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第3話 / 全11話
20時すぎのファミレス。
少し空席が目立つ。
意味のない結論を目指す、効率の悪いノイズのような音が充満している。
学生グループの軽薄な笑い声は、他者と同じであることを求めているだけ。
疲弊したサラリーマンは、アイスコーヒーの氷が溶けていく過程を観察している。
28歳の男と、セーラー服の少女。
客観的に見れば、若干怪しい関係。
自然界を逸脱した、この都会の人口密度。
誰もが他人を街の背景としか認識できない。
捜査では聞き込みに苦労した。
今では俺たちが街の背景になっている。
このファミレスに座っている限り、誰の記憶にも残らない。
朔の小さなお尻が席に収まる。
運ばれてきた水は、その口に吸い込まれる。
朔の瞳が俺を捉える。
俺も朔の瞳を捉える。
「きのこのクリームパスタ、若鶏の唐揚げ、山盛りフライドポテト、フルーツヨーグルトソフト、トマトグリーンサラダ、明太子ドリア、ひれかつ膳」
朔の口から淡々とメニューが吐き出された。
俺は急いでテーブルのタブレットに入力。
最後にカルボナーラを追加して注文が確定。
朔は俺の行動を目で追っていた。
「スマホ」
背中が汗ばむ。
俺はこのファミレスのことを何も知らない。
「最後の食事は午前八時でした」
そう答えた後、朔の瞳は、冷たく周囲の検索を開始する。
俺も、店内の非常口の表示に視線を送る。
最後の回答も、ズレていた。
朔は完全に心を読んでいるわけではない。
俺の微細な生体反応がパラメータとして観察されている。
そこから、思考を確率論的に絞り込んでいるに過ぎない。
朔は周囲を警戒しながら、コップの水を飲み干す。
天井にある無数の防犯カメラとマイクは記録を続けている。
ファミレスにセーラー服の少女とサラリーマン風の男。
珍しくはない光景。
俺たちはこの街の背景。
朔がスマホを開く。
色素の薄い瞳にスマホの画面が反射する。
俺も、今夜の寝床を探す。
誰の関心も引かない宿。
この明るい綺麗な街の隙間。
犯罪者の潜伏拠点。
宿の手配が終わる。
料理がテーブルに揃っていた。
朔の瞳が俺を捉える。
ナイフとフォークを手に食べ始めた。
やはり、若干ずれている。
朔は完璧には思考を読み取れていない。
今は、いただきますを言ってほしかった。
朔は淡々と少しゆっくりとしたペースで食料を口に運ぶ。
ナイフ、フォーク、箸、スプーン。
機械のように同じ動きを繰り返す。
テーブルマナーとして問題があるわけではない。
食べるふりをしながらも、周囲への警戒は続けている。
味わうという意思はあまり感じられない。
店員も客も、誰も朔に注目しない。
表情が固定された、一切喋らない少女を。
この街の洗練された無関心は、他者の存在を認識すらしない。
実際に俺も、隣りに住む朔の異常性に気づかなかった。
朔の母親役を思い出すと、朔とは似ていなかった。
親子というラベルに対し、二人の階層的解像度の不一致も大きかった。
分析すれば、母子家庭というには違和感がある。
俺は、朔にミステリアスで儚げというラベルを貼っていた。
俺のカルボナーラが空になった。
向かいの皿は、まだ半分以上残っている。
目の前の精密機械が一時停止。
朔の瞳にロックオンされる。
「いや、ゆっくりでいいぞ」
朔は頷き、食事を再開する。
完璧なテーブルマナーで綺麗に食事が消えてゆく。
料理が朔の小さな口にゆっくりと消えてゆく。
俺の体温が上がる。
食後の体温上昇、脳の血流も少し悪い。
朔が大量に注文した料理の最後。
フルーツヨーグルトソフト。
手の動きは、かなり遅くなっている。
最後の一匙が、小さな口に運ばれ、喉を通った。
朔の赤い舌がピンクの唇を舐め、食事は終わった。
時計は22時に近づいていた。
最後に俺はトイレを済ませ、ドリンクバーの水を飲む。
ここは、朔が座っているテーブルからは死角。
錠剤の山を口に入れて、水で流し込む。
さすがに、ドリンクバーを使う機会は、まだまだあると思いたい。
レジで会計を終える。
若い女性店員の視線が、横にいる朔を捉える。
店員は俺の顔を見ずに釣りとレシートを返す。
