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第6話 / 全8話
ロータスが迎えに来た頃には、ルネは緊張と不安でガチガチだった。空腹は全く感じない。おそらく、料理の味もまともに分からないだろう。
組んだロータスの腕が頼もしく思えるなんて不服だ。
「緊張しすぎだ。一回、深呼吸でもするか?」
「深呼吸しても何も変わらないわよ」
実際もう何度も深く息を吐いているが、魔王と対面することを考えるとどうしても身体が強張ってしまう。
ロータスは平気だろう。魔王に愛され、その人柄だって知っているのだから。だが、散々魔王国の危険な噂を聞いて育ったルネはちっとも平気じゃない。
「うう……なんでこんな目に遭わなきゃならないのよ」
胃がキリキリと痛む。これ以上緊張が増すと吐いてしまいそうだ。淑女としてそんな姿は絶対に見せたくないから、その前に気絶してしまおう。
本日二度目の食堂。昼と同じくアスターが先に座っていたが、昼間のようにロータスの元へと駆け寄ることはなかった。
俯いて座る彼の顔色が悪く見える。魔王との対面にアスターも胃を痛めていることは容易に想像がついた。自分も同じだから安心して、とアスターに声をかけたいところだが、テーブルを挟んで向かい合った状況ではなかなか難しい。和気あいあいとした空気ならともかく、食堂内はしんと静まり返っているのだ。
ただカトラリーとグラスが置かれただけというのに、魔王の席から放たれる威圧が凄まじい。心做しか食堂全体の空気が張り詰めているような。
魔王の来訪はすぐに分かった。ピン、と張った空気が一層重みを増し、無意識にルネの背筋が伸びる。
ゆっくりと開いた扉から男性が歩いてくる。マントを背に揺らしながら歩く姿は威厳と風格に満ちていた。顔つきはアスターに似ている。が、纏うオーラが全く違う。
しかしそれでも、魔王と呼べるような禍々しさをこの男性からは感じなかった。
男性が椅子に腰掛け、息を吐く。その様はどこか疲れているように見えた。
夕食の席に全員が揃ったことで使用人達が給仕を始める。グラスに飲み物が注がれ、前菜がルネの前に運ばれた。……喉を通るだろうか。
「ロータシウス。変わりはないか?」
「見ての通りです。父上はお疲れに見えますね」
ロータスに向けられた視線の中にたしかに見える、父の心配。やはり彼は第一王子を愛しているのだという確信につながる。
飄々と答えたロータスに安堵の色を浮かべたのも束の間、魔王の目がロータスからルネへと向けられた。この国の民である証の空色の目。それはアスターやランナと大差ない色だというのに、この男性の目は気高き蒼穹を思わせる。
「この娘は?」
「俺が連れてきました」
「月の娘なのか?」
「はい」
「そうか……」
今にも口から心臓が飛び出そうだ。王妃のドレスを着ていることを責められても仕方がない。覚悟もしている。だが、ここで怯んでは駄目だ。ルネは椅子から立ち上がるとドレスの裾をふわりと広げ、最上級のカーテシーを魔王へ送る。
「国王陛下にご挨拶申し上げます。私はフィオドール公爵家が第二子、ルネ・フィオドールと申します。国王陛下不在の間に王城へ足を踏み入れてしまったご無礼、謹んでお詫び申し上げます」
激しく脈打つ心臓を抑え、完璧な淑女の振る舞いを見せる。そんなルネを魔王は少し興味深そうに一瞥した。
「娘よ、座るといい。貴様は外の国から来たのか?」
「はい。皆既月食の夜、こちらのロータシウス殿下に連れられて」
ロータスに無理やり攫われてきた、という意味で話したのだが上手く伝わっているだろうか。ドレスについては特に咎められずほっとする。
「ロータシウス、挙式はいつを考えている」
(挙式!?)
