読み込み中...
読み込み中...
第18章 崩壊への道(前編) / 第154話
今度は頭頂部がじんわりと温かくなる。視界は滲み、意識は混濁していく。身体が傾いていくのも分かる。
「クローディオ!」
「クラウ様!」
二人の叫び声を最後に、視界は暗転した。
再び瞼を開けると、そこは吐き気を催す程に嫌いな場所だった。白のベルフラワーが無数に咲き誇り、甘い香りを漂わせている。風が吹くと、白い花弁を弄ぶかのように舞いあげる。
「クラウ、無茶しすぎだよ」
その先では、かつての俺の姿――リエルが悲しそうに微笑んでいた。
「ちょっと休憩しよっか」
優しく囁くと、こちらへとゆっくり近付いてくる。俺のすぐ横に辿り着くと、すっと腰を下ろして俺と目を合わせた。
これ以上、リエルに従ってはいけない。本能がそう告げるのに、抗えない。
青い瞳に吸い込まれるように、意識はリエルに乗っ取られていく。そして、光景は百年前へと遡った。
これは俺の一目惚れから始まった。光を受けて輝く焦茶の髪、象牙のように透き通った肌、天使のような笑顔、彼女の全てが俺を魅了したのだ。
最初は会話もぎこちなかったのだが、今は彼女に想いを告げること――いや、プロポーズすることまで考えている。その前段階として、今は机に向かい、頭を捻っている。想像したものが上手く形にならない。まっさらな紙には、いびつに歪んだ曲線ばかりが描かれている。普段は絵なんて描かないのだ。試みるにしても無理があった。
「うーん……」
長い前髪を掻き上げながら唸ってみたところで、絵の出来具合は変わらない。己の才能の無さに涙が出そうになってくる。
こんな出来でも、何となくでも他人に伝わってくれるだろうか。
「カイル! 居る?」
とりあえず、一度カイルに確認してもらおう。そう思い直し、ドアに向かって声を張り上げた。間を置かず、いつもの慌ただしい足音が響き始める。
「リエル様! 急にどうしたんですか?」
これまたいつものように轟音を立ててドアが開き、カイルが息を切らして入口に座り込んだ。彼には呆れてしまう。こんなに身体を酷使していて大丈夫なのだろうか、とは考えてみるものの、呆れを態度に表してしまうとカイルを落ち込ませるだろう。何とか冷静さを保ち、描き上げた絵をそちらへかざしてみせる。
「これ、何に見える?」
あまりにも自信がないせいか、頬の温度が上昇していく。恐らく、赤く染まっているのだろう。
そんな俺を後目に、首を傾げるカイルは衝撃的な一言を放ったのだ。
「ドーナツですか?」
「ドーナツって……」
ドーナツ程、太く描いたつもりはない。宝石と思われる物体も描写した筈だ。まあ、色付けはしていないから、判断はしにくいだろうが。
そんなに対象となる物とはかけ離れているだろうか。もう一度見てみようと紙をひっくり返し、隅々まで確かめてみる。
やはり自分の目で見てみると、どこからどう見てもそれなのだ。
肩を落とす俺に、カイルはそれまでとは反対の方向へ更に首を傾げる。
「じゃあ、何ですか?」
「指輪だよ」
中央に埋め込まれた宝石、細い曲線、金属を彷彿させる艶、拙くはあるが、どう考えてみても指輪だ。
「シルバーのリングで、ここが石。青い石と緑の石のペアリングのつもりなんだけど」
頭を掻きながら、どうにか説明してみる。すると、カイルの表情がみるみると明るくなっていったのだ。『青』と『緑』という言葉に反応したように見える。
「リエル様! もしかして、カノン様に!」
流石は俺の使い魔だ。指輪の話をしただけで、瞬時に状況を察知したらしい。カノンへの想いは一度もカイルに話したことがないのに。
「まだ決まった訳じゃないよ! もし、出来たらの話で」
手に持っていた絵を思わず床に落とし、両手を大きく左右に振りながら咄嗟にはぐらかしてしまった。
カイルの顔はにやけていくばかりだ。
「分かりました! それを買ってくれば良いんですね? 大丈夫です! もし似たものが見つからなかったら、特注で作らせますから!」
捲し立てるように言い切ると、俺の顔もまともに見ずにすくっと立ち上がった。そのまま出口へと突進していく。
「待って! もう少し説明した方が──」
「私に任せて下さい!」
俺の訴えは見事に無視されてしまった。カイルの声を残してドアは再び轟音を立てる。
彼のことだから、最初から歪んだ絵のままに指輪を探し出そうとするかもしれない。特注なんかされたら、どんな出来になるのだろうか。
頭を抱え、しばらくの間はその場にうずくまっていた。
数時間後には、カイルは部屋へと戻ってきた。やはり、城下街で納得のいく指輪が見つからなかったらしい。先ほど予告していった通り、特別注文をしてきたそうだ。
頭を過ぎった不安が現実になるのではないか。指輪が届くまでは、ずっと心配で堪らなかった。
しかし、数日後に届いたそれを渡された時には、不覚にも感動で瞳が潤んでしまった。滑らかなシルバーの曲線、目が眩む程に輝く宝石、しなやかでシンプルなデザイン、そのどれもが思い描いていた通りだ。
ただ、一つの指輪に同じように並んでいて欲しがった青と緑のそれぞれの宝石がカノンの物には緑、俺の物には青、と分散してしまっていた。
たったこれだけの過ちのために、カイルに再び買い出しへ行かせるのは酷だろう。そう思い、その場は素直に感謝を表した。
この指輪のように、俺たち自身までもが引き離されることになろうとは予想すらしていなかったのだ。
この話はいかがでしたか?
この作品を評価する