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第一部 地域ローカルスーパー(下級神)編 / 第4話
閉店セール、四十五日目。
「いらっしゃいませー、閉店セール続行中でーす」
もはや俺の挨拶は町の風物詩と化していた。常連客は「まだやっとるん」と笑いながら買っていくし、新規の客は「まだやってる」と訝しみながら買っていく。どっちにしろ買っていくので、問題はない。
【総神力:889(前日比プラス17)】
信者数も、正式に数えて二十三人まで増えた。弱小神は卒業――とまでは言わないが、少なくとも「三日後に消滅」の圏内からは、だいぶ遠くまで来た。
問題は、その日の昼に来た。
自動ドアが開いて、スーツの女の人が入ってきた。この時点で俺の警戒レベルは自動的に上がる。うちの店にスーツで来る人間に、ろくなやつがいた試しがない。名刺と一緒に閉店勧告か、権能と一緒に再開発案を持ってくる。
だがその人は、名刺より先に、店内の張り紙を指差した。
「この『閉店セール』の表示について、お話を伺いに参りました。市役所商工観光課の、椿木と申します」
顔を上げて、俺は固まった。
葵だった。
椿木葵。同じ町で生まれて、同じ小学校に通って、俺が就職で町を出るまで、たぶん人生で一番長く一緒にいた幼馴染。進学で町を出たと聞いていた。いつ戻ったんだ。なんで役所にいるんだ。なんでうちに来るんだ。
「……あの。聞いていらっしゃいますか」
「あ、はい。聞いてます。閉店セールの、何でしたっけ」
危ない。素で三秒飛んでいた。
落ち着け。俺の今の顔は、あいつの知ってる御削零の顔じゃない。戸籍の上では、俺は一年前に死んでいる。目の前にいるのは、初対面の店主と、初対面の公務員。それでいい。それで、いいんだ。
「表示についてです。こちらの閉店セール、開始から四十五日が経過していますね」
「よくご存じで」
「調べましたので。……開始から今日まで、閉店の予定日が一度も告知されていません。それどころか売場は拡張され、新規の仕入れも増え、先週にはアルバイトの求人まで出ています」
「景気よくて、ありがたいことです」
「閉店する店は、普通、求人を出しません」
葵は淡々と、手元のファイルをめくった。昔から、こういうやつだった。かけっこで俺がゴール手前で転んだときも、先に「大丈夫?」じゃなくて「あと二メートルだったのに」と言った。事実から先に来るのだ、この人は。
「実態のない閉店を予告して購買を煽る行為は、有利誤認――つまり景品表示法に抵触するおそれがあります。というのが、表向きの話です」
「……表向き?」
葵はファイルを閉じ、すっと息を吸って、俺をまっすぐ見た。
「ここからは、当課のもう一つの所掌でお話しします。商工観光課、神域担当。この店をドメインとする神格の方――で、間違いありませんね?」
店内の空気が、しんとなった。タエさんが漬物コーナーの陰から、露骨にこっちを窺っている。
「……見えてるんすか、俺のこれ」
「研修を受けていますので。単刀直入に申し上げます。『閉店の危機』という演出で信仰を集める行為は、信仰の対価性に関する規程に照らして、極めてグレーです。すでに神力の回復した神格が、危機を偽装して信仰を収集し続けている。あなたのやっていることは
――」
葵は、びしりと人差し指をこちらに向けた。
「神様、それはコンプライアンス違反です!」
俺は、しばらく黙った。
再開発でも、権能でも、買収でもなく。転生して一年、初めて店に乗り込んできた行政は、俺の味方でも敵でもなく、ただ正しく、俺の屁理屈を怒りに来たのだった。
「……あの、参考までに聞きたいんすけど。神様相手にも、行政指導ってあるんですか」
「あります。太古の契約以来の運用です。神様であっても、人の町で商いをする以上、人の町のルールの中でやっていただきます」
