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第6話 / 全11話
まぶたが熱い。
閉じられているはずの眼球が赤外線を察知している。
瞼を開けると朝日で視界が白く飛ぶ。
顔が光源を避ける。
ぼやけた視界でにじむ隣のベッド。
毛布とシーツが四角く畳まれ、皺一つ無い。
心拍数上がる。
脳血管の酸素濃度が急激に高まる。
体を起こし、部屋を見渡す。
入口。テーブル。
朔がいない。
窓。
逆光の中に細い影が白く光る。
グレーの伸縮性のある下着。
薄い腰と細い腿に、ナイロンの黒いベルト。
吊り下げられている黒いポリマー製の拳銃。
装備されたサプレッサーの先端は、膝を越えている。
朔の手はカーテンを掴んでいる。
「監視」
質問をする前に答えが返ってくる。
「睡眠は十分」
時計を見る。まだ5時37分。
朔の眼球は、屋外と屋内を交互に移動する。
その切り替わる間際、横目で俺の顔を捉え続けた。
俺の体に異常はない。睡眠も十分だ。
屋外を監視する朔。
若干の汗。髪が少し束になっている。
肩と背中がテカって、朝日を反射させている。
俺は朔の瞳を見る。
朔からの答えを待つ。
1分ほど経過したが、返ってこない。
朔のベッドを触ると冷たい。
すでに起きてから二時間が経過したことになる。
夜明け前から周囲を監視。その必要があるのだろうか。
首筋あたりが熱を持ち汗ばむ。
朔の睡眠時間は六時間を割っている。
この程度なら不十分ではない。
刑事なら、寝られるだけでも幸せを感じる。
ならば十分かと言えば、それも違う。
「朔、もう少し寝た方が良い。監視は俺がする」
朔は目を見開く。頷かない。
「朔……」
少し優しめに、名前を呼んでみた。
やっと頷く。
朔が伏し目がちにベッドに戻る。
朔が動くと甘い匂いが鼻腔をかすめる。
嗅覚が硝煙の匂いを探知しなかったことで、肺から空気が抜けた。
朔は寝汗をかきやすいのだろう。
朔はホルスターを外し、ベッドメイクをし直して横になった。
---
朝。8時を過ぎた。
町工場の朝は早い。
すでに遠くの工場で機械が動いている。
監視は15分おき。
俺は合間に早朝営業の弁当屋に走った。
テーブルには、温かい弁当と二つのカップ味噌汁。
鼻が湯気の中にある味噌の酸味を拾い、口が唾液で濡れる。
二階で階段の踏み板が鳴る。
上から下へと断続的に響く。
その振動が接近する。
俺の前に朔が直立。
後ろ髪が跳ね上がっている。
頬に、枕の跡が残っている。
額に汗を浮かべている。
珍しく呼吸が乱れている。
朔は本当に寝ていた。
俺の肩から力が抜ける。
「おはよう」
朔は頷く。
「朔、挨拶は?」
「お……おはようございます」
「とりあえずシャツを着てくれ、それから食事だ」
朔は頷き、Tシャツを着てテーブルに座る。
少し上目遣いで俺の表情を確認。口が開く。
「い…いただきます」
朔が自ら、いただきますを言った。
俺は口角が上がるのを必死に堪える。
「いただきます」
朔の精密機械のような食事は、会話を拒む。
それに救われてもいる。
会話の内容が思いつかない。
聞きたいことはあるが、聞いてはいけない気もしている。
朔が食事を終えると、カバンから重量物を机の上に出した。
三つの札束。三百万。
「ごちそうさまでした」
俺の顔と肩が一気に熱くなる。
背筋を冷たい液体がつたう。
今朝の朔の、汗ばんだ身体が脳内で強制的に再生される。
「三人。殺してない」
朔が俺の瞳をロックオンしている。
「わかった」
殺していないという言葉に、熱を持った身体がもとに戻ってゆく。
