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第28話 / 全29話
夜明け前の霧の底、産屋の土間に満ちていた呻き声が、ふつりと途絶えた。
薄い藁布の上で、女は息を呑んだ。
抱きかかえた我が子の胸が、穏やかに上下している。
肌をびっしりと覆い尽くしていた悍ましい水泡は、跡形もなく消え去っていた。
触れた指先に残るのは、生まれたての雪のように滑らかな素肌だけ。
この子を清らかに洗い流すほどの、絶望。一体、誰がそれほどの闇を呑み干したのか。
「――満ちた。これが、お前たちの言う『絶望』か」
頭上から、感情の抜けた冷徹な声が落ちてきた。
暗がりに佇む屋敷の主。水底の小石のように輪郭の定まらぬその女は、床の上の赤子を一瞥し、淡々と告げた。
「行きなさい。二度と、私の視界に入ることはない」
女は言葉もなく平伏し、我が子を薄布で包み込んだ。
胸に抱いた命の奥から、トク、トクと、力強く温かな鼓動が伝わってくる。
軋む木の扉を押し開けると、冷涼な風が頬を撫でた。
東の空が薄紫に染まり、朝の光が世界を照らし出していく。
細められた我が子の瞳が、女を見上げて小さく笑った。
女の脳裏に、あの人の姿がよみがえる。 山のように大きく、けれど自分たちに触れるときだけは怯えていた、愛しい手。
この子に名を付けなければ......
そう、あの人が照れくさそうに笑って告げた、あの名前。
――紅孩児
女は胸の中の温もりに向かって、祈るようにその名を刻み込んだ。 あの人が待っている。あの人が、きっとどこかで待っている。
「――見て、あなた。この子が、笑っているわ」
早く逢いに行かなければ。この子が笑えるようになったのだと、あの大きな胸に飛び込んで伝えてあげなければ。
かすかに震えたその声は、朝露のように澄んで、光の満ちる山道へと溶けていった。
女は希望に胸を震わせ、前を向いて歩み出していく。
その背中を、半壊した屋敷の影から女主人がただ一人、静かに見送っていた。
世界はまだ、何も終わっていない。
山の上にはただ、どこまでも冷たく、静かな朝が広がっていた。
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