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1章【新命の始まり編】 / 第34話
闇が、静かに波打った。音ではない。風でもない。それは、この空間そのものが1つの意思に呼応して震えているかのような、不気味な感覚だった。
黒く染まった空間の奥。光を拒絶する深淵の回廊から、1つの人影がゆっくりと姿を現す。その姿を目にした瞬間、エリックの表情から余裕が消えた。
軽薄な笑みは影を潜め、自然と背筋が伸びる。隣に立つ少女もまた、何も言わず頭を垂れた。その人物は、黒い外套を纏っている。
だが、その「黒」はエリックたちの纏う黒とは異なっていた。闇を身に纏っているのではない。まるで、闇そのものが人の形を取って歩いているようだった。
輪郭すら曖昧に感じ、視線を向け続けていると、存在そのものが霞んで見える。それでも、その場に立つだけで理解できた。
——逆らってはならない。
理屈ではない。本能が、魂が、そう叫んでいる。やがて、その人物は2人の前で足を止めた。
「……おかえり、エリック」
それは穏やかな声だった。怒気も威圧も感じられない。それなのに、その一言だけで空気はさらに重く沈んでいく。
エリックは片膝をつき、静かに頭を下げた。
「……ただいま戻りました」
「お疲れさま」
そして少女も同じように礼を取る。闇の人物は、優しく微笑むような口調で続けた。
「今回の任務、よく果たしてくれた」
「ありがとうございます」
エリックは短く答える。余計な言葉は挟まない。目の前の存在には、それすら不要だった。
「それじゃ、報告をお願いね」
その一言で十分だった。エリックは静かに立ち上がる。
「目標地点にて、計画通り異変を発生。対象区域に存在した魂を回収しました。回収量は予定値を僅かに上回っています。エレメンター2名とも交戦。獄闇の狂戦士を投入しました」
そこまで話したところで、闇の人物は僅かに首を傾げた。
「……クロウは?」
「損傷率、およそ87パーセント。戦闘継続は困難と判断。私の判断で回収しました」
その報告にも、責めるような空気はない。闇の人物は静かに頷くだけだった。
「そうか。十分だ」
その言葉に、エリックは胸の内で安堵する。失敗とは見なされていない。それだけで十分だった。しかし、少女は黙っていなかった。
「でも――」
その一言に、空気がわずかに張り詰める。
「 〔第5代〕エレメンターは生き残った。異変も止められた。本当に問題ないの?」
少女は率直だった。疑問に思ったことは、そのまま口にする。エリックも否定しない。
「事実だ。彼らは生きている。……ですが」
すると、闇の人物が穏やかに言葉を継ぐ。
「今回の任務は、彼らを殺すことではないからね。それに——」
闇の人物は右手を静かに差し出した。その掌の上へ、小さな光が現れる。漆黒の空間に浮かぶ、1片の欠片。
しかし、それはただの鉱石ではない。内側から紅い光が淡く揺らめき、見る者の心を引き寄せるような神秘性を放っていた。エリックも少女も、その光を静かに見つめる。
「……『オーバートリガー』ですか」
少女が小さく呟く。闇の人物は微笑んだ。
「そう。これも、こちらで無事回収できたよ」
その欠片を優しく見つめる姿は、まるで宝石を愛でるようだった。
「世界を変える力。神代より受け継がれし聖紋具。その1片。これ1つにも、計り知れない価値がある」
エリックは静かに問い掛ける。
「現在の回収状況は」
闇の人物は指先で欠片をなぞった。
「核は、まだ。欠片は1つ。残る欠片は、あと5つ。すべて揃えば——」
その続きを、誰も口にしない。だが、この場にいる3人は理解していた。その意味を。その危険性を。そして、それが世界そのものを揺るがす存在であることを。
少女は欠片を見つめながら静かに呟く。
「……まだ、先は長いね」
「焦る必要はない」
闇の人物は穏やかに答えた。
「長い旅路だからこそ。1歩ずつ、確実に進めばいい」
その声音には、不思議な説得力があった。焦燥はない。迷いもない。すべてが予定通りであるかのような落ち着き。
その静かな笑みを見つめながら、エリックは改めて思う。
——この人だけは、敵に回してはならない。
そう思わせるだけの何かが、この人物にはあった。そして漆黒の空間に、静寂が満ちる。誰1人として言葉を発しない。
聞こえるのは、どこからともなく響く低い鼓動のような音だけだった。闇の人物は、掌に浮かぶオーバートリガーの欠片をゆっくりと握り込む。
