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1章【新命の始まり編】 / 第33話
淡い光が、静かに空間を漂う。人の世界とは隔絶された、神獣の領域。
白く透き通る大地の上には果てしない蒼空が広がり、風は音もなく吹き抜けていく。時間という概念すら曖昧なその場所で、2体の神獣は静かに向かい合っていた。
先ほどまでレッドたちと話していたフレイとミズリーである。この領域では、その静寂だけがゆっくりと流れていた。
ミズリーは空を見上げ、小さく息を吐く。
「……結局、最後まで話さなかったのね」
「⋯⋯」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
光は届かない。風も吹かない。そこは、大地なのか、空間そのものなのかさえ判別できない、底知れぬ闇だった。
黒。ただひたすらに黒。壁も、天井も、床も、その境界は曖昧で、まるで闇そのものが形を成して建造されたかのような空間。
沈黙だけが支配するその場所に、不意に足音が響いた。
——コツ、コツ、コツ。
規則正しい靴音。その主は、黒い外套を羽織った男。――『エリック・ロア』。
学校で起きた異変の首謀者の1人であり、獄闇の狂戦士を従えていた男だった。
彼はいつもと変わらぬ気怠そうな表情で長い廊下を歩いている。だが、その瞳だけは冷え切っていた。
「……ふぅ」
小さく息を吐く。任務そのものは成功。目的だった魂の回収も、予定していた数へ到達した。本来なら、それで終わり。
報告を済ませれば済む話だった。——だが。
「……まさか、クロウがあそこまで押されるとはね」
ぽつりと漏らした独り言。思い返すのは、レッドの最後の一撃。覚醒、あの少年の瞳へ宿った光。そして、自分でさえ予想しなかった急激な成長。
「……予想外だった」
口元だけが僅かに歪む。怒りでもなく、焦りでもない。純粋な興味だった。
エリックが廊下の奥へ歩みを進めると、1枚の巨大な扉が音もなく左右へ開く。その先には、広い空間。天井は高く、中央には円形の台座。そして無数の黒い柱が静かに並んでいる。
まるで神殿でありながら、神へ祈るためではなく、神を拒絶するために造られたような場所だった。
「遅かったじゃない」
静かな声が響く。視線を向けると、1人の少女が柱へ寄りかかっていた。短く整えられた髪を揺らしながら、どこか退屈そうな表情でエリックを見つめている。
「待ちくたびれた」
「そんなに時間かかった?」
エリックは肩をすくめる。
「好きで遅くなったわけじゃないさ。少し予定が狂っただけ」
「予定?」
すると少女は眉をひそめた。
「任務は失敗したの?」
エリックは即座に首を横へ振る。
「いや、目的は達成した。魂の回収量も、ほぼ予定通り」
「だったら問題ないじゃない」
少女は淡々と言う。しかし、エリックは小さく苦笑した。
「問題は、そのついでだよ」
「ついで?」
「 〔第5代〕エレメンター。あいつら」
その一言で、少女の表情が僅かに変わる。
「ああ……例の2人」
「そう。本当なら、軽く足止めする程度で終わるはずだった。クロウなら十分だと思ってたんだけどね」
エリックは近くの柱へ背中を預けた。少女は腕を組む。
「でも、生きてる。しかも異変まで終わった。そういうこと」
エリックは苦笑混じりに頷いた。
「途中から、あの赤い方が面倒になった。どうも覚醒したらしい」
その言葉に、少女は少しだけ目を細める。
「……覚醒。ランク〈E〉で?」
「信じられない?」
「少し」
短いやり取り。だが、その内容は決して軽くない。エレメンターが覚醒する。それ自体は珍しいことではない。
しかし、それがあの短期間で起きたことに意味があった。エリックは静かに天井を見上げる。
「才能はある。間違いなくね。まだ粗削りだけど、磨けば厄介になる。」
「だから倒さなかったの?」
少女の問いは鋭い。だがエリックは首を横へ振った。
「違う。倒せなかったわけでもない。倒す必要がなかっただけ。今回の目的は魂。エレメンター討伐は任務外。優先順位が違うだろう?」
その声には迷いがなかった。彼にとって任務とは絶対。そこへ私情を挟むことはない。
少女は小さく息を吐いた。
「……相変わらずね。効率第一で、無駄が嫌いなとこ」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
エリックは軽く笑う。その笑みは柔らかい。しかし、その奥には底知れない冷たさが宿っていた。
