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第19話 / 全19話
期限の七日目は、嵐で明けた。
天気予報は晴れだった。なのに、みそぎ屋の上空にだけ、灰色の雲が渦を巻いていた。町の人間には見えない類いの嵐だ。開店準備の手を止めて外に出ると、渦の下、駐車場の真ん中に、野分が立っていた。今日は一人じゃない。スーツの神格が五柱、後ろに控えていた。
「期限です。御削さん」
「うちの開店時間より早いご来店、どうも。……で、今日は何のセールで?」
「買収です」
野分は、書類の束を風に乗せて寄越した。
「本日をもって、当該神域の信仰権を、当社が包括的に取得します。いわば――敵対的TOBというやつです。株式公開買付け。御社の、同意は要りません」
同意は要らない、ときたか。うちの店は、その台詞に恨みがあるんだよ。
「信者の皆様には、当社系列店の優待カードを進呈済みです。あなたの信仰力の源泉は、今日から一枚ずつ、当社が買い付ける。抵抗するなら――」
風が、鎌みたいに店の看板をかすめた。「みそぎ屋」の「み」の字が、削れて飛んだ。
「――こうなります」
「その看板、手書きなんですけど。器物損壊で告発します」
俺の横で、葵が手帳を構えていた。今日は非番のはずだった。なのに朝一番から、店に来ていた。制服じゃなく私服で、でも手帳だけは持って。
「野分支社長。収用手続きに瑕疵がないことは確認しました。ですから、手続きで対抗します。当該収用の執行停止を求める異議申立てを、今朝、神社庁に提出済みです。審査には最短でも三日かかります。三日間、あなたはこの神域に指一本触れられません」
「……ほう。よく調べる」
「調べるのが仕事です」
「では、三日後にまた来ましょう――と言うとでも?」
風が、変わった。
渦が落ちてきた。店の駐車場が、丸ごと嵐の底になった。俺と葵は吹き飛ばされる寸前で軒下に転がり込み、五柱の手下が、散開して店を囲んだ。
「異議申立ては、申立人が生きていればの話です。ああ、ご心配なく、事故ですよ。季節外れの竜巻。お気の毒な話だ」
「……手続きの外に出たな、あんた」
「出ますとも。手続きはね、御削さん。勝っている側が使う道具なんですよ」
俺は残高を確認した。この一週間、店を開け続けて稼いだ神力。シールにして――二十枚分。相手は上位神と手下五柱。足りない。全然、足りない。それでも軒下から出た。出るしかなかった。後ろは店で、店の奥では、あいつがまだ寝てるんだから。
一枚目を投げた。手下の一柱に貼り付く前に、風で叩き落とされた。二枚目、三枚目。落とされる。嵐の中じゃ、紙切れ一枚、まっすぐ飛ばない。
「無駄です。あなたの権能は、接触が前提だ。この風の中を、届くとでも?」
「届かせるんだよ。――何度でも」
四枚目を構えた、そのとき。
嵐が、割れた。
青白い火柱が、渦の横っ腹を突き破って、夜明けみたいに空を裂いた。灰色の雲の裂け目から、狐火が――十、二十、数え切れない狐火が、降ってきた。
「……ようも、まあ」
声が、した。店の入口に、月色の髪の女が立っていた。着物の帯を締め直しながら、ゆっくりと、嵐の底へ歩いてくる。姿はもう、明滅していなかった。
「わしの店の看板に、傷をつけてくれたのう」
「くーちゃ……葛の葉さん!? あんた、寝てないと」
「二つも守りを枕元に置かれてはな。うるさくてかなわん。古いのと新しいのが、朝まで交互に説教しおるのじゃ。――戻れ、戻れとな」
葛の葉は俺の隣に並んで、それから、ちらりと俺を見た。
「羽田まで行ったそうじゃな。……礼は後じゃ。まず、掃除といこう」
そこからは、拮抗だった。
狐火が嵐を焼き、嵐が狐火を散らす。葛の葉は病み上がりで、本調子には程遠い。それでも渦の勢いは目に見えて削がれて、俺のシールが、初めて手下の一柱に届いた。半額。よし、通る。通るなら、やりようは――
「……仕方ありませんね」
野分が、懐から社用の端末を取り出した。
「切り札は、使いたくなかったのですがね。人事部? 私だ。チューリング君の謹慎を、支社長権限で解除する。五分でここへ」
五分もかからなかった。
社用車が駐車場に滑り込んで、後部座席から、金色の髪が降りてきた。スーツ。ライフル。無表情。ただ、その顔色は、道後で見た湯上がりの赤とは、正反対の白さだった。
「チューリング君。君の復権試験だ。あの狐を撃ちなさい。今度は保護機構付きの正規運用だ、君の得意な、お行儀のいい手続きでね」
メアは、ライフルを構えた。
青い魔法陣が、展開した。読み上げが、始まった。俺は舌打ちして、シールを握り直した。葛の葉が半歩、俺の前に出た。あの晩の、割り込みと同じ角度で。
――やめろ。もう二度と、あれは見たくない。
「読み上げ完了まで、九秒」
「急ぎなさい。ああ、それと」
野分が、心底めんどくさそうに、葵の方へ顎をしゃくった。
「そこの公務員。異議申立ての、申立人。……おい」
手下の一柱が、葵に向き直った。風が、細く、鋭く、彼女の周りに集まり始めた。
「消せ。事故として処理しろ。人間一人なら、書類は一枚で済む」
その瞬間だった。