いい啖呵だった。俺は正直、ちょっと感動していた。感動していたので、軽口が出た。
「じゃあ交渉です。閉店セールをやめる代わりに、役所のほうで、うちのセールに何かいい名目を――」
言いかけたときだった。
店の温度が、一気に下がった。
比喩ではない。吐いた息が、白く凍って見えた。自動ドアが凍りついたまま、無理やりこじ開けられる。入ってきたのは、白髪を後ろに撫でつけた長身の男。コートの肩に、霜が降りている。歩いた床から、氷の膜が広がっていく。
「エターナル・リテール、執行役員の氷堂と申します。氷堂玄冬」
男は恭しく一礼した。吐息が吹雪みたいに白い。
「天峰が落ち、久遠が落ち。本社もいよいよ、看過できなくなりましてね。回りくどい買収や勧告はやめにしました。本日をもって―
―御社の資産を、凍結させていただきます」
氷堂が指を鳴らした。
瞬間、店内の全部が凍った。冷蔵ケースが氷の塊になった。棚の商品が霜をまとった。レジが、ラジカセが、演歌ごと凍りついた。タエさんの漬物樽が、樽ごと氷漬けになった。
「なっ――」
駆け寄ろうとした俺の足元から、氷が這い上がってくる。視界の端に、嫌なラベルが出た。
【対象:氷堂玄冬(上位神)】【賞味期限:残り∞】【操作:不能】
不能。困難、ですらなく。
「無駄ですよ、賞味期限の神様。あなたの手口は本社で全件共有済みです。摂取による適用、接触によるシール貼付。ですから私は、あなたに指一本触れさせないし、何も口にしない。そして――」
氷堂は薄く笑った。
「凍結されたものに、賞味期限は進まない。冷凍保存とはそういうものでしょう? あなたの権能は、私の権能の下では、時計ごと止まるんです」
まずい。理屈が通ってる。劣化も延命も、「時間が進む」ことが前提の権能だ。凍結はその前提ごと消しにくる。相性が、真正面から最悪だった。
「店ごと氷漬けにして、春になったら更地にします。ああ、ご安心を。氷の中は傷みませんから、看板に偽りなしだ。……永久に、閉店セール中ですよ」
足元の氷が膝まで来た。動けない。タエさんが――タエさんの足元にも、氷が回っていた。
「タエさん!」
「人間ごと、ですか」
声は、俺のじゃなかった。
葵が、凍りかけの床の上に、まっすぐ立っていた。手にはさっきのファイル。氷は、なぜか彼女の靴の手前で止まっている。
「氷堂執行役員、とおっしゃいましたね。あなたの凍結権能、当該神域における行使許可の届出番号をお答えください」
「……何ですって?」
「お答えいただけないようなので、こちらで確認しました。御社が本件再開発で取得している許認可は、土地取引および神域の商業利用に関するものだけです。神格への直接干渉は届出の範囲外。そして――」
葵はファイルから一枚、紙を抜き出した。凍った店内で、その紙だけが、ぱりっと乾いた音を立てた。
「ただいまこの瞬間、あなたの権能は当該神域の人間二名に及びました。太古の契約第三条、『神は、契約によらず人の生命身体を害してはならない』。原初の契約への抵触は、許認可以前の問題です。氷堂玄冬様――」
さっき俺に向いていた人差し指が、今度は氷堂に向いた。
「神様、それはコンプライアンス違反です!」
紙が、光った。
大袈裟な光じゃない。役所の蛍光灯みたいな、白くて味気ない光だ。だがその光が氷堂に届いた瞬間、男の体がぐらりと揺れた。店を満たしていた冷気が、明らかに緩む。
「是正勧告書です。受領を拒否されても、送達の効力は発生しています。契約違反状態にある神格は、違反が解消されるまで、権能の行使に制限を受けます」
「人間ごときの、紙切れが……!」
「紙切れではありません。行政文書です」
俺は自分の視界のラベルを見た。
【対象:氷堂玄冬(上位神・契約違反状態)】【操作:可能】
――開いた。
