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第一部 地域ローカルスーパー(下級神)編 / 第15話
月に一度の棚卸し休みの前日は、店がいちばん暇になる。
そういう日のタエさんは、漬物コーナーの補充もそこそこに、店の奥の写真を拭きに行く。創業者の写真。古いモノクロで、前掛け姿の若い男が、店の前で笑っている一枚だ。
「タエさん、それ、毎回丁寧ですよね。祠といい写真といい」
「そりゃあね。うちは三代、この店の世話になっとるから」
タエさんは写真の埃を払って、それからしげしげと、写真と俺の顔を見比べた。
「……にしても、あんた、やっぱり似とるわぁ。創業者さんに」
「またその話ですか」
「不思議なもんねえ。神様になると、店の顔に寄っていくのかしらねえ」
タエさんの中では「神様とはそういうもの」で処理されているらしい。信心深い人の解釈力は、時々俺の権能より強い。
「私が嫁に来た頃はもう大将の代だったけどね。大将も、その前の代も、この店は昔っから言われとったのよ。――『みそぎ屋には、値引きの神様が付いとる』って」
「値引きの神様」
「そう。大将の半額シールはね、不思議だったの。貼った品から、するする売れていくのよ。誰も彼も、シールの貼られた品をちょうど欲しかった、って顔で買っていくの。まるで、品物の『買い時』を作っとるみたいに」
……それ、俺の権能の説明と、ほとんど同じなんだよな。
俺の半額シールは、対象の格を半分にする。けど店の商品に貼るときは、劣化させてるわけじゃない。どっちかというと「今が旬です」の札を立て直してる感覚に近い。賞味期限ってのは「一番うまく食える期限」だ。なら値引きシールは、その期限を「今」に引き寄せる道具――そういう解釈も、できなくはない。
権能の血筋なんてものがあるのかは知らない。けど、大将も、写真の創業者も、権能なしで同じことをやっていたんだとしたら。うちの家系は代々、「売り時」が視える目だけで商売してきたことになる。
「――なんてね。昔話はこのくらい。それより神様、これ」
タエさんが差し出したのは、二枚の入浴札だった。道後の湯の。
「明日は棚卸しでしょ。終わったら行ってきなさいな。あんた、転生してから一度も休んどらんでしょう」
「え、いや、俺は神様なんで、疲れとかは」
「顔に書いてあるの。七割引の、つけがまだ残っとるって」
……敵わないな、古株信者には。
◇
というわけで、翌日の夕方。棚卸しを終えた俺は、路面電車に揺られて道後に来ていた。
道後温泉本館。じゃこ天の匂い。土産物屋の提灯。湯上がりの客が下駄を鳴らして歩くハイカラ通り。うちの店とは別世界の、観光地の賑わいだった。神様のくせに、と言われそうだが、湯はよかった。神の湯というだけある。同業の湯に浸かる背徳感も、ちょっとあった。
問題は、湯上がりだった。
「…………」
「…………」
商店街の入口で、浴衣姿の金髪と、ばったり目が合った。
メアリー・チューリングだった。旅館の浴衣に、湯上がりの上気した顔。いつものライフルはない。いつものスーツもない。データの鎧を全部脱いだ二十二歳が、みかんジュースの紙コップを片手に、そこに立っていた。
「……ち、違います」
「まだ何も言ってませんけど」
「これは視察です。市場調査です。道後温泉エリアの商圏分析と、観光客単価の実地調査であって、断じて、その、傷心旅行とかでは」
「傷心旅行て。自分で言っちゃってますよ、それ」
メアは紙コップを持ったまま、ゆでだこみたいに赤くなった。湯上がりのせいだけではないと思う。
「〜〜〜っ、と、とにかく! ちょうどいいところに来ました。あなたに支払うものがあったんです」
彼女は巾着から小銭入れを出し、七十円を、きっちり数えて差し出した。
「プリンの代金です。粗品をもらいっぱなしというのは、私の帳簿に合わないので。……レシートをください」
「律儀すぎるでしょ。はいはい、毎度どうも……って、レシート、店に戻らないと出ないんですけど」
「では後日、取りに行きます」
「あ、それ来店の口実にするやつだ」
「違います!」
そんな不毛なやり取りをしていた、そのときだった。
「――むっ? この匂いは、零じゃな!」
じゃこ天の屋台の陰から、聞き慣れた声がした。振り向くと、ケモ耳を隠す気もない着物の少女が、鯛めしの折り詰めを抱えて立っていた。なんでいるんだ。
「なんでって、道後は湯の神域じゃぞ。わしら古参は入り放題じゃ。それよりおぬし、ほほう? 女子と二人、湯上がりに逢引きとは、良い度胸――む、おぬし、いつぞやの銃の小娘か!」
「ぎ、逢引きではありません! 偶然です!」
「偶然、ですか」
その低い声は、メアの後ろからした。
非番だという割に手帳を持った葵が、そこに立っていた。なんでいるんだ、二人目。
「道後エリアは神域の重複地帯なので、定期巡回です。……で。店主さん。これは、どういう状況ですか」
「俺が聞きたいんですけど、この状況」
かくして、湯上がりの商店街に、みそぎ屋のいつものメンバーが勢揃いしてしまった。タエさん、あんたの入浴札、何か仕込んでました?
