
突き出した俺の右手。
凍結の波動を纏うはずだったその右拳は、ただの血みどろで震える人間の手として、ヴァルターの喉元に『ペチリ』と弱々しく当たっただけだった。
ピキリとも言わない。
氷の欠片一つ生み出されない。
それどころか、俺の掌からは凍結の牙などかけらも感じられず、ただ生温かい血の感触と、相手の体温が空しく伝わってくるだけだ。
「……う、そだろ……?」
カサついた声が、喉の奥から漏れ出た。
全身の毛穴という毛穴から、今度は死への恐怖による冷や汗が噴き出す。
視界を覆っていた真っ赤な血の霧が引き、代わりに恐ろしいほどの血の気が顔面から一気に引いていくのが分かった。
冷気が出ない。
一ミリたりとも、氷が作れない。
目の前には、喉元を軽く押さえられただけの、まだ意識を保っている絶対王者が立っている。
そして──俺は今、完全に能力を失い、身動き一つ取れない丸裸の状態で、敵の懐深くに飛び込んでしまっていた。
あまりにも唐突に訪れた「死の不発」。
俺の思考は、氷よりも冷たく凍りついていた。
突進の勢いを殺しきれず、俺の身体は無防備なままヴァルターの胸元へとつのめった。
喉元を弱々しく撫で上げた右手が、力無く空を切って落ちる。
静寂。
アリーナを埋め尽くす観客の大歓声すら、一瞬途切れたかのように錯覚するほどの冷たい沈黙が、俺とヴァルターの間に横たわった。
「……ほう」
目の前で、ヴァルターの喉から低く乾いた声が漏れた。
自身の死を覚悟し、目を固く閉ざしかけていた無敗の絶対王者。
その男が、おそるおそるまぶたを開け、自分の喉元と、そこに力無く接触しただけの俺の血まみれの手を交互に見つめる。
一秒。二秒。
何が起きたのかを理解したヴァルターの顔面に、ゆっくりと、しかし狂気を孕んだ喜悦の色が広がっていった。
「く……くはっ……ハハ……ッ!」
血反吐にまみれた王者の唇が、耳まで届かんばかりに不気味に吊り上がる。
防壁を叩き割られ、肉体を酷使して満身創痍のはずの男が、勝利を確信した凶暴な笑みを浮かべて俺を見下ろしていた。
「底がついたか……成り上がり者」
「っ……あ……!」
喉が引きつり、声にならない悲鳴が口から漏れ出す。
気づいた時には、もう遅かった。
文字通りの「後の祭り」だ。
体内の冷気リソースは一滴残らず乾ききり、過剰な負荷に耐えかねた細胞が悲鳴を上げ、指先ひとつ動かす自由すら俺から奪い去っている。
顔面から血の気が完全に引き、全身の毛穴から死の恐怖による嫌な汗が吹き出した。
「一瞬……本当に自分の死を予感したぞ。まさか物理法則を超越した超伝導で私の磁場を破って見せるとはな。褒めて遣わそう……見事な悪あがきだった」
ヴァルターの言葉には、絶体絶命の危機を脱した安堵と、それ以上にドス黒い「激怒」が混じり合っていた。
王者の矜持を傷つけられ、泥臭いフリーターの策に嵌められて殺されかけた屈辱。
ヴァルターの瞳の奥で、氷のように冷たく、炎のように激しい「絶対的な殺意」がギラギラと渦を巻く。
「だが──終わりだ」
ヴァルターがゆっくりと右手を持ち上げる。
その掌に、残されたすべての異能が急速に凝縮されていく。
ドツ……ツ……ッ!
空間が激しく歪み、俺の全身を全方位から押し潰すような超高密度の高磁場が、逃げ場のない死の檻となって再び練り上げられていった。
至近距離──わずか数センチの間合い。
冷気を失い、ただの動かない肉塊と化した俺には、この不可視の圧力を防ぐ術も、かわす足の自由すら残されていない。
「私をここまで追い詰めた報いだ。骨の一本、肉の一片すら残さず、原始的な肉塊に変えて潰れて散るがいい」
頭上で、闇配信の画面が狂乱のコメントで埋め尽くされていくのが、薄れる視界の端に見えた。
『えっ、ケイジの攻撃止まった……!?』
『なに起きたの!? 冷気が消えたんだが!!』
『リソース切れだあああッ! MP切れて不発www』
『ヴァルター生きてる!! 笑ってるぞおい!!』
『アカン、至近距離で完全無防備www 今度こそマジで死亡確定www』
観客たちの歓声と絶望の悲鳴が混ざり合い、耳の奥で遠のいていく。
(嫌だ……嘘だろ……! ここまでやって……こんなところで……!)
脳裏をよぎるのは、巨大冷凍施設で感じたあの絶望的な死の恐怖。
そして、ようやく掴み取った成り上がりの栄光、タワーマンションの夜景、最高級の寿司、手に入れたばかりの莫大な富。
それらすべてが、目の前の王者の手によって、一瞬で握り潰されようとしている。
「さらばだ、不快な虫ケラ」
ヴァルターの冷酷な宣告とともに、圧倒的な殺意を秘めた高磁場の塊が、無防備な俺の頭上から一気に振り下ろされた──。
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