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第20話 / 全29話
玄奘の意識は、最後の別れを告げた夜の、あの惨めな決意へと戻っていった。
それは、牛魔王の居城に向かう前夜、悟空を完全に拘束する直前の行動だった。玄奘は最後の賭けに出た。
「感謝は無用。その代わり、私の支度が整うまでの間、村の男たちをすべて集めてください。仕事があります」
玄奘は、村の男たちにあの紫の毒花の根を大量に集めさせていた。牛魔王の肉体をも破壊させるほどの量の猛毒を。
その根を細かく砕き、幾重にも重ねた豚の腸に詰め込み、自らの菊座からそれを、腕ほどもある長く硬い塊を、無理やり身体の奥へとねじ込む。激しい異物感と痛み、体が拒絶する吐き気が同時に襲う。法師としての清浄さを汚す行為。それは、肉体的な苦痛だけでなく、数十回の輪廻で保ち続けた精神的な壁を崩壊させる、自らに課した究極の拷問だった。
脂汗を流し、自らの拷問に耐えた玄奘は、愛する悟空に裸で迫った。一つは、あの獣の鋭すぎる嗅覚と知覚が、体内の毒に気づかないか確認するため。
隠しきれたと確信した。
そしてもう一つは、愛する人との最後の別れだった。その直後、彼女は緊箍児の力を最大限に使い、悟空の記憶を封じたのだ。
大釜を前に玄奘は絶望していた。熱を通せば、毒は蒸発するか、腸から溶け出し、大釜の濁液に混ざってしまう。牛魔王は毒に気づくに違いない。それでは、牛魔王の口に届く前に、全てが、全てが失敗する!
―ああ、こんな事なら、あなたを抱きしめれば良かった。 あなたのものになれば良かった。 ただの女として、あなたの腕の中で壊れたかった。
その後悔は、煮えたぎる大釜の前で、玄奘の心を切り裂いた。
牛魔王に食われるためには、生娘でなくたはならない!
玄奘は、牛魔王の口に直接入ることで、体内の毒を爆発させ、呪いを断ち切ることを望んだ。
しかし、牛魔王は言った。その声は、深遠な闇の中で響く、冷たい嘲笑だった。
「お前を煮るのは、毒殺の心配がいらなくなるからだ、法師。熱を通せば、毒は効かぬ」
牛魔王の口角が、ゆっくりと、 しかし決定的に吊り上がった。
「まさか、豚の腸に紫の根を詰めて、私を殺そうなどと企てたのではないだろうな? その必死さは滑稽で、哀れだ。お前の自己犠牲という名の傲慢さなど、すべてお見通しだよ」
頭を鈍器で殴られたような衝撃が、玄奘の脳髄を貫いた。冷徹な法師の仮面の下で、彼女は初めて、真の絶望に打ちのめされた。これまでの全ての苦行、過去の人生の悲劇、愛する者との最後の別れ、そして肉体を汚した苦痛。全てが、意味をなさなくなった。彼女の存在を支えていた最後の希望が、音を立てて崩壊した。
自分が死ねば緊箍児もその効力を失う。
彼は必ずここにやってくる。 何十回も続いた結末を繰り返す。
彼は、悟空は、牛魔王には勝てない。圧倒的な力の差を見せつけられながら絶望と苦痛とともに生涯を終えることになる。
一瞬で首をはねられた彼。
ゆっくりと握りつぶされながら全身の血を全て搾り取られ息絶えた彼。
私の盾となり、立ったまま蒸発した彼。
私に覆いかぶさり、大丈夫だと微笑みかけ、黒焦げになった彼。
絶望の記憶が蘇る。
その時、牛魔王が、まるで玄奘の思考を直接聞いているかのように、楽しげに笑いながら、彼女に近づく。
「お前は、この私を、一体誰だと思っている?貴様の奴隷に成り下がった愚かなあの猿と同じだとでも思ったか?」
牛魔王は、縄で締め上げられた玄奘の乳房を、巨大な指で弄ぶ。全知の悪意は、玄奘の最後の希望すら粉砕した。玄奘の顔から全ての感情が消え、ただ虚無だけが残った。
「さあ、入れ。お前の絶望は、最高のスパイスだ」
牛魔王は、玄奘の体を掴み、煮えたぎる大鍋の縁へ立たせる。
赤熱した鉄の縁に足裏が触れた瞬間、じりり、と湿った音を立てて生肌が爆ぜた。沸き立つ熱に肉は瞬時に爛れ、鉄板にこびりついて剥がれる。立ち昇るのは、鼻腔を暴力的に突き抜ける、赤熱した鉄に焼かれ、白煙となった肉の末路の匂いだ。
「絶望こそが、救いだ! 私を繋ぎ止める鎖なのだ!」
牛魔王は、縄で締め上げられた玄奘の背中を、無慈悲に強く押す。
抗う術もなく、玄奘の白い体が虚空へと投げ出された。煮えたぎる深紅の淵へ落下する一瞬、彼女の脳裏に、悟空の最後に見た絶望に満ちた瞳が浮かんだ。彼女の眼から、絶望と諦念が混じり合った一滴の雫が溢れ、大釜の 湯気の中に永遠に消えていく。
逃げ場のない熱の塊が、玄奘の全身を飲み込む。激しい飛沫と共に、肉が茹だる悍ましい蒸気と狂気の臭いが玉座の間を満たしていく。
牛魔王は、その光景を満足そうに眺めていた。
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