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第一部 地域ローカルスーパー(下級神)編 / 第2話
「いらっしゃいませー、閉店セール実施中でーす」
俺の声に、店内の客がわらわらと反応する。平日の昼間だというのに、みそぎ屋には十人以上の客が入っていた。三週間前までは考えられなかった光景だ。
閉店セール、二十日目。
……いや、分かってる。言いたいことは分かってる。閉店セールってのは普通、閉店するからやるもんだ。だが考えてみてほしい。どこの法律に「閉店セールを始めたら閉店しなければならない」と書いてある? 書いてない。俺は確認した。念入りに。
「神様、また新しいお客さんよ。隣町から来たんだって」
タエさんが漬物コーナーから嬉しそうに手を振ってくる。彼女の漬物も、このセール景気に乗って過去最高の売れ行きらしい。
信仰力は売上だ。閉店の危機を煽られた客たちが「なくなる前に行かなきゃ」と押し寄せ、売上が伸び、俺の神力が回復する。そして神力が回復すれば店は維持できるので、閉店の必要がなくなる。必要はなくなるが、セールはやめない。だって売れるから。
【総神力:312(前日比プラス21)】
三週間前、残り47でカウントダウンしていた数字とは思えない。我ながら、ちょっと引くくらいの回復ぶりだった。
「神様、それ、商売のやり方としてどうなんですか」
品出しを手伝っている翔が、段ボールを抱えたまま呆れ顔で言う。最近の翔は、引きこもりを卒業しかけていた。店が忙しくて、引きこもってる暇がないのだ。
「どうって、嘘はついてないだろ。閉店の危機は本当にあった。セールも本当にやってる」
「危機、去りましたよね?」
「危機ってのはな、翔。いつだって三日後くらいの距離にいるもんなんだよ」
我ながら含蓄のあることを言った、と思った瞬間だった。
店の照明が、ぶつん、と音を立てて全部落ちた。
停電――ではない。冷蔵ケースは動いている。照明だけが死んでいる。そして自動ドアが、誰も触れていないのに、ゆっくりと開いた。
入ってきた男を見て、店内の客が誰からともなく後ずさる。長身。上等なコートを羽織り、片手を優雅にポケットへ入れている。歳の頃は四十絡み――に見えるが、たぶん本当の歳はそんなものじゃない。
男が一歩、店内に踏み込んだ。
その瞬間、床が軋んだ。棚が軋んだ。商品という商品が、見えない手のひらに押さえつけられたみたいに、いっせいに棚板へ沈み込む。俺の肩にも、ずしり、と鉛を乗せられたような重さがかかった。
重力。
理屈も何もない。ただ「重い」。それだけの力。だが、それだけの力で店ごと潰せることが、一歩でもう分かった。
「エターナル・リテール、神域開発部部長の久遠と申します」
男は丁寧に頭を下げた。物腰は天峰よりよほど紳士的で、だからこそ嫌な予感しかしなかった。
「部下の天峰が、大変なご無礼を。彼は本社預かりとなりました。……人事査定の途中で、あなたの権能についても伺いましてね」
「そりゃどうも。で、部長さん直々に、うちみたいな弱小店に何の用です」
「確認に参りました。……ほう」
久遠は店内を見回し、感心したように目を細めた。
「閉店セールで神力を回復させる。危機を演出し、信仰を売上に変える。お見事です。正直、本社のマーケティング部門に欲しいくらいだ」
「うちは中途採用やってないんで」
「ええ、存じています。ですから――潰しに来ました」
久遠が、ポケットから手を出した。
それだけで、店内の重さが一段跳ね上がった。客たちが悲鳴を上げてしゃがみ込む。タエさんが漬物の樽ごと床に膝をつくのが見えた。翔が抱えていた段ボールが、べしゃりと潰れる。
「ご安心を。人は潰しません。潰すのは店と、あなただけです」
「……客に手ぇ出さないのは、褒めてやるよ」
軋む膝を叱りつけて、俺はレジカウンターに手をついた。視界の端にラベルを呼び出す。
【対象:久遠(上位寄り中堅神)】【賞味期限:残り∞(無期限)】
【操作:抵抗により困難】
――抵抗により困難、ときたか。
天峰のときは「操作可能」だった。格が違うと、視るだけでも指先が痺れる。プリンの試食トリックも、この男には通じないだろう。天峰の敗因は本社で共有済みのはずだ。現にさっきから、久遠は俺の手元から一瞬も目を離していない。何かを口にするどころか、俺の半径三メートルに近づく気もなさそうだった。
だったら、向こうから手に取らせるしかない。
「久遠さん。潰す前に、一個だけ確認してもらいたいものがあるんすけど」
「ほう?」
「そこの冷蔵ケース。うちの目玉商品なんですよ」
俺は重力に逆らってケースまで歩き、牛乳パックを一本取り出した。ラベルの日付は、十日前で切れている。
「賞味期限切れの牛乳。うちはこれを半額で売ってる。……あんたらの本社、こういうの一番嫌いでしょ。品質管理がどうとか、コンプライアンスがどうとか」
「ええ。率直に申し上げて、閉店以前の問題ですね。営業停止処分が妥当だ」
「そう思うでしょ。でも、これが売れるんだなあ」