葵が理屈で殴って、格上の神格に穴を空けた。俺の権能の解釈をどれだけ広げても届かなかった場所に、条文の解釈で届いたのだ。同業の匂いがした。やり方が、完全に商売人のそれだった。
「店主さん!」
葵が振り向かずに言った。
「勧告の効力は一時的です。是正されても、されなくても、長くは保ちません。ですから――今のうちに、どうぞ」
「……指導が入ったばかりなんで、一応聞きますけど。いいんすか、俺がやって」
「正当防衛の要件は満たしています。それに」
葵は、氷漬けの漬物樽をちらりと見た。
「わたし、この店の漬物、子供の頃から好きなので」
それで十分だった。
膝の氷を蹴り割って、俺は走った。氷堂が慌てて冷気を放つが、契約違反で締め上げられた権能は、さっきの半分も伸びてこない。凍った床を、滑るように三歩。むしろ速い。スケートリンクにしてくれて、ありがとうよ。
「うちの店を、永久に閉店セール中にしてくれるんでしたっけ」
懐に入る。氷堂の目が見開かれる。
「生憎うちのセールはな――俺が締めるって決めてんだよ」
ばちん、と。
執行役員の胸元に、値引きシールを直貼りした。
【値引きシール:半額(マイナス五十パーセント)】【重畳適用:契約違反による権能制限】
氷堂の膝が、がくんと落ちた。店を覆っていた氷が、端から音を立てて溶けていく。冷蔵ケースが動き出し、ラジカセの演歌が、凍る前の続きから再生された。
「執行役員が……半額……」
「安心してください。まだ消費期限には変えてませんから。――ただし」
俺は、溶けかけの床に膝をついた男の目線まで、しゃがんだ。
「次、うちの客に氷を這わせたら。そのときは特売じゃ済まさない」
氷堂は何も言わず、よろめきながら立ち上がると、溶け残った氷を踏み割って出ていった。最後まで、一礼だけは恭しかった。ああいうところは、たぶん本社の教育がいいんだろう。
---
「――で、話を戻しますが」
店の片付けが終わるなり、葵はファイルを開き直した。この人は本当に、事実から先に来る。
「閉店セールの表示は、本日限りで是正してください」
「えー」
「えー、ではありません。代替案は考えてあります。実態に即した名称にすればいいんです。例えば……そうですね。改装の予定は?」
「そりゃ、金が貯まったらいずれは。棚も冷蔵ケースも年代物なんで」
「では『新装開店準備セール』。これなら実態と表示が一致します。閉店セールより、前向きでいいと思いますけど」
新装開店準備セール。……なるほど、期限がない上に、目標まで付いてくる。閉店セールが「終わりの引き延ばし」だとしたら、こっちは「始まりの積み立て」だ。同じ無期限でも、意味がまるっきり反転する。
「それ、いただきます」
「指導ですので、いただくもいただかないもありません」
葵はファイルを閉じ、帰り際、ふと祠の前で足を止めた。何か言いたそうにして、結局何も言わずに、一礼だけして出ていった。
俺はレジに戻って、電卓を叩いた。
【本日の売上:六万一千二百円(前日比プラス九パーセント)】
【本日の客数:三十八名】
【特売効果:執行役員一柱を半額化】
【行政指導:一件(受領済み)】
【備考:明日より「新装開店準備セール」に改称】
……幼馴染に正体を隠して、隣で戦う日が来るとはな。
言えるわけがない。俺はあいつの中で、一年前に死んでるんだから。ま、それも含めて。
「そういうのは全部、新装開店までの積み立てってことで」
閉店セール、最終日。明日からは、開店準備の日々だ。
後書き
「神様、それはコンプライアンス違反です!」お読みいただきありがとうございました。行政指導で権能が縛れる世界、書いていて妙な説得力を感じています。役所は強い。
次回は幕間。葵の書いた業務報告書を、そのまま公開します。役所文書の体裁で小説を書くの、実は結構楽しかったです。
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