読み込み中...
読み込み中...
第一部 地域ローカルスーパー(下級神)編 / 第17話
その日の夕方、店には全員がいた。
レジ横の定位置で油揚げをかじるくーちゃん。定期観察と称して売場の陳列に注文をつける葵。ドロワーの上で夕方のピーク集計をはじくKira。タエさんは漬物を売り切って上機嫌で、翔は品出しの合間に、Kiraの写真を撮っては怒られていた。
いつも通りの、閉店前の一時間だった。だから俺は、後になって何度も思うことになる。あの時間を、もっとちゃんと見ておけばよかったと。
自動ドアが開いたとき、店の空気が変わった。
先に入ってきたのは、メアだった。ただし、いつものアポも、七十円の律儀さもなかった。顔色が悪かった。俺と目が合うと、何かを言いかけて――言えないまま、脇にどいた。
その後ろから、男が入ってきた。
背の高い、灰色のスーツの男。歩くたびに、店の蛍光灯がじじ、と明滅した。腕に抱えているものを見て、俺は息を呑んだ。対神用約款ライフル。メアのものより一回り大きい。そして展開している魔法陣が――青じゃなかった。赤だった。
「エターナル・リテール本社、特別対策室長の鳴瀧です。以後お見知りおきを……という時間も、惜しいのでしたね」
【対象:鳴瀧(上位神・雷)】【賞味期限:残り∞】【操作:抵抗により困難】
雷。ラベルの表記が、嫌に簡潔だった。店内の電気が明滅しているのは、こいつの神気が漏れているだけ。本気を出せば、この店の配線ごと、俺たちを焼ける。
「チューリング君の報告書は読みました。二連敗。原因は装備の『行儀の良さ』にある――私はそう結論しました。同意手続き。再勧誘の禁止。域外適用の自制。実に立派だ。実に、商売の邪魔だ」
鳴瀧はライフルを構えた。赤い魔法陣の中を、条文が流れていない。何も、読み上げられていない。
「ですので、外させました。それと、ご存じですか。この装備、人間が使うより、我々が使う方が性能が出るんですよ。神力を直接注げますから。……チューリング君、下がっていなさい。君は見学です。これが本社のやり方だと、よく見て学びなさい」
「室長、待ってください、その設定は保護機構が――」
「下がりなさい、と言いました」
メアの声が、途中で消えた。
まずい。全身の産毛が立った。俺はカウンターから飛び出しながら、言った。言いながら、たぶん、無駄だと分かっていた。
「――同意しません!」
「ええ。結構ですよ」
【同意手続き:省略されています】
赤い閃光が、走った。
読み上げなし。カウントダウンなし。契約ですらない。ただの、砲撃。俺は棚の陰に転がり込んで、一撃目をかわした。缶詰の棚が、神気ごと薙ぎ払われて吹き飛んだ。タエさんの悲鳴。葵が「お客様を外へ!」と叫んで、翔がタエさんを裏口へ引っ張っていく。
「ほう。避けますか」
二撃目の照準が、俺を追った。赤い魔法陣が膨らむ。俺の足は、飛び退いた着地の分だけ、遅れていた。間に合わない。それが、スローモーションみたいに分かった。
そのとき、視界を白いものが横切った。
小さい影が、跳んだ。跳びながら、ぽん、と煙がはじけて、月色の髪の大人の姿になって――俺と閃光の間に、割り込んだ。
「――葛の葉さん!?」
赤い光が、彼女の背中に、突き刺さった。
音は、しなかった。爆発も、しなかった。ただ、葛の葉の体が一瞬、内側から光って、それから、糸の切れた人形みたいに、床に崩れた。大人の姿と子供の姿が、ちかちかと明滅している。壊れかけの蛍光灯みたいに。神格が、揺らいでいる。
「……く、くーちゃん?」
返事がなかった。
俺は駆け寄って、抱き起こした。軽かった。いつも俺を放り投げる腕が、力なく垂れていた。明滅しながら、それでも薄く目を開けて、彼女は俺を見て、何か言おうとして、咳き込んだ。
「同意なき神格への直接干渉、確認しました」
背後で、事務的な声がした。
「補足しますとね、御削さん。これは彼女が勝手に飛び込んだんです。当社に法的瑕疵はない。……さて、続けましょうか。次は避けないでいただけると、報告書が一枚で済むのですが」
俺は、葛の葉を床にそっと横たえた。
立ち上がった。
「……鳴瀧さん、でしたっけ」
自分の声が、遠くで聞こえた。低くて、平坦で、自分でも知らない声だった。
「一つ、業務連絡です。当店は本日をもちまして――あなたとのお取引を、終了させていただきます」
視界のラベルを、開いた。
【対象:鳴瀧(上位神・雷)】【賞味期限:残り∞】【操作:抵抗により困難】
困難。結構。困難ってことは、不能じゃない。今まで俺は、この権能を「賞味期限」で運用してきた。うまく食える期限。半額。七割引。売り切るための、店の道具。
でもこの権能には、最初から、もう一つの読み方があった。
「賞味期限と消費期限の違いって、ご存じですか」
俺はラベルの表記に、指をかけた。
「賞味期限は『おいしく食べられる期限』。切れても、まだ食える。半額で売れる。……でも消費期限は違う。『安全に存在していられる期限』です。切れたら――もう、棚には置けない」
【賞味期限】の四文字を、指で、引き裂いた。
【消費期限:適用】
【対象:鳴瀧および接続装備】
【残り時間:零】
