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第13章 傷を抱えるオーレ / 第37話
夕方になる前に山頂に到着することができた。そこから眺める景色に息を飲む。鬱蒼と茂る緑が永遠に続いていくように感じられた。
膝ががくがくと震える。脹脛も明日には筋肉痛だろう。
小さなベージュのレンガ造りの宿に入ると、若いオーナー夫婦が私たちを迎えてくれた。
「お疲れでしょう。飲み物とデザートをお持ちしますので、ダイニングで掛けてお待ちください」
「デザート!?」
オーレは疲れを知らないのか、胸の前で拳を作り、目を輝かせている。私は早く座りたくてしょうがないのに。
玄関から室内を見渡し、開いている席に狙いを定める。
「とりあえず、座りましょう」
「そうだね」
ルーナスと頷き合い、三人席の円卓へと腰を落ち着けた。バッグの中身は着替えくらいだとはいえ、荷物を持っていた指先は痺れている。
ほどなく苺のショートケーキとリンゴジュースが用意され、疲れた身体に糖分を取り込む。一気に心も解れていく。
ルーナスは一度座り直し、オーレに向き直る。
「オーレ、明日は朝焼けを見られるよ」
「朝焼け?」
「うん。絶対に綺麗だから」
「ほえー!」
普段、町の中から出ないのだ。こういう時くらい、町では体験できないことをさせてあげたい。私もそんなルーナスの思いに共感できる。
その温かな空気に水を差すように、どこからともなく心の声が聞こえてきた。
“あの子……ご両親に全然似てないじゃない。里子……?”
周りを見回してみても、カップル二組しか姿が見当たらない。オーレのことを言っているのだろう。
私はどう思われてもいい。でも、オーレを貶されるのは許せない。ただ、直接口に出されたわけではないので、一人で耐えるしかなかった。
「ソレイユ」
不意にルーナスの表情が曇ったのだ。私の僅かな表情の変化に気付いたのかもしれない。
“無理してない?”
無理をしている実感はない。首を小さく振ってみせると、ルーナスは小さな吐息をついた。そこへオーナがやってくる。
「夕食の時間はどうなさいますか?」
「ゆっくり摂りたいので、遅い時間にお願いします」
「では、二十時はどうでしょう?」
「はい、お願いします」
ルーナスは私の能力の負荷を気にしてくれている。そんな些細な気遣いが、私の胸を熱くする。目頭までもが熱くなってしまい、咄嗟に指で押さえつけた。
* * *
夕食前に入浴を済ませ、三人で団らんをする。部屋にもクッキーが置かれていたけれど、腹が膨れてしまうので我慢だ。
「ねえ、オーレ」
「んー?」
馬車に乗る前に呟かれたオーレの心の声が気になってしまい、違和感がないように聞いてみる。
「ポチャって何?」
私が言うと、オーレの目が見開かれた。
“ぼく、ポチャのこと話したっけ……”
オーレの視線は落ちたけれど、すぐに私をまっすぐに見てくれる。
「ぼくが飼ってたワンコ! 茶色くて小っちゃいんだー」
すると、ルーナスも目を見張った。
「オーレが犬を飼ってたなんて、初めて聞いた」
「だって、初めて言ったもん」
“俺でも知らないことがまだあるんだな”
ルーナスは口を尖らせ、何度か頷いてみせる。そこで違和感に気付く。オーレの言い方が過去形なのだ。恐らく、ポチャはこの世にはいないのだろう。
「ポチャは病気で……?」
言った後でしまったと思った。子供に聞いていいような内容ではない。弁解しようにも、既にオーレは暗い表情で俯いていた。口を動かすのに、なかなか声は出てこない。
「ポチャが死んじゃったのは……ぼくのせい……」
オーレは震える声を絞り出すと、息が荒くなる。そして、大粒の涙を零した。
「散歩してたら、馬車にぶつかって、ポチャの悲鳴が聞こえて、抱っこしたら手が赤くなって……!」
私の血を見て過剰に反応したのも、馬車に怯えたのも、ポチャが原因だ。
「ポチャ……ごめんね……! うわあぁん……!」
遂にオーレの感情が爆発してしまった。ルーナスの胸に飛び込み、大声で泣き叫ぶ。私はなんてことをしてしまったのだろう。オーレの頭を撫でて、必死に今の自分にできることを探す。
「オーレはその時、ポチャを助けようとしたよね? きっと、ポチャはありがとうって言ってるよ」
“ぼくがリードを離さなかったら、ポチャはちょうちょを追いかけなかったもん……!”
「オーレはポチャのことを忘れなかったでしょ?」
“忘れたら、ポチャが可哀想だもん……!”
オーレは泣きながらも、私の言葉に心でしっかりと答えてくれる。
「ルーナス。ポチャを想刻してもらったら、駄目……でしょうか」
「えっ?」
「これではオーレの中のポチャが……報われません」
オーレは過去に縛られて、動けなくなってしまう。血を見るたびに、馬車を目にするたびに、過去の罪悪感に触れてしまう。
一瞬、その傷を解放することがオーレの救いになるのか迷った。でも、私がオーレの立場なら、想刻が欲しいと思ってしまったのだ。
ルーナスは目を細め、オーレの背中を愛おしそうに撫でる。
“こんなに身近に、想刻を必要としてる人がいることに気付けないなんて。想刻師失格だな”
今まで大勢の人の背中を押してきたのだ。失格なんてことはない。私が唇を噛み締めると、ルーナスはそっと微笑んだ。
「帰ったらポチャの想刻をしよう。オーレが受け取ってくれるならね」
「いいの……?」
「うん、勿論だよ」
オーレはようやく身体を起こし、両手で顔をごしごしと拭く。
「ありがとう……」
オーレがしゃっくり混じりに言うと、ルーナスはオーレの頭を撫で回す。ようやく、私の心もほっと一息つけたような気がした。
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