二人で、空になった容器を片付ける。
テーブルを拭き上げる。
朔は制服を着る前にホルスターをはめる。
朔の白い腰と腿に、黒いナイロンが巻かれてゆく。
銃はサプレッサーを外し別々に装着。
着替えを終えて、家を出る。
斜め前方を歩くセーラー服。
ローファーが規則的にアスファルトを叩く。
朔の顔が赤みを帯びている。
髪の毛が昼前の日光を反射する。
その大きな瞳は空の色を映す。
窓が割れ、鉄の扉が錆び、朽ちつつある町工場。
機械が抜き出され空となった空間に、鉄粉と埃が堆積している。
むき出しの鉄骨から垂直に落ちるロープ。
中空に縫い留められている3つの物体。
それぞれに空気を吸い込み吐き出す音を発生させている。
光沢を伴う合成繊維のスーツ、柄の主張が強いシャツ。
頸部と手首には、乱反射を繰り返す金色の重金属。
この特定の社会階層の記号により、対象の所属が証明される。
顔であるはずの部分は赤紫に腫れ上がる。
砕けた下顎骨がぶらさがっている。
四肢は人体の可動域を超えた方向に曲がり、揺れる。
顔面は崩れ、眼球の位置が特定できない。
僅かに動く体の各部が、捕食された動物としての最後の抵抗を示している。
珍しい光景ではない、仕事で何度も見てきた物体。
今回は、物体の制作者側が作品になっただけ。
確かに殺していない。
これは、『簡単に殺すな』という命令の実行だ。
俺がそう命じた。
俺の『殺すな』という言葉が、この命令を作った。
朔の顔を見られない。
埃の積もった地面には三人を引きずったあと。
自分の心臓の音が聞こえる。
瞼が視界を遮る。
意識的に呼吸を整える。
地面を向いていた首を上げる。
最後に、吸い込んだ空気を肺から吐き出す。
朔を見る。
朔も俺を見ている。
その顔に、表情は無い。
何の感情も発信していない。
「よくやった朔。これで資金には困らない」
朔が俺を見る。俺の瞳の奥を見る。
朔の表情は変わらない。
俺は朔から目をそらす。
吊るされた三つの物体を見上げる。
三つとも、かろうじて動いている。
「朔、銃を貸してもらえないか?」
朔が俺の瞳を捉え、頷く。
朔はスカートの下のホルスターから拳銃を取り出す。
分離されていたサプレッサーが銃口にねじ込まれてゆく。
銃口は、3つの物体に向けられた。
朔は両手で銃をしっかり固定。
圧縮されたガスの噴出音。
空気を切り裂く飛翔音は壁に反射して消える。
薬莢が床を転がる。
三つの肉塊から、赤い体液が滴る。
朔が正しい。これは俺の命令だ。
俺の深層は殺人を拒んでいる。
朔は俺の心を読み、命令を実行した。
俺が朔に殺せと、命じた。
「ありがとう、朔」
シリカゲル詰めの黒い袋を三つ作り、朽ちた町工場の倉庫に放置した。
朔が俺の前を歩く。
引きずられるローファーが、アスファルトに削られる。
その瞳は、地面を映している。
俺の目尻は、水分が溜まっている。
何が正解だったのか。
それを考え、さらなる失敗を自覚した。
最初から、拷問を叱責するべきだった。
罰を与えるべきだった。
俺は褒めた。嘘をついた。
朔に心を読まれているのに。
手のひらが汗ばむ。
歩く足に力が入らず震えている。
朔を見られない。朔の歩く音だけが聞こえる。
帰宅途中の買い物。
一言の会話も無いまま、量販店で電子レンジを買った。
朔が俺の視線を察し、なんとなく買うものが決まる。
電子レンジは意外に重い。
お互いに察して、段ボールに持ち手を二つ付けた。
帰宅後、俺たちは無言のまま作業を始める。
まずは、電子レンジを床に下ろした。
重さで手がしびれている。
朔は、カメラとセンサー類をセットする。