俺はパックの封を開け、久遠のほうへ掲げてみせた。
「なんでだと思います? うちの牛乳、期限が切れてからのほうが旨いんですよ。信じられないなら――部長さんの舌で、査定してみます?」
久遠の眉が、ぴくりと動いた。
「私に飲ませて、権能を通すつもりですか。天峰と同じ手に、私が乗ると?」
「乗らないならそれでいいっすよ。ただその場合、部長さんは『検品もせずに営業停止をちらつかせた』ことになる。それ、報告書に書けるんですか? 現物確認を怠った管理職の判断って、本社的にはどうなんです」
久遠が、初めて沈黙した。
紳士的で、丁寧で、手続きを重んじる男。だからこそ逃げられない。検品は、彼の職務なのだ。
「……いいでしょう」
久遠は指先を鳴らし、牛乳パックを宙に浮かせて引き寄せた。俺には指一本触れさせない。徹底している。彼はパックの中身を検分し、毒物の類がないことを確かめてから、ほんのひとくち、口に含んだ。
その瞬間を、俺は逃さなかった。
【摂取を確認】【対象:久遠】【賞味期限を適用:残り七十二時間】
「――ぬ、う……!?」
久遠の顔が歪む。店内の重さが、ふっと三割ほど軽くなった。
「な、ぜだ……この牛乳は、期限が切れて……」
「ああ、それ。切れてないんですよ、実は」
俺はにっこり笑った。
「うちの権能、劣化だけじゃなくて延命もできるんで。その牛乳、ラベルの日付は十日前だけど、中身は搾りたてより新鮮です。つまりあんたが飲んだのは、正真正銘、うちの目玉商品――『権能つき牛乳』ってわけ。ご賞味いただき、ありがとうございます」
「小賢しい……この程度の劣化、私の神格なら、三日もあれば振り払える……!」
そう、そこが天峰との格の違いだった。賞味期限を通しても、この男はまだ立っている。重力はまだ店を押さえつけている。ひとくちしか飲まなかった分、効きも浅い。
だから、二段構えだ。
「でしょうね。だから――お会計はここからなんですよ」
軽くなった三割分。それだけあれば、走れる。
俺は床を蹴った。重力の底を掻くように三歩。久遠が反射的に右手をこちらへ向ける――が、権能の照準が、劣化した神格のぶんだけ遅れる。振り下ろされた「重さ」が俺の一歩後ろの床をひしゃげさせた。
懐まで、届いた。
「本日限り、大特価」
ばちん、と音を立てて、俺は久遠の胸元に――値引きシールを、直接叩きつけた。
【値引きシール:半額(マイナス五十パーセント)】【対象:久遠の神格】
店を押さえつけていた重さが、音を立てて崩れた。棚が、床が、客たちの肩が、いっせいに軽くなる。久遠はよろめき、信じられないものを見る目で、自分の胸元のシールを見下ろした。
「直接……貼った……? 神格そのものに……?」
「商品に貼れるんだから、神様に貼れない道理はないでしょ。あんたはもう、うちの店じゃ半額商品なんすよ」
「……っ、私、を……見切り品扱い、するか……!」
「おっと、それは違う」
俺は指を一本立てた。
「見切り品ってのは、売る気があるから値を下げるんです。あんたにはまだ、その価値があるってこと。――で、どうします? 消費期限に変えて今ここで廃棄するか、三日間の賞味期限を抱えて本社に帰るか。俺としては、後者をおすすめしますけど」
久遠は長いこと俺を睨んでいた。やがて、乱れたコートの襟を正し、絞り出すように言った。
「……本日のところは、査定を終了します。ですが御削零、あなたの店は本社の正式な案件になった。次は、私の独断では済まない」
「あー、はいはい。次回のご来店、お待ちしてます。あ、シールは剥がさないでくださいね。三日間は保ちますし、無理に剥がすと神格ごと持ってかれるんで」
久遠は答えず、今度は自分の足でドアを開けて、出ていった。
照明が、ぱちぱちと瞬いて戻る。店内に、客たちの安堵のため息と、それからなぜか、ぱらぱらと拍手が起きた。タエさんが樽を抱え直して笑っている。翔が潰れた段ボールの中身を確かめながら、震える声で「今の、動画撮っときたかった……」と呟いた。
「はい、お騒がせしましたー。閉店セールは続行中でーす。本日、牛乳が目玉商品でーす」
俺はレジに戻り、古い電卓を叩いた。
【本日の売上:四万八千六百円(前日比プラス三十四パーセント)】
【本日の客数:三十一名】
【特売効果:部長職一柱を半額化】
【備考:賞味期限切れ(表記)牛乳、完売】
……ひとつ、気になることがある。
久遠は「本社の正式な案件になった」と言った。つまり次に来るのは、部長の独断じゃない何かだ。
「ま、それも三日後くらいの距離の話か」
呟いて、俺は売上帳を閉じた。閉店セール二十日目、本日も無事、閉店せず。
後書き
「閉店セール(20日目)」お読みいただきありがとうございました。賞味期限切れの牛乳が伏線になる小説、たぶんこれが日本初だと思います。
次回は少しだけ真面目な回。零がどうして神様になったのか、一年前の話をします。タイトルは「閉店一年前」。
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