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1章【新命の始まり編】 / 第29話
紅蓮の奔流は咆哮を上げながら狂戦士を呑み込んだ。燃え盛る炎は1本の柱となって天へ突き抜け、屋上を灼熱の世界へと変えていく。
空気は歪み、熱風が吹き荒れる。炎の中では何が起きているのかすら見えない。それでも、レッドは神剣を握る手を緩めなかった。
炎はまだ終わっていない。自身の意思に応えるように、神剣から溢れ出す焔はさらに勢いを増していく。やがて――轟音とともに炎柱が四散した。
熱風が一気に吹き抜け、焦げた空気が屋上を覆う。その中心には、1人の戦士が立っていた。
「……ぐっ……!」
その正体は、狂戦士。黒き鎧は見るも無惨に砕け、胸部から左肩、そして左腕にかけて大きく焼き裂かれている。
左上半身は炎に抉られ、鎧は赤熱しながら崩れ落ちていた。それほどの一撃を受けながらも、狂戦士はなお膝をつこうとはしない。
巨大な剣を杖代わりに地面へ突き立て、その場へ立ち続けていた。レイラは思わず息を呑む。
「うそ……あれを受けても……まだ……」
レッドも静かに狂戦士を見据えながら、額から汗が流れる。決して油断はしない。この敵は、ここで倒れない。
そんな確信にも似た感覚があった。狂戦士はゆっくりと顔を上げる。兜の奥で燃える紅い双眸が、なおレッドを射抜いていた。
「……ぬっ……!!」
苦しげな呼吸。鎧の隙間から黒い霧のような瘴気が漏れ出している。
「こんな……ところで……」
掠れた声。それでも大剣を握る右手だけは、決して離そうとはしなかった。レッドは神剣を構え直し、1歩前へ出て言う。
「無理な足掻きだ。お前はもう、深淵の炎に沈む」
その声は静かだった。しかし、そこには確かな覚悟が宿っている。
狂戦士は大きく息を吐き、剣を持ち上げようとする。だが、思うように身体が動かない。炎は鎧だけではなく、その内側にまで深く食い込んでいた。
「……あああぁっ!」
咆哮が響く。その叫びには怒りも、憎しみも、悔しさも入り混じっていた。勝負は決した。誰もがそう思った、その瞬間だった。
ふわり、と。屋上へ1冊の黒い本が舞い降りる。それは風に乗る羽根のようにゆっくりと宙を漂い、狂戦士の傍らで静かに開かれた。
ページがひとりでにめくれていく。紙ではない。まるで闇そのものを綴じたような、不気味な魔導書。レイラが小さく息を呑む。
「……あれって。」
その直後。聞き覚えのある声が、静かに響いた。
「まったく。こいつを異変の核に据えた俺が、少し甘かったかな」
軽くため息をつくような口調。その声に、レッドの表情が険しく変わる。
「……!」
炎の向こう。揺らめく熱気の中から、1人の男が歩み出てくる。
黒い外套。黒い服。まるで影が人の姿を取ったかのような漆黒の装い。だが、その足取りには焦りなど微塵も感じられない。
まるで散歩でもしているかのような気軽さで、その男は狂戦士の隣まで歩み寄った。
「……お前」
レッドは低く呟く。男は軽く笑って肩を竦めた。
「ああ、久しぶり……ってほどでもないか」
すると男右手をゆっくり掲げる。黒き魔導書が、その手の前へ静かに浮かび上がった。ページが高速でめくられていく。
そこへ刻まれていたのは、見たこともない古代文字ようなもの。男はまるで鼻歌でも歌うような軽い口調で詠唱を始める。
「――詠唱。巡り還れ、滅びを拒む残火」
魔導書が妖しく輝く。屋上全体へ黒紫色の魔法陣が幾重にも展開され、その中心に狂戦士の身体が包まれていく。そして男は最後の一節を静かに告げた。
「 【回帰漆霊孔】 」
瞬間。黒紫の光が弾けた。砕けた装甲は元通りに繋がり、焼失していた左肩から左腕までもが闇を纏いながら再生していく。
だが、その次には、狂戦士の姿は音もなく消えていた。それにレイラは思わず目を見開く。
「そんな……消え……た……?」
やがて、その男――エリックは軽く手を振った。そして、その視線がゆっくりとレッドへ向けられる。