魔王の発言に驚くあまり素っ頓狂な声を上げるところだった。いや、きっと何か聞き間違いをしたに違いない。いくら可愛い息子が攫ってきた娘だからといって、あっさり結婚を認めるはずがないだろう。
「んー……三ヶ月後くらいですかねえ」
三ヶ月後くらいですかねえ、ではない。冗談じゃない。このままでは嫁入りが確定してしまう。どうにか阻止をしなくては。
「お、お待ちください。陛下は殿下の結婚相手が私でよろしいのですか? この国の貴族である方が相応しいのではないですか? 私はよそ者でございますし」
魔王が反対してくれたらすぐにでも祖国に帰る準備をするのに。どうか反対してくれと淡い希望を込めて蒼穹の瞳を見つめるが、無表情の魔王が何を考えているか全く分からない。
「誰でもいいのだ。それなりの家柄の出身であり聡明でロータシウスの無茶を止められ、芯の強さを持ち合わせたこの子と添い遂げてくれる女性であれば誰でもいい」
「誰でもいい」のハードルがしっかり高い気がする。たしかにルネほどの令嬢であれば魔王の条件を満たしているのも当然だが、だからといって嫁入りするつもりは毛頭無い。
というか「誰でもいい」という理由で選ばれたくない。
「それに、貴様は月の娘なのだろう。元よりロータシウスが選んだ相手であれば反対するつもりはない。誰が相手であろうと、この子にとって幸せであれば十分だ」
「それは……」
月の娘は自分ではなくセレンディナだ。しかし真実を話してセレンディナが狙われてしまったら、と考えると口を噤んでしまう。やはりこのまま、嫁入りするしかないのか。それは絶対に嫌だ。
「式に必要なものがあれば言うといい。すぐに準備させよう」
ああ、なんということだ。冷たい表情と誰もを圧倒させるオーラから信じきれずにいたが、魔王は想像よりずっとロータスを溺愛しているらしい。この場では太刀打ちできない。
満足そうにグラスを傾ける魔王を視界の端に捉えながら、ルネは奥歯を噛み締めた。
緊張こそ解けたものの、不満でいっぱいのルネの横で魔王と魔王子が会話をしている。
「農地の状況はいかがでしたか?」
「視察に訪れたところはどこも似たような状況だった。放置すれば今年は凶作になるだろう。魔法で作物の生育を促進させる必要がある」
魔法で作物を育てることができるのか。興味深い内容につい聞き耳を立てながらスープを掬う。
「俺が行きましょうか?」
「駄目だ。許可できない」
「魔力なら俺が一番多い。民を待たせる期間だって短くなるでしょう」
「いいや、私とアステルで回る計画だ。いいなアステル」
「は、はい、父上」
突然名を呼ばれて肩を震わせるアスター。自身の申し出を断られたロータスは不満そうに口を尖らせた。
「なぜですか。作物を育てるくらい負担にはなりませんよ」
「お前の身体を蝕む呪いがいつどうなってもおかしくはないのだ。こちらで処理できることで身を危険に晒すな」
「なら、ルネと同行します。先に新婚旅行をするのも悪くないでしょう? この国からは出られないんですから、行き先が被っても仕方ないですよね」
危うくスープが気管に入るところだった。聞き捨てならない。結婚もしていないのに新婚旅行だなんて。それも、魔王に同行する形で。絶対に行きたくない。
「新婚旅行ならば二人で行くべきだろう。それでは家族旅行ではないか」
(そういうことじゃないわよ!!)
呆れた様子の魔王にルネが呆れる。新婚旅行と言うか家族旅行と言うかが問題ではない。家族旅行ならば、ぜひルネを除いた三人で楽しんでくればいい。それが一番じゃないか。ロータス達がこの城からいなくなれば逃げる機会に恵まれる。
「家族旅行でも構いませんよ。ルネにこの国を紹介できる良い機会になりますし」
お留守番で結構だ。この国について深く知るつもりはないし、知りたいとも思わない。
国王と王子の会話にルネが口を挟めないのをいいことに、どんどん話が進んでいく。いつの間にか「どこから行くか」「どこで宿泊するか」という話になっていた。
ルネはともかく、当事者であろうアスターの意見もほとんど聞いていない。魔王とロータスだけでさっさと話を決め、「家族旅行」は確定事項になってしまった。それも出立は明後日。急にも程がある。
魔王も愛する息子との旅行がしたいだけなんじゃないのか。
「──ロータス!!」
食堂を出るなりルネはロータスの服を引っ張って呼び止める。ルネを見るロータスはなぜかにこにこしていた。こっちは笑える状況じゃないというのに。
「勝手に話を決めないでちょうだい!! なんで私まで行かなければならないの!!」
「落ち着けよルネ。父上とアスターが一緒に視察に行くなんてチャンスだと思わないか?」
「チャンスってアナタ、仲直りさせるために一緒に行くと言い出したの?」
「それもある」
「それも? 他にまだ理由があるの?」
まだ何か企んでいるのか。隠してることを全部吐け、とばかりにルネが睨むがロータスはまるで動じない。
「ああ。ルネと一緒に出かけたい」
「なっ」
「実際俺とルネだけで出かけようとすれば心配性の父上は止めるはずだからな。けど、父上も一緒にいるなら問題ないだろ」
この男はどうしてこうも発言がストレートなのか。そういうところが調子が狂う。
「そ、そんな理由で」
「俺からしたらちゃんとした理由だ」
誇らしげに言うほどのことじゃない。のに、それを咎める気にはなれなくて。
「……分かったわよ。私はアナタに協力しなきゃいけないんでしょう? だったら、今回は仕方ないからついて行ってあげるわ」
ふん、と腕を組んでそっぽを向くルネを見つめるロータスは嬉しそうな笑顔のままで。
「ありがとうルネ」
こちらを揶揄ってばかりかと思えば素直に礼を言ってくる。そんな相手は初めてだ。
本当に、調子が狂う。
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