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第一部 地域ローカルスーパー(下級神)編 / 第10話
「新入り。かねてより申しつけておった件じゃが、名分が要ると気づいた」
新装開店準備セール、十二日目の昼下がり。レジ横の定位置で油揚げをかじっていたくーちゃんが、突然そんなことを言い出した。
「名分、というと」
「わしとおぬしの間柄よ。先日の稲荷での一件、あれは言うなれば互助じゃろ。じゃが今のままでは、わしがただの『店に住み着いた狐』ではないか。神格には体面というものがある。よって――」
くーちゃんは、懐から一枚の紙を取り出して、レジカウンターに広げた。筆文字で、でかでかとこう書いてあった。
『立華町商工会議組合 設立趣意書』
「……立華町って、うちの町内の名前、勝手に使ってません?」
「勝手にとは何じゃ。わしの社もおぬしの店も立華町じゃろうが。地縁こそ組合の基本ぞ」
「で、組合員は」
「わしとおぬしじゃ」
「二人……いや、二柱? それ、組合っていうか、ただの俺たちでは」
「阿呆。名前がつくと、つかんでは大違いなのじゃ。看板を出せば実体になる。おぬし、店をやっておってそれが分からんか」
分かる。悔しいが、分かってしまった。閉店セールだって、看板一枚で客足が変わったのだ。名前は実体を作る。商売の基本だった。
「……乗った。で、会則とかあるんです?」
「うむ。第一条、油揚げは上等なやつ。第二条、会合には七輪を用意する。第三条……第三条はまだ考えておらん」
「全部おやつの話じゃないですか。せめて一条くらい商工業を振興してくださいよ」
そんな崇高な設立総会の真っ最中に、自動ドアが開いて、書類の束を抱えた葵が入ってきた。ポイントカードの届出の件だろう。だが葵は、カウンターの上の趣意書を一瞥するなり、足を止めた。
「……『立華町商工会議組合』」
「お、ちょうどよいところに来たの、お役人。届出はそなたに出せばよいのか?」
「まず名称から確認します。『商工会議』を含む名称は、商工会議所法との関係で誤認を招くおそれがあります。それから設立趣意書に押印がありません。この肉球の朱肉痕は印章として登録できません」
「わしの手形じゃぞ。千年物の」
「登録できません」
葵は淡々と趣意書に付箋を貼りながら、しかしなぜか、帰らなかった。書類確認はとっくに終わっているのに、カウンターの端に陣取って、俺とくーちゃんの会則談義を監視……もとい、立ち会っている。
「なんじゃお役人、まだおるのか」
「新設団体の設立経緯の把握は、担当課の業務です」
「ふぅん? 業務、のう」
くーちゃんの尻尾が、にやりと揺れた気がした。この狐、酔ってなくても大概、性格に色気があるのだ。
「では業務ついでに教えといてやろ。この組合はの、わしと新入りの二柱で回す。会長はわし、事務局長は新入り。つまりこやつの雇い主は、今日からわしじゃ。――のう、零?」
名前を呼ばれた。新入りじゃなく。しかも呼び捨てで、こっちに身を乗り出しながら。
「え、あ、はい。給料出るんですか」
「油揚げの相伴を許す」
「現物支給かつ逆流してません? それ俺の仕入れです」
「店主さん」
今度は逆側から声がした。葵が、書類をぴしりと揃えながら、丁寧語のまま半歩詰めてきた。
「雇用関係が発生するなら、労働条件の明示義務があります。それと、以前から確認したかったのですが――先日の夜の、あの、着物の方は。本日はいらっしゃらないんですか」
「あー……えーと。あの人は、その」
「親戚じゃ」
くーちゃんが即答した。堂々たる嘘だった。いや、嘘でもないのか? 本人だし。
「ふうん。親戚の方、ですか。ずいぶん……距離の近いご親戚でしたね」
「近いのう。なにせ零とわしの仲じゃからの」
「どういう仲ですか。記録しますので、正確にお願いします」
「おぬしに記録される謂れはないわ。……む? 待てよ、記録……おぬしまさか、あの夜のことも報告書に」
「書きました。公文書なので開示請求されれば出てきます」
「消せ! いや消すな、わしの何が書かれたか先に見せよ!」
右にくーちゃん、左に葵。カウンターの内側で、俺は挟まれていた。物理的にも、話題的にも。冷や汗が出る。商売柄、客同士の鉢合わせには慣れているつもりだったが、この二人の間に立つのは、氷堂の冷気と地引の振動に同時に挟まれるのとは、また別種の圧だった。もっとこう、賞味期限の見えない圧だ。
「……あのー。お二人とも、そろそろ休戦して、第三条でも決めません?」
と、俺が挙手した、そのときだった。
「おうおうおうおう! どういうことだこの店はァ!」
怒鳴り声とともに、自動ドアが乱暴に開いた。
入ってきたのは、よれたジャケットの中年男だった。手には、うちの店のプリンの空き容器。それを、レジに向かって突き出してくる。
「このプリン食ったら腹ァ壊したんだよ! どうしてくれんだ、ええ? 治療費と慰謝料、誠意見せろや! あと土下座な! 今すぐ全員でだ!」