口元には、あの余裕に満ちた笑みが浮かんでいた。
「……さて。ざっと4時間ぶりだね、レッド」
レッドは神剣を握る手に力を込めた。目の前で起きた光景が、すぐには理解できない。あれほどの巨体だった狂戦士が、今では何事もなかったかのように消えてしまった。
あたりには、先ほどまで燃え盛っていた炎の痕跡だけが戦いの激しさを物語っていた。静寂の中、エリックは軽く肩を回しながら笑う。
「そんなに驚いた顔をしなくてもいいだろ?」
その声音はどこまでも穏やかだった。だが、それは先ほどとは違う、低く重い声でもあった。まるで友人と雑談でもしているかのような気軽さが、今はなくなっている。
「……お前、なんでここにいる」
レッドは低く唸るように言った。
「――知るかよ」
するとエリックの顔から笑みが消え、ただ重い声だけが響いた。
「あとは君たちの好きにすればいい。それだけの話さ」
しかし、エリックの悠々しさは変わらない。その様子を見て、レッドは改めて確信した。
(やっぱり……こいつが、狂戦士より上だ)
その事実に背筋が冷える。狂戦士だけでも圧倒的だった。その狂戦士が主と仰ぐ相手。今ここで戦うべき相手ではない――本能がそう告げていた。
するとエリックはレッドの表情を見て、再び小さく口角を上げる。
「安心しなよ。今日は君たちと本気で戦うつもりはない」
その一言に、レイラが思わず顔を上げた。
「……どういうこと?」
「そのままの意味さ」
エリックは廊下の縁まで歩き、ゆっくり空を見上げる。レッドもつられて視線を向けた。
「……!」
そこに広がっていたのは、黒く閉ざされた空ではなかった。雲の切れ間から夕日が差し込み、空は橙色へ染まり始めている。
いつの間にか、異様な闇は消えていた。吹き抜ける風も、先ほどまでとは違う。重苦しい瘴気は薄れ、校舎を包んでいた圧迫感も静かに消えていた。
「戻った……」
レイラが小さく呟く。その中でエリックは静かに続けた。
「異変は終わりだ。少なくとも、この学校については、ね」
そして、レッドは眉をひそめる。
「……待て。お前が元凶なんだろ。だったら、お前を倒さなきゃ全部終わらないはずだ」
すると一瞬だけ。エリックの笑みが薄くなった。そして次の瞬間には、いつもの飄々とした表情へ戻る――ということはなかった。
「はっ、バカなのか? これでもなお異変が続いてるとでも?」
彼は軽く窓の外を指差した。レッドは視線を向ける。
校庭、住宅街、遠くに見える街並み。そこには、いつもと変わらない夕暮れの景色が広がっていた。
「今回の異変は終わった。だから目的も終わり。俺がここへ残る理由もない」
そしてそう静かに言い切るエリック。だが、その余裕をある態度が、レッドの胸の奥に燻っていた怒りへ火をつけた。
「……逃げる気か」
「逃げる? 面白いことを言うな。勝ち負けなんて、最初から考えてない」
そう言うと、彼は鼻で笑う。どこまでも底の見えない不気味な表情だった。
「お前たちが今日ここまで来られたのは、実力だけじゃない。運も味方した。その程度のことだ」
レッドは神剣を握り直す。そして1歩踏み出そうとした、その瞬間だった。風が吹き、黒い外套が大きく翻る。
「勘違いするなよ、ガキども」
その声だけを残し、エリックの姿は夕暮れの風景へ溶けるように消えていった。校舎へ静寂が戻る。
レッドはしばらく立ち尽くしたまま、その場所を見つめ続けていた。――逃した。そんな悔しさが胸に残る。だが、隣でレイラが静かに息を吐く。
「……終わったんだね」
その言葉に、レッドはゆっくり頷いた。
「ひとまずは⋯⋯そう、だね」
夕焼けが2人を照らす。しかし、その光は新たな戦いの始まりを静かに告げているようでもあった。
彼らはまだ知らない。この出会いが、やがて世界全体を巻き込む戦いへの序章に過ぎなかったことを。
後書き
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