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第12章 過去に縋る国王 / 第35話
聖女であった過去は決して消えない。心の傷もなくならない。でも、それがあるから今の私なのだ。そう、受け入れられるようになり始めていた。
想刻は五日で完成したものの、ルーナスのチェックは抜かりない。棘がないか、荒削りの部分はないか、木目は綺麗に出ているか――心の中でぶつぶつと呟き、目を光らせる。
「……うん、国王陛下に渡せるだろう」
そう納得した時にはオーレは既に遊びに出ていて、引き渡しの約束の時間は近付いていた。よく頑張ったねという意味も込めて、想刻を抱くルーナスの手に自分の手を重ねてみる。
「ソレイユ?」
突然のことに驚いたのか、ルーナスは肩を震わせた。
「ルーナスは頑張り屋さんです」
「そう……なのかな?」
“自分では分からないな”
ルーナスは僅かに頬を赤く染め、苦笑いをする。
「そうだから言ってるんですよ」
私が念を押すと、ルーナスは顔を綻ばせた。
時計が回り、約束の時間を告げる。アイスティーを用意し、テーブルに三つ並べた。ところが、ブレットが現れる気配がない。
「何かあったんでしょうか」
「事故とかに巻き込まれてなければいいけど……」
席に着いたまま、二人でドアの方を見詰めてみる。しかし、その視線が誰かと交わることはない。
ようやくドアがノックされたのは、アイスティーの氷が半分ほど溶けた頃だった。こちらを覗いたブレットの頬は片方が赤く腫れている。
「ブレットさん、どうなさったんですか!?」
「いや、町の人の喧嘩を仲裁しようとしたら、殴られてしまって。遅れてしまって申し訳ない」
しんみりと頭を下げるブレットを前に、私たちは顔を強張らせて椅子から立ち上がっていた。ブレットの元へと駆け寄るルーナスを横目に、私は救急箱を取りに走る。
「大丈夫ですよ。腫れていますが、すぐに治るでしょう」
「ですが……」
「お気持ちだけで十分です」
そんな会話も聞こえてきた。救急箱から水嚢を取り出し、中に氷水を満たす。それをブレットに押し付けた。
「冷やすだけでも違いますから」
「ありがとうございます」
ブレットは水嚢を両手で受け取ると、にこやかに微笑んでくれた。受け取ってくれてよかった、と少しだけ安心してしまう。
改めて三人でテーブルへと移動し、席に座る。アイスティーも新しいものへと取り換えた。後はブレットと国王の反応を見るだけだ。
「彫刻は出来上がっていますか?」
「はい。国王陛下のお気に召したらいいんですけど」
ルーナスは青い布に包まれた想刻を両手でブレットの前へと押し出した。ブレットは水嚢をテーブルに置き、青い布に触れる。するりと捲ると、ブレットの目が細められた。
“これは……。実に丁寧に仕事をなさる”
どうやら、ブレットの合格点はいただけたようだ。想刻の顔を確認すると、ブレットは慎重に布を巻き直す。
「美しい彫刻だ。きっと、国王陛下も喜ばれるでしょう」
その言葉をもらえただけで、ルーナスは瞼を閉じてほっと一息を吐く。
「よかった。どうか、大事にしてくださいとお伝え願います」
「承知しました」
ブレットも爽やかな笑みを浮かべると、また水嚢を頬に当てた。
後日、国王から感謝状が送られてきた。ルーナスの仕事の評価が書かれているのだ。緊張せずにはいられない。
ルーナスと二人でテーブルに座り、書状を広げる。
* * *
ルーナス・ピアニッソ殿へ
先日、無事にブレットが帰還した。ブレットが負傷した際、怪我の手当てもしてくれたと聞き及んでいる。私からも礼を言う。
彫刻の件だが、実に見事な仕事ぶりであった。王都の彫刻士でも、ここまで丁寧なものは作れないだろう。
そこでだ。
貴殿は王都に来る意思はあるか? あるのなら、私が衣食住、全て面倒を見よう。どうだ? 悪い話ではないだろう?
返事は十日後でも、一年後でもいい。いつでも私は貴殿を迎え入れよう。
アイリーンは今、私の元にいる。あの彫刻があるだけで、私は安心して暮らすことができる。その資格は王都の者にもあるだろう。貴殿に期待しているよ。
ケルヴィン・リルージュより
* * *
一気に不安が押し寄せる。ルーナスは王都での生活を選ぶのだろうか。
王都は心の声が多すぎて、私は順応できないだろう。ルーナスが王都へ行くのなら、私はまた居場所を求めてさすらわなくてはならない。
先が怖くて、ルーナスの答えを聞けない。私たちの沈黙が、余計に空気を重くする。
“俺が王都に行ったら、オーレとソレイユはどうなる? 二人の待遇には全く触れられていない。まずは、そこを確認しないと”
ルーナスは筆記用具を取りに、一度、自室へと戻る。私もオーレも、王都へ行くとは一言も言っていない。ルーナスの順番が間違っていると思う。
「……ルーナス!」
気付いた時には、声を張り上げていた。ルーナスはドアから顔を覗かせる。
「陛下の許可が下りたとしても、私は王都には行けません」
「えっ?」
「ルーナスがここを去っても、私は……」
その先は考えたくない。大きく首を横に振り、肩を抱いた。
「……ごめん、ソレイユを不安にさせちゃったね」
ルーナスは申し訳なさそうに頭を掻き、筆記用具を手にこちらへ戻ってくる。
「俺は、オーレとソレイユの存在を蔑ろにされてるみたいで、腹が立っただけなんだ。ブレットだってソレイユに会ってるのに」
国王に向けた怒りの矛先を手紙として発散しようとしただけ――そういうことだろうか。小首を傾げると、ルーナスは「ふふっ」と笑い声を上げた。
「王都に行く気は全然ないよ。辺境の暮らしが気に入ってるし、王都に行きたいと思う人間が、こんな森の中のログハウスに住んでるわけがないからね」
そうか。言われてみると納得できる。ルーナスはこんな手紙を書き上げ、私に見せてくれた。
* * *
国王陛下へ
お手紙ありがとうございます。ブレットさんを手当てしたのは、人として当然のことです。礼には及びません。
王都行きの話ですが、陛下も俺に家族がいることはご存知ですよね? 家族の待遇を全く話題に出されないのは、流石の俺も納得できません。
今の時点では、王都に越すことはないでしょう。俺は、身近な人たちの大切な人を彫刻できればそれでいいのです。俺の居場所はここなんです。
想刻だけではなく、アイリーン殿下自身のことを、どうか大切にしてあげてください。手紙で想いを伝えることもできます。プレゼントだって贈れます。
俺は、それすらできなくなってしまった人たちを何人も見てきました。でも、国王陛下は違うのです。
愛は、ご本人に伝えてこそだと思いますよ。この手紙でご気分を害されましたら申し訳ありません。
ルーナス・ピアニッソより
* * *
ルーナスの優しさ、怒り、職人気質なところ――全てが出ている手紙のように思えた。
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