通知はすべてスマホに着信する。
これで、周囲の見張りから解放される。
俺は、電子レンジをセット。
冷蔵庫に残っていた弁当を温める。
「ご苦労さま。昼食だ」
俺のねぎらいに、朔の伏し目がちだった瞼が、わずかに上がる。
「食事の後は部屋の掃除だ。できるか?」
朔は頷く。
その瞳がLEDの光を反射。
無事に、精密機械のような食事シーンが再生された。
俺の肺にも空気が戻る。
---
「ごちそうさま」
朔のお弁当は、すでに消えていた。
すぐに掃除が始まる。
食事をしている俺への配慮はない。
俺も急いで、必要な仕事を脳内でリストアップする。
そのリストアップはすぐに停止した。
「朔、必要な掃除道具を買って来てくれ。全部。今すぐに」
全てのタスクが実行不可能だった。
朔は振り向き、頷き、即座に家を出る。
走っていくローファーの音はすぐに消えた。
俺は部屋中を見回す。
窓、トイレ、シャワー室、シンク、パソコン。
帰ってくるまでに、朔に押し付ける仕事を探す。
こめかみを汗がつたう。
朔は帰ってきた。10分も経っていない。
両手にコンビニ袋。呼吸は乱れている。
「まずは窓、その前に着替え。セーラー服が汚れるから」
朔は躊躇なく脱ぐ。
朔から目をそらす。
「あと全部、掃除しといてな」
俺は朔を見ない。
椅子に座り、あくびをして、うつむく。
目を閉じ、額に手を置き居眠りのポーズを取る。
寝たふりで視線を朔から隠す。
脳内では、鮮明な画像で再生されている。
膨らんでいない胸。
薄い胴体。
細い腰。
小さなお尻。
細い大腿部と、内転筋。
その映像が俺に自覚をさせる。
俺が朔を求めていると。
朔の女の体を。
朔は心を読む。
体温が上がっていく。
とりあえず、寝たふりを続ける。
すぐに寝たい。意識を切断したい。
この状況で朔と目を合わせたら、確実に心を読まれる。
こんな時に限って、神経の接続が途切れない。
夏が終わる頃には、二度と接続できなくなる神経なのに。
限られた残り時間。
この事実もまだ朔に切り出していない。
最後に出す朔への命令は、今のうちに考えておいたほうが良いのかもしれない。
横顔が熱い。
波長が伸びオレンジ色になった太陽光が頬を熱していた。
俺は目を覚ました。
夕方になるまで寝ていたらしい。
部屋がオレンジ色の光を反射している。
完璧に清掃されている。
朔の姿を探す。
なかなか見つからなかったが、真横に立っていた。
存在感が消えすぎていて、寝起きの脳では認知できていなかった。
「掃除、ご苦労さま」
朔が頷く。
寝ていたことで、次の命令を出す時間になってくれた。
「食事を買ってきてくれ」
朔は一瞬フリーズして、頷く。
ゆっくりスウェットを脱ぎ制服に着替える。
俺は目をそらす。朔の体は見ない。
「いや、俺も行く。他の買い物もしたいし。朔が現金を作ってくれたから少し豪勢に行こう」
朔が振り向く。反射したオレンジ色の中で頷く。
今のは危なかった。
事実、俺は朔を遠ざけようとしていた。
それを朔に察知された可能性が高い。
寂れた町工場を朔と二人で歩く。
「死体袋は残り五枚。無駄遣いはしない」
朔は頷く。
「でも、朔のおかげで三百万ある。すごく楽ができる」
朔は頷く。少し顔が赤い。
三百万という札束を朔が作ってくれたことが本当にありがたい。
買い物のたびに、朔を褒めることができる。
これから、心を読まれる日々が続く。
俺が朔に求めるもの。本当に求めているもの。
残り二か月の人生に、俺の生殖本能が刺激されている。
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