……来たか、こういうの。
俺は男の顔と、突き出された空き容器を見た。うちの銘柄。ただしラベルの端に、うちの店では貼らない位置のバーコードシールがある。他店で買ったやつだ。しかも視界のラベルがこう言っている。
【対象:粕原(下級神・偽装中)】【所属表示:エターナル・リテール渉外部】【賞味期限:残り∞】
粕原。名は体を表すにも程がある。
「店長出せや! 誠意だよ誠意! 俺はなァ、お前らみたいな店を何十軒も畳ませて――」
男が声を張るたび、店の空気がずん、と重くなった。権能だ。言いがかりそのものが神威を削ってくる。理不尽な大声に晒され続けたときの、あの、胸の奥が縮む感じ。懐かしくて吐き気がする。ブラック企業の会議室と同じ空気だった。
「はいはい、店長は俺です。まずお客様、そのプリンなんですけど
――」
俺がカウンターを出ようとした、そのとき。
「「下がってて(下がっておれ)」」
左右から、見事に揃った。
葵が書類の束を置いて、一歩前に出た。くーちゃんがレジ横から音もなく降りて、並んだ。ついさっきまで火花を散らしていた二人が、俺を背中に置いて、綺麗に横並びになっていた。
「お客様、ではなく、粕原様とお呼びしたほうがよろしいですか」
葵の声は、丁寧語のまま、一語一語ゆっくりだった。……あ、これ、本気で怒ってるときのやつだ。
「当該商品の購入事実の確認から始めましょう。レシートのご提示を。ご提示いただけない場合、根拠のない金銭要求と土下座の強要は、不当要求行為に該当します。ちなみに本件、先ほどの第一声から全て記録しています。神域案件としても、です。エターナル・リテール社は、渉外担当の神格が個人商店で威迫行為を行ったと公表されて、株主総会を乗り切れますか?」
「な……なんだてめえ、役人か? 引っ込んでろ、俺は客として正当な――」
「正当、とな」
今度は、くーちゃんだった。小さい体のまま、一歩。店の照明が、すっと暗くなった。青白い火が、ふわり、ふわりと、粕原の周囲に輪を描いて灯っていく。
「言いがかりを飯の種にする神格がおることは知っておった。じゃがのう、よりにもよって、わしの目の前で、わしの組合の初日にやるか。││立華町商工会議組合、記念すべき最初の議事じゃ。『組合員の店で騒ぐ痴れ者への対応について』。採決を取る。賛成の者」
狐火が一斉に、ぼっ、と膨らんだ。
「可決じゃ。全会一致でな」
「ひっ……お、俺はただの客……」
「客は神様、なんじゃろ? ならば同業ぞ。神様同士、遠慮はいらんの」
粕原の権能の重さが、狐火の輪の中で、みるみるしぼんでいった。言いがかりの神威は、取り合わない相手には効かないらしい。片や記録と条文で言葉の逃げ道を全部塞ぎ、片や神威で格の違いを見せつける。連携の打ち合わせなんて、一秒もしていないのに。
「く……くそ、覚えてろ! 渉外部は俺だけじゃねえぞ!」
粕原は空き容器を取り落として、転がるように店を出ていった。狐火が、ぱちんと消えて、店の照明が戻る。
「……お見事でした。お二人とも」
「当然じゃ。組合員の店はわしの店も同然。……ところで零、今の活躍、事務局長として議事録に残しておくのじゃぞ。わしの格好良かったところを詳細にの」
「私の対応部分は、事実のみ簡潔で結構です。……あと、店主さん。今の方の発言記録、後で写しをください。本庁に共有します」
「はいはい、っと。もう取ってありますよ。来店時刻十四時二十二分、第一声から退店まで、発言全文」
俺がレシートの裏にびっしり書いたメモを掲げると、二人は顔を見合わせて、それから初めて、同時に笑った。
「……存外、有能じゃの、うちの事務局長は」
「記録の正確性は認めます。字は汚いですが」
「うちの帳簿はこれで通ってるんで」
こうして、立華町商工会議組合は発足した。組合員数、二柱。事務局、みそぎ屋レジ横。会則第三条は、その日の夜に決まった。曰く、『困っている組合員を見捨てないこと』。言い出したのはくーちゃんで、文面にしたのは、なぜか居残っていた葵だった。
【本日の売上:五万六千三百円(前日比プラス六パーセント)】
【本日の客数:三十六名】
【組合設立費:看板用ベニヤ板四百円、筆ペン百十円、朱肉代零円
(肉球のため)】
【特売効果:渉外部一柱、狐火と条文により自主退店(当方は一切手出しなし)】
【備考:会則第三条、制定。議事録は事務局長(俺)が作成。会長の「格好良かったところ」は分量調整のうえ収録】
新装開店準備セール、十二日目。本日も、無事閉店せず。
後書き
「立華町商工会議組合(組合員数:2)」お読みいただきありがとうございました。肉球の押印は登録できません。覚えて帰ってください。
次回、今までとは毛色の違う敵が来ます。書き出しの一行目から、零に銃口が突きつけられています。しかも相手は、神様ですらなくて……?
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