読み上げの声が、止まった。
「……いま、なんと言いました?」
メアの声だった。ライフルは構えたまま、銃口だけが、ゆっくりと動いていた。
「なんと、と言われても。事故として処理と――」
「彼女は人間です。太古の契約第三条。神は、契約によらず人の生命身体を害してはならない。……以前、この店で、私自身が自分の安全の根拠として引用した条項です。私はあの日、この条項があるから単独で交戦できた。この条項が、私の装備の、私の作戦の、私の存在の前提でした」
「チューリング君。今は組織の話をしている」
「組織の話をしています!」
メアの声が、割れた。
「先日の作戦で、本社は保護機構を外しました。同意なき射撃で、神格一柱が重篤な干渉を受けた。私はそれを目の前で見ました。見て、逃げました。逃げて、考えました。一週間、謹慎室でずっと考えていました。当社のガバナンスは、どこで死んだのか。……結論が出ました。たった今、あなたが出してくれました」
青い魔法陣の中の条文が、対象を、切り替えた。
【対象再指定:野分(上位神)】
【適用条項:太古の契約第三条違反・教唆】
【当社行動規範第一条:法令および原初契約の遵守】
「発射手続き、続行します。対象――コンプライアンス違反者」
「メアリー君、貴様――!」
閃光が、走った。
青い光が、野分の肩口を貫いた。上位神の巨躯が、初めて、嵐ごとよろめいた。手下たちが凍りつく。葵に集まりかけていた風が、散った。
「わ、私を撃つのか! 会社を! 君の、君のキャリアを!」
「撃ったのは会社ではありません。会社の看板で契約を破る個人です。……これは裏切りではなく、内部告発です。手続きは、社内規程に則っています。告発窓口が機能していないので、実力行使になりましたが」
理屈が、彼女らしすぎて、俺はこんなときなのに、ちょっと笑ってしまった。
「――総員、今じゃ!」
葛の葉が吠えた。狐火が、よろめいた野分の嵐を、四方から焼き縮める。葵が軒下から叫んだ。
「野分支社長! 人間への危害の教唆を確認、録音しました! 原初契約違反により、当該収用許可は――失効です!」
「零!」
葛の葉の手が、俺の襟を掴んだ。世界が縮む。三度目ともなると、舌を噛まない角度も分かってきた。嵐の裂け目を、俺の体が矢みたいに突き抜ける。眼下で、メアの青い閃光がもう一発、野分の足元の風を薙ぎ払って、道を空けた。
全員で空けた道の先に、俺は落ちていく。
「野分さん。あんたの買付け、うちの返事はこうだ――」
ばちん。
支社長の胸元に、シールが貼り付いた。
【値引きシール:半額】【重畳:契約違反による権能制限】【賞味期限:残り二十四時間】
嵐が、消えた。
雲の渦が晴れて、季節外れの青空が、駐車場に落ちてきた。野分は膝をつき、削れた看板の「み」の字の隣に、頭を垂れた。
「……消費期限には、しないのか」
野分が、掠れた声で言った。俺は首を振った。
「うちは今日から、廃棄を出さない店なんで。あんたは見切り品として――神社庁に、卸します。引き取り手続きはあちらの人が」
「既に護送の要請済みです」と、葵。手回しがいい。
手下の五柱は、支社長が落ちた時点で、とっくに逃げていた。組織ってのは、そういうもんだ。俺も前の会社で見た。
野分は護送の光に包まれながら、最後に、メアを睨んだ。
「メアリー君! このまま企業にとどまれると思うなよ」
メアは、目を逸らさなかった。それを見て、俺は言った。
「まあ、なんとかなるって。困ったらうちに来たらいいよ」
「ナンセンス!」
振り向いたメアの顔は、いつもの、負けを認めない顔に戻っていた。
「そんなことはありえません。私はエターナル・リテールの特別顧問です。社に戻って、監査委員会に全部証言して、ガバナンスを立て直します。……こんな、演歌の流れる個人商店に、私が」
「はいはい。ま、うちはいつでも開いてるんで」
「開いてるからって、行きません! 絶対に!」
彼女は社用車ではなく、一人で、駅の方へ歩いて帰っていった。その背中を見送って、葛の葉が、ぽつりと言った。
「……あの娘、絶対来るのう」
「来ますね、あれは」
【本日の売上:六万八千九百円(前日比プラス二十一パーセント・嵐見物の野次馬効果)】
【本日の客数:四十四名】
【立ち退き期限:無効(収用許可失効・支社長は神社庁預かり)】
【本日の勝敗:勝利(合計四名がかり・内訳:狐火、条文、内部告発、半額シール)】
【備考:看板の「み」の字、要修理。「そぎ屋」では別の店になってしまうため最優先】
新装開店準備セール、三十四日目。本日も、無事閉店せず。――全員で、閉店させなかった。
後書き
「敵対的TOB」お読みいただきありがとうございました。「これは裏切りではなく、内部告発です」――メアの転向、ロジックの人がロジックのまま味方になる瞬間を書きたかったんです。あと「絶対来るのう」「来ますね、あれは」が書けて満足です。
次回は幕間、お稲荷様のつぶやき・その二。病み上がりの狐が、守り袋を二つ並べて考えたことを。
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