淡く輝いていた光は、その指先へ吸い込まれるように消えていった。
「……計画は、ここまでは順調だ」
穏やかな声音。だが、その一言には絶対的な確信が宿っていた。まるで未来そのものを見通しているかのように。
そしてエリックは静かに問いかける。
「次の任務は、どうなさいますか」
「焦る必要はないよ」
その人物はゆっくりと振り返る。その顔は闇に包まれ、輪郭すら判然としない。だが、その視線だけは確かに2人を射抜いていた。
「人というものはね。1つ困難を乗り越えると、それだけで安心してしまう生き物なんだ」
どこか教師が諭すような、穏やかな口調。しかし、その内容はあまりにも冷徹だった。そして、その人物は静かに微笑む。
「今回の異変を乗り越えたことで、彼らはこう思うだろう。『守れた』と。『勝てた』と。『終わった』と」
そして一拍置く。その沈黙が、かえって言葉の重みを増幅させる。
「……だが。それは大きな思い違いだ」
闇が揺らめく。空間全体が、その言葉へ呼応するかのように震えた。
「彼らは、まだ入口に立っただけ。世界の真実も。我々の目的も。何1つ知らない」
するとエリックの隣りにいる少女は、腕を組みながら小さく肩をすくめた。
「確かにね。あの2人、まだ何も知らない。〔第4代〕のこともね」
その言葉に、エリックは静かに目を細めた。
「……〔第4代〕か」
その名を聞くだけで、空気がわずかに張り詰める。闇の人物静かに頷いた。
「ああ。彼らは、まだ〔第4代〕エレメンターには遠く及ばない。」
その声音には失望はない。ただ事実を述べているだけだった。
「 〔第5代〕は確かに可能性を秘めている。レッド、レイラ。2人とも、予想以上の成長速度だ」
そう言うと、その人物ゆっくりと歩き出す。黒い外套が闇へ溶け込み、その姿が少しずつ霞んでいく。
「……だからこそ、育てようじゃないか」
その一言に、エリックは顔を上げた。
「育てる……ですか」
「そう。未熟なまま摘み取るより、十分に育った果実の方が、価値は高いだろう?」
その例えに、少女は小さく笑う。
「相変わらず趣味が悪いようで」
「そうかもしれないね」
そしてその人物は穏やかに答えた。このやり取りは、あまりにも自然だった。まるで、人の命を弄ぶことなど日常茶飯事であるかのように。
エリックは静かに口を開く。
「では、次は」
すると闇の人物は立ち止まり、ほんの少しだけ振り返った。
「次は、君の番だよ」
その言葉は、隣の少女へと向けられていた。少女は気だるそうにため息をつく。
「⋯⋯はぁ、やっと? 待ちくたびれた」
「焦らなくても、その時は必ず来る」
「……はいはい」
軽く返事をするものの、その瞳には僅かな高揚が宿っていた。新たな任務。新たな標的。そして、新たな異変。
すべては、既に動き始めている。闇の人物はゆっくりと天井――いや、この世界の遥か彼方を見上げる。
「レッド、レイラ」
そしてその名を静かに口にすると、小さく笑った。
「君たちは今回、大きな試練を乗り越えたつもりでいるだろう。自分たちは強くなった、と。世界を守れた、と。そう思っているだろう」
しかし、その笑みは次第に深くなっていく。
「だが、本当の絶望。本当の戦い。本当の闇は――」
その言葉とともに、空間を覆う闇が大きく脈動した。まるで世界そのものが呼吸を始めたかのように。そして、その静かな声だけが深淵へ溶けていく。
「――まだ、これから始まる」
その瞬間。闇の空間から3人の姿は静かに消え去った。残されたのは、底知れぬ静寂だけ。
一方その頃。何も知らないレッドとレイラは、それぞれの日常を過ごしていた。自分たちが立ち向かう運命が、想像を遥かに超えるものだとは知らずに。
そして世界は、静かに、確実に次なる戦いへの歯車を回し始めていた。
——次なる異変、その幕は静かに上がろうとしている。
後書き
ここまで読んでくださりありがとうございます!
レッドたちはなんとか最初の異変を終わらせて一段落しましたね〜。
そして、エレクロの1章はこの話を以て完結となります!
いやぁ、ここまで続けられて私自身も嬉しい限りです⋯⋯!
次なる2章では、一体何が待ち受けるのかどうか!
気に入っていただけた本棚追加等もぜひよろしくお願いします!
『水城ゆら』
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