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第16章 前世との決別 / 第239話
目が覚めると同時に、時計の針の進む音が耳につく。今は何時なのだろう。重たい身体を引きずって時計を見上げてみれば、十時半を過ぎている。完全に寝坊だ。昨日の出来事を考えれば疲れるのも自然なのだけれど、使い魔と――アリアと過ごす時間が減ってしまう。急いでエメラルドに帰らなくては。
慌てて服を着替え、歯を磨く。朝食の時間なんてない。クラウの闇だけ取り除いて、すぐに帰ろう。支度を終えると廊下に飛び出し、クラウの部屋へと向かう。床を蹴る音だけが廊下に響く。辿り着くと、息も整えずにドアを開けた。
「クラウ、起きてる?」
返事はない。会議室に行ってしまっただろうか。不安に思いながらベッドに目を向けてみると、目立つ金の髪が見えた。すやすやと寝息も聞こえる。
起こしてしまうのも忍びなく、起きるのを待つことにした。椅子に腰かけ、ぼんやりと窓を眺める。この部屋からは見えないものの、あの雪合戦会場と雪だるまはどうなったのだろう。もう一度、皆で思い切りはしゃぎたいな、と思いを馳せていると、クラウが起き上がった気配を感じた。
「ミユ?」
私の名を呼んだ後、大あくびをし、うんと背を伸ばす。
「おはよう」
私も返事をし、にこりと微笑んでみた。そのままベッドへと移動する。ぼんやりと私の行動を眺めていたクラウだったけれど、その表情は強張っていった。私の足も自然と止まる。
「ミユ、駄目だ。絶対に」
クラウは声を震わせ、ゆっくりと首を振る。
「そんなことしたら、余計にミユの寿命が……」
「でも、やらなくちゃ。クラウが倒れるなんて、絶対に嫌」
引き下がる訳にはいかない。負の感情を一切抱いてはいけないなんて、そんな酷いことはない。
「私はやる」
「駄目だ!」
「その心配はいらないよ」
ふと柔らかな声が聞こえたかと思うと、花の香りが漂う。それと同時に、私とクラウとの間に神々しいまでの緑の光が現れた。その穏やかな光の中には、神の一人――エメラルドの姿があった。
「ミユの役目は私が引き受けるから」
エメラルドは止める間もなくクラウの胸に手をかざすと、そっと瞼を閉じる。陽だまりのような温かさを感じた後に、光が一瞬強くなる。
「これで七日間は大丈夫。安心して?」
エメラルドは母のように明るく微笑むと、光と共に姿を消した。幻でも見たかのような感覚だ。視界の奥に、去った筈の光が残っている。クラウと二人で目を瞬かせ、しばし呆然としていた。
十一時の鐘の音が遠くから聞こえ、我に返る。
「……アレクとフレア、起きたかな」
「私も分かんない。まっすぐここに来たから」
「待たせてたら申し訳ないし、行こっか」
「うん」
ひとまず廊下でクラウが着替え終わるのを、つま先をばたつかせながら待つ。二人を待たせていても、起きていなくても、どちらにしても困ってしまう。どうしたものか。一人で唸り声を上げていると、クラウが姿を現した。
「お待たせ」
どちらともなく手を取り合い、「ふふっ」と笑い合う。
二人が寝ていたら、その時にまた考えよう。少しだけ気持ちが軽くなる。握る手の温もりも愛おしい。廊下を歩く二人の足音が、心まで温める。
「リエルが魔導師を辞めるって聞いたら、どんな反応するのかな」
クラウが小さく呟いた。前世の気持ちなんて、私は考えてもいなかった。カノンがここにいるなら、なんて言ってくれるのだろう。
「多分、私が選んだことだから応援するよって言ってくれそう」
「そうだね」
二人で過去に思いを馳せ、笑い合う。
廊下を進んで会議室の扉を開けた先には、フレアしかいなかった。アレクの姿はどこにもない。彼女は腕を組みながら頬を膨らませ、怒りを滲ませる。
「二人とも遅いよ」
「ごめんなさい……」
反論の余地はない。しゅんと肩をすくめると、フレアはぷっと噴き出した。
「でも、あんなことがあった後じゃ、しょうがないよね。アレク起こしに行くの、付き合ってくれる?」
「うん」
どうやら、フレアの逆鱗に触れた訳ではないようだ。ほっと胸を撫で下ろし、クラウと顔を見合わせる。
フレアの先導で、アレクの部屋へと突き進む。私だって、怒る気はない。ただ、寝過ぎなのだ。アレクの部屋に辿り着くと、大きないびきが聞こえてきた。
「アレク!」
ドアを開けるなり、フレアが声を張り上げる。薄暗い部屋の中にアレクの姿はあった。いびきは止まり、寝返りを打つ。
「アレク、起きて!」
フレアはベッドへと急ぎ、アレクの身体を揺さぶり始める。一方で私は閉ざされたカーテンを開け、日光を呼ぶ。クラウと一緒にフレアの元へ辿り着いたところで、ようやくアレクの目が覚めた。黄色の瞳はぼんやりと揺れ、ゆっくりと私たちを撫でる。
「今、何時だ……?」
「十一時過ぎてる」
「は?」
フレアの一言で、アレクはがばっと上半身を起こした。慣れた手つきで長い薄茶の髪を結ぶ。
「やべぇ! 時間が勿体ねぇ!」
慌てふためくアレクを尻目に、フレアは腰に両手を当てた。
「ホントだよ。あたしなんて八時に起きたのに。誰も起きてこないんだもん」
「八時!?」
三人で思わず叫んでしまった。
八時は早すぎはしないだろうか。いや、起きてしまったのだから仕方ないのだろうか。
「オマエら、オレのことは構うな。帰れ。早く」
ベッドから飛び出したアレクは私たちを部屋から追い出すと、意地悪そうな笑みを残してドアを閉めてしまった。時間が惜しいのは同じ気持ちなので、ここはアレクの好意と捉えておこう。
「二日後の夜に、ここに戻ってくる。それまで、どうか元気で」
まるで、今生の別れのように、クラウは私とフレアに目配せをする。あまりにも大袈裟なので、小さく笑ってしまった。
「大丈夫だよ。クラウも元気でね」
「うん」
名残惜しくはあるけれど、アリアとの時間も大事にしたい。
今、アリアは何を考え、どう過ごしているのだろう。私たちが魔導師を辞めることにしたと言ったら、どんな反応をするのだろう。不安に思いながらも三人で頷き合い、ワープを試みる。その光の中で、カノンの笑顔を見た気がした。
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