「それに、少し興味が湧いた」
「興味?」
「ああ。〔第5代〕がどこまで成長するのか、見届けるのも悪くない」
エリックは静かに呟く。その瞳に宿るのは期待ではない。獲物が育っていく様子を眺める捕食者のような眼差しだった。
少女はその視線を見て、小さく肩をすくめる。
「……趣味悪い」
「よく言われる」
エリックは笑った。だがその時だった。それまで静まり返っていた空間へ、不意に重い気配が満ち始める。
空気が変わり、闇そのものが震える。まるで、この空間自体が1人の存在へ跪こうとしているかのように。エリックの笑みが消え、少女も姿勢を正す。そして2人は同時に、その気配のする方向へ視線を向ける。
「……いらっしゃったね」
エリックが小さく呟く。 すると闇の奥から、1つの“影”が静かに歩み始めていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その言葉には、どこか迷いが滲んでいた。フレイは腕を組んだまま、遠くを見つめている。
「ああ。今は、あれでいい」
短い返事。だが、その声色には確かな決意が込められていた。
ミズリーは少し困ったように微笑む。
「でも、レッドは気づいてたわ。コードゼロっていう名前だけでも、あの子には十分引っかかったみたい」
「当然だ。中途半端に聞けば、誰だって気になる。……本当なら、あの言葉すら口にすべきではなかった」
フレイは静かに答える。そう言って、ゆっくり目を閉じる。あの瞬間、思わず口から漏れかけた、厄災の名。
神獣である自分としたことが、あれほど不用意だったとは。ミズリーもその心情を察したように苦笑した。
「珍しいわね。あなたがあんな失敗をするなんて」
「失敗……か」
フレイは小さく呟く。普段の彼なら、決して感情を表へ出さない。ましてや、人間へ余計な情報を漏らすなどあり得ないことだった。
だが今日は違った。それほどまでに、レッドという少年の存在が彼の心を揺らしていた。ミズリーはその横顔を見つめる。
「……まだ考えてるの?」
フレイは答えない。代わりに、静かに空へ視線を向けた。そこには、夕焼けにも夜空にも属さない、不思議な蒼が広がっている。
「 『炎神乱舞』……」
ぽつりと漏れたその言葉。ミズリーの表情が僅かに引き締まった。
「やっぱり、気になってるのね」
「ああ。気にならないはずがない」
フレイは静かに頷く。あの日、狂戦士との激闘にて。レッドは迷いなく、その名を口にした。
——『炎神乱舞』。
それは偶然では済まされない。
「間違いない。あれは、“レオ本人”が生み出した戦闘流派だ」
フレイの声音は低い。確信しているからこそ、余計に理解できなかった。
「技名だけじゃない。構え、重心移動、炎の巡らせ方、エレメントの流れ。どれも、あまりにも酷似していた。」
ミズリーも静かに頷く。
「私も見ていて鳥肌が立ったわ。まさかあそこまで一致するなんて……普通じゃ考えられない」
レッドはレオの弟子ではない。会ったことすらない。血縁関係も存在しない。それなのに、まるで長年鍛え上げてきた継承者のように、その技を扱っていた。理屈では説明できない。
「……まさか。レオ自身が、何か仕組んでいたとか?」
ミズリーが小さく呟く。フレイはゆっくり首を横へ振った。
「可能性は否定できない。だが、それを裏付ける証拠がない。今の段階では、すべて推測に過ぎない」
しばらく沈黙が続く。風だけが2体の間を静かに吹き抜けていった。やがて、ミズリーが口を開く。
「本人に聞く?」
その問いに、フレイは即座に答えた。
「駄目だ。少なくとも今はまだ。もし本人が何も知らなかった場合、余計な混乱を与えるだけになる」
「……そうね」
ミズリーも納得するように頷く。知らないことを無理に知ろうとすれば、人は迷う。ましてレッドは、ようやくエレメンターとして歩き始めたばかりだ。
今は余計な荷を背負わせるべきではない。フレイは静かに拳を握る。
「いずれ分かる。時が来れば。真実は必ず、自ら姿を現すはずだ」
その言葉は、自分自身へ言い聞かせているようでもあった。
その頃、神獣たちの領域の外では。夕暮れの街並みへ、ゆっくりと夜の帳が下り始めていた。しかし、その闇のさらに奥深くでは——。
誰にも知られることなく、新たな“影”が静かに動き始めていた。
後書き
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