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第16章 前世との決別 / 第240話
部屋の空気が変わる。春のような穏やかな室温、見慣れた緑の家具――埃臭さなんて全く感じなかった。アリアが掃除してくれたに違いない。
「アリア〜!」
呼ばなくても、私の到着には気づいているだろう。それでも、声を張上げていた。
程なくして、軽い足音が廊下から近づいてきた。
「ミユ様、おかえりなさいませ」
「ただいま」
ぺこりと頭を下げるアリアに、にこやかに微笑んでみる。
「ご無事で安心しました。王様たちとはどんな話をされたんですか?」
アリアの質問に、笑顔が崩れるかと思った。王たちに魔導師を辞めろと――死ねと圧力をかけられたことを話すべきなのだろうか。
「う〜ん……」
唸り声を上げ、考え込んでしまった。何かを察知したのか、アリアは微笑みながらも視線を下げる。
「ミユ様の反応で、だいたい予想は出来ますよ」
そんなに分かりやすい反応をしているだろうか。自分では分からず、小首を傾げてみる。
「ミユ様、花壇へ行きませんか? あそこなら誰にも邪魔されず、ゆっくり話も出来ますし」
『花壇』という言葉で、脳裏に映像が蘇る。様々な色のラナンキュラスやチューリップ、フリージア、カーネーションが所狭しと咲き乱れている花壇――私が初めて魔法を使い、ワープした場所だ。きっと心も穏やかになってくれるだろう。
「うん、行こっか〜」
アリアに微笑みかけ、ワープをする。アリアもすぐについてきてくれるだろう。
浮遊感が消え去れば、爽やかで澄んだ風が心地良く、肌や髪を撫でていく。思い描いた光景がそこにはあり、今が冬であることを忘れそうになった。国ごとに季節が違い、エメラルドは春の国ということにも納得だ。
桜の木の下に佇む白いベンチに腰かけ、アリアの到着を待つ。ひらりと舞い落ちた桜の花弁が膝の上に乗った。
「お待たせ致しました」
数分経ってから到着したアリアは、バスケットと木製の水筒のような容器を持っている。
「そろそろ昼食のお時間ですから」
「そっか、もうそんな時間だよね」
今になっても、寝坊してしまったことが悔やまれる。しかし、いつまでもくよくよしていては、更に時間を無駄にしてしまう。
アリアが横に座ると、花の香りが充満する空気を吸い込んだ。
「私たちね、七日経ったら魔導師を辞めることにしたの」
アリアの緑の瞳を見詰め、結論だけを先に述べる。振り絞った勇気を、話を長引かせたばかりに萎ませたくはなかった。
「でも、死んだりはしないよ。神様が『分身として生きてもらう』って保証してくれたから」
「そうですか。遂に、そこまで」
意外なことに、アリアの驚きはあまり感じられなかった。まるで、最初からそうするべきだったと言いたげに、瞳を揺らす。
「アリアはどうなるの? 死んじゃったりしないよね?」
「心配はいりませんよ。私もあるべき姿に戻るだけでしょう」
「人間? ウサギ?」
「それは私にも分かりません」
アリアは口に手を当てながら、苦笑いをした。
「また会えるかな?」
「それも分かりません。もしかしたら、今までのことを綺麗さっぱり忘れるかもしれませんし。ですから……」
アリアは私の手を取り、ぎゅっと握る。
「ミユ様は、私のことを忘れないでいてください」
「うん、約束する」
切実で、確かにここにアリアがいたことを認める約束だ。アリアの握る手が小刻みに震えていた。私を忘れないで――胸が詰まる。涙が溢れそうにもなる。それと同時に、ダイヤに忘れ物をしてきてしまったことに気がついた。
「あ〜っ!」
「どうされました?」
「刺繍の道具を持って帰ってくるの忘れた〜……」
完成した勿忘草をクラウに見せる約束をしたばかりだったのに。この際、三日間はアリアのことだけを考え、尽くしてあげよう。
「取りに戻られますか?」
「ううん、またダイヤに戻ってからやるから大丈夫。三日間はアリアと一緒にいたいの」
必ず、残されたダイヤでの三日間で刺繍を完成させよう。決意を新たに、拳をぎゅっと握った。
風が吹き、花が揺れる。蜜蜂や蝶も飛び交っている。ちらりと前世の自分が過ぎった。カノンはここが好きだった筈だ。彼女が埋葬されているのはベルフラワーが咲き誇る真っ白な花畑で、神聖さはあっても華やかさはない。せめて、この花壇のものを献花できないだろうか。
「お墓参り、しておこうかな」
七日後には魔法が使えなくなるのだ。お墓参りのチャンスは今しかない。
「アリア。夕方になったら、ちょっとカノンとリエルのところに行ってくるね。その時に、ここの花をいただいて行っても良い?」
「勿論ですよ。その代わり、私からもお願いがあります」
「何?」
「お墓参りに私も連れていってください。今まで、ずっとカノン様にお別れの言葉を言えませんでしたから」
アリアは懇願するような瞳で私を貫く。心残りがあるなら、少しでも取り除いてあげたい。
「うん、一緒に行こう」
「ありがとうございます」
アリアは儚く微笑み、目を細めた。
「それと、もう一つお願いがあるの」
「何ですか?」
「城下町に行ってみたいの」
流石にこれにはアリアも驚いたようだ。息を吸い込み、私を見詰める。
「どうして城下町に?」
「たった七日間で、この世界に生きるか、異世界か、私自身が選ばなくちゃいけなくて。まだ決められないの。この世界を知ったら、どっちの世界にするか決められるかもしれない。それに」
一度息を吐き、唇を結ぶ。
「私たちが命懸けで守ろうとした世界だよ? どんな人が暮らしてるのか、私にだって知る権利があると思う」
アリアは肯定も否定もしない。ただ、まっすぐな視線を私に向けてくれた。
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