「な――」
鳴瀧が、初めて表情を変えた。ライフルを俺に向けた。赤い魔法陣が膨らんで、膨らんだまま、端から、砂になった。
「装備の保守契約も、あなたの神格も、たった今、期限切れです」
「ば、馬鹿な、私は上位神だぞ、抵抗判定は……っ、腕が、腕が――!?」
雷をまとった巨躯が、指先から、崩れていった。風化とも腐敗とも違う。棚から下げられた商品が、そのまま世界の在庫から消えていくみたいに、静かに、事務的に、存在が減っていく。悲鳴は、途中から音にならなかった。
「あんたはもう――廃棄対象なんだよ」
最後に残った赤いライフルが、からん、と床に落ちて、それも砂になった。
店内が、静かになった。
……いや、静かじゃなかった。入口のところに、鳴瀧の連れてきた手下が三柱、立ち尽くしていた。中級神クラス。さっきまで、退路を塞ぐ役だったやつら。そいつらが今、腰を抜かして、後ずさっていた。
「ま、待て、俺たちは命令で」
「営業時間、終了です」
俺は歩きながら、シールを三枚、指の間に挟んだ。投げた。空中で、三枚とも、綺麗に貼り付いた。半額。半額。半額。三柱まとめて膝から崩れて、床に転がった。俺はその横を通り過ぎた。通り過ぎながら、視界の隅で、ラベルがまだ開いているのを感じていた。消費期限。まだ、切り替えられる。こいつらも。全部。この店に土足で踏み込んで、うちの棚を焼いて、うちの――うちの、仲間を。
俺は、一番手前の一柱に、にじり寄った。
「ひ……」
そいつの顔は、もう見ていなかった。ラベルだけを見ていた。数字が視えた。期限が視えた。指をかければ、終わる。簡単だった。プリンに三割引を貼ったのと、同じ手つきで、神様一柱を世界の棚から下げられる。なんだ。簡単じゃないか。最初から、こうすれば――
「――零」
声が、した。
細い、掠れた声だった。振り返ると、床の上の葛の葉が、明滅する腕を、こっちへ伸ばしていた。
「そこまでじゃ。……あのときと、同じになっては、いかん」
あのとき。
何のことか、分からなかった。分からなかったのに、その言葉は、俺の指を止めた。伸ばされた腕が、力尽きて床に落ちるのを見た瞬間、ラベルの数字が、すっと遠のいた。俺は自分の手を見た。震えていた。さっきまで、震えてすらいなかったのに。
手下の三柱が、転がるように逃げていった。
そして――視界の端で、金色の髪が、動いた。
メアが、走っていた。店の出口へ。一度もこちらを振り返らずに。あれは撤退じゃなかった。撤退ってのは、次の一手のために引くことだ。彼女のは違った。あれはただの、逃走だった。計算も、期待値も、捨て台詞もない。二十二年間ロジックで生きてきた人間が、ロジックの通じないものを見てしまった、その足の速さだった。
自動ドアが、閉まった。
「……これが」
葵の声がした。振り向くと、彼女は棚の陰に膝をついたまま、俺を見ていた。手帳を握ったまま。その目に映っているのが、いつもの「店主さん」じゃないことが、見なくても分かった。
「これが、本当の……神の力……」
責める声じゃなかった。ただの、事実確認の声だった。それが一番、こたえた。
「葵さ……椿木さん、俺は」
「――今は、いいです。それより」
葵は立ち上がって、駆け寄った。俺のところじゃなく、床の葛の葉のところへ。
「葛の葉さん! しっかりしてください、葛の葉さん!」
葛の葉は、もう目を開けなかった。姿の明滅が、さっきより、遅くなっていた。蝋燭の火が揺れる間隔が、伸びていくのに似ていた。それが何を意味するのか、考えたくなかった。
◇
その夜、閉店作業は、誰もしなかった。
薙ぎ払われた棚もそのまま、床のシールの燃えかすもそのままで、店の奥の座敷に葛の葉を寝かせて、タエさんが濡れタオルを替え続けた。翔が「穴守稲荷の、本社みたいなとこ、ないんすか」と、スマホを握りしめて何かを調べ始めていた。葵は帰らなかった。廊下の隅で、どこかへ何本も電話をかけていた。
俺は、レジの前に立った。
日課だから。締めの会計だけは、神様の仕事だから。電卓に、手を伸ばした。
伸ばした手が、止まった。
数字が、思い出せなかった。今日の売上。客数。何人来て、何が売れて。全部、記録はある。Kiraが持ってる。でも、指が動かなかった。この指は今日、神様を一柱、世界の棚から下ろした。その指で叩く数字が、どうしても、思い出せなかった。
「……ご主人」
レジの上で、Kiraが小さい声で言った。
「今日の報告、ボクが預かっとくよ。……いつか、書ける日に書こ」
【本日の売上: 】
【本日の客数: 】
【本日の : 】
【備考: 】
新装開店準備セール、二十七日目。
今日が何日目かなんて、初めて、どうでもよかった。
後書き
「消費期限」お読みいただきありがとうございました。この回は、書くかどうか最後まで迷った描写を、迷ったまま全部書きました。零の権能が「便利な力」で終わらないために、必要な回だったと思っています。
くーちゃんの安否も、店の行方も、次回に続きます。タイトルは「立ち退き勧告」。零は、羽田に飛びます。
読んでくださって、ありがとうございました。☆で見守っていただけると心強いです。
この話はいかがでしたか?
この作品を評価する