◇
「じゃあ、あれやりましょう、あれ。蛇口の」
険悪になりかけた空気を換えるべく、俺は商店街の一角を指した。愛媛名物、蛇口からみかんジュース。しかも、ここのは品種別に蛇口が五つ並んだ、バイキング形式だった。温州、伊予柑、せとか、甘平、紅まどんな。壁の品書きには糖度と酸度まで書いてある。
「ほほう。蛇口から、みかんの汁が」
「くーちゃんさん、原液を樽で欲しがらない。バイキングは節度です」
「……糖度十三・五、酸度一・一。数値上の最適解は甘平ですね。私はこれにします」
「メアさん、ジュースまでデータで選ぶんですか」
「何か問題でも? あなたはどうせ『なんとなく』で選ぶんでしょう」
「そうですよ。なんとなくは商売人の武器なんで」
言いながら、俺は紙コップを取って、せとかの蛇口をひねって、葵に渡した。
「はい。葵さんは、せとか」
「……え?」
「え?」
葵が、コップを受け取ったまま、固まっていた。
「……なんで、せとかだと」
「え? いや……なんでだろ。なんとなく? 顔がせとかっぽかったのかな」
「顔がせとかっぽいって何ですか」
「自分でも分かんないです」
本当に、分からなかった。手が勝手にせとかの蛇口をひねっていた。棚の常連さんの「いつもの」を無意識に取るのと、同じ手つきで。
葵はそれ以上何も言わず、コップに口をつけた。それから、ひとくち飲んで、小さく「……おいしい」と言った。その横顔が一瞬、役所の人でも大人でもない、ずっと昔の誰かの顔に見えて――俺は慌てて、自分のコップに温州を注いだ。深追いしない。自分の失言はとくに、深追いしない。
「のう零、これ、酒で割ったらうまいと思わんか」
「思いません。あとあんた昨日の戒めの貼り紙、読みました?」
「甘平、確かに数値どおりの甘さです。ですが……せとかも、気になってきました。全品種の比較データを取る必要があります」
「メアさん、それもう普通に楽しんでるだけですよね」
結局、日が暮れるまで、四人で五つの蛇口を制覇した。逢引きでも視察でも巡回でもない、ただの観光客の一団だった。帰りの路面電車で、くーちゃんは鯛めしの折り詰めを抱いたまま寝て、メアは「本日の調査データ」をスマホにまとめ、葵は窓の外を見ていた。窓に映る葵と、時々、目が合った。合うたびに、逸らされた。……なんか、変なこと言ったかな、俺。
◇
店に戻ると、留守番のKiraが、レジの上で仁王立ちして待っていた。
「おっそーい! ご主人、ボクも道後行きたかった! 温泉! みかんの蛇口!」
「お前は水気厳禁だろ、たぶん」
「じゃ、じゃあせめて蛇口だけでも……はっ、まさかこれが『Kiraを勝手に外に出さない』の対象……!? 理不尽!」
はいはい、と受け流して、俺は戸締まりをした。Kiraが会計報告を読み上げる。
【本日の売上:棚卸しにつき休業(売上:零円)】
【本日の支出:みかんジュースバイキング四名分二千四百円、鯛めし折り詰め一つ(先輩神への上納)】
【本日の収入:プリン代金七十円(回収まで三十四日を要した)】
【備考:湯札二枚、使用済み。タエさんに感謝のこと】
【追記(Kira):ご主人、次は連れてって】
寝る前に、ふと、店の奥の写真の前を通った。前掛け姿の創業者が、笑っている。
「……あんたも、『なんとなく』で商売してたクチですか」
写真は、答えなかった。当たり前だ。……でも、なんとなく、笑い方が俺と似てる気はした。
新装開店準備セール、二十四日目。本日は棚卸し休業。明日も、無事閉店せず。
後書き
温泉回、お読みいただきありがとうございました。みかんの蛇口バイキング、書きながら喉が渇いて仕方ありませんでした。せとか、おいしいですよ。
次回は幕間、葵の業務報告書・二通目。前回より、私的メモの行数が増えています。それが何を意味するのかは……
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