この街は、俺と朔みたいな組み合わせで溢れている。
交番時代に補導し続けた、紙幣の枚数しか見えない少女たち。
珍しくもないのだろう。
---
夜の街。
朔は俺の右腕を掴み身体を密着させ歩いている。
23時前、ギリギリ補導されない時間帯。
そういう関係は、この街では目立たない。
朔との距離は、マイナス2センチ。
小さな胸が腕に押し付けられている。
服越しに感じる胸のナイロンやワイヤーの硬さがない。
押し付けられ、形が変わる。柔らかく。とても温かい。
俺が求めた、朔に求められる役目。
大通りから二回ほど道を曲がる。
この街はそれだけで、誰もいない街路が現れる。
ここでは、静かであることが価値。
音さえ出さなければ、すべてが許される。
古い雑居ビル。
古いエレベーター。
錆びた鉄の扉。
名目上は撮影用スタジオ。
フロアの防音性も高い。
そういう撮影に使うのでシャワーもある。
カーテンを閉めると、外界から隔絶される。
振り返ると、朔の瞳に捉えられた。
朔は直立でこちらを向いている。
食後の徒歩移動で、朔の頬は血色が良い。
セーラー服のスカートは短い。
「処女です」
視線を細い太ももに下げた瞬間、回答が返ってきた。
俺の脳内の疑問が音になって部屋に響いた。
顔と肩の熱が上昇し、背中が汗ばむ。
心臓の収縮間隔が加速する。
彼女の目に怯えはない。
彼女の目に期待はない。
そこにあるのは、真っ直ぐな義務感。
俺が作った義務感。
「疲れただろ、寝ていいぞ」
朔にロックオンされ続ける。
10秒ほど経って頷く。
朔は部屋を見渡し、収納庫を物色。
何かを引きずり出し、雑に床に投げる。
ポンプが内蔵されたエアベッド。
シーツと毛布もある。
朔はエアベッドを膨らませる。
膨らむ速度から、完了まで三分はかかる。
朔が制服を脱ぎ始めた。
目を逸らした俺を確認することもなく。
朔が動く音だけが部屋に響く。
セーラー服のボタンが外れる音。
ファスナーが降りる音。
金具が外れ、重量物が床に置かれる鈍い音。
最後に、布が腰から床へと降りる皮膚との摩擦音。
音が途切れる。
振り返ると、朔はすでに毛布にくるまり寝ていた。
制服はテーブルの上に綺麗に畳まれている。
拳銃は枕の横に置かれている。
床にはもう一組のエアベッドと毛布が雑に投げられていた。
俺もベッドメイクし、大の字に寝転ぶ。
聞きたいことが聞けなかった。
明日、起きてから聞くことにする。
何を聞くか、天井を眺めながら頭で整理する。
眠気の中で違和感を覚える。
聞きづらい空気を朔が作った可能性。
たしかに、朔は指示や命令には服従する傾向が高い。
もし、その命令そのものを、出させないように誘導されたら。
俺は質問ができない。
朔が処女であることも違和感。
女の暗殺者の使い道として非合理的。
追っていた連続射殺事件を思い出す。
被害者に関連性はなかった。
多少、闇社会と関わりもあったが全て小物。
朔は寝息を立てている。
規則正しい小さな寝息。
演技のようにも聞こえる。
いつしか、俺の記憶は途絶えていた。
---
カーテンの隙間から日が差し込んでいた。
すでに昼に近かった。
隣のベッドは空。
部屋も整理整頓され綺麗になっていた。
部屋には誰もいない。
視界が暗くなる。
呼吸が苦しくなる。
耳が断続的なノイズ音を拾う。
鼻腔にシャンプーの匂い。
部屋の空気が湯気を含んでいる。
シャワーの音。
床のタイルを叩く水音に不規則なリズム。
不規則な音を耳が拾い続ける。
音の隙間に、小さな体を洗う存在が浮かび上がる。
俺は忘れていた呼吸を再開させる。
水音は、しばらくして止まった。
朔が寝ていたベッド。
毛布が几帳面に畳まれている。
警察学校を思い出す。
ドアが開放された。
朔が髪を拭きながら出てくる。
その瞳が俺を捉える。
俺も朔を捉える。
循環器系が一気にフル稼働状態に移行した。
部屋に湯気が充満する。
鼻腔はハーブを含んだ匂いで満たされる。
タオルが擦れる音が部屋を支配する。
閉められたカーテンの隙間から漏れる日光が部屋を薄く照らす。
湿った足裏が、床材に微かな吸着音を刻む。
髪から滴る雫が、床に落ちる。
浴室の照明が、朔の薄い身体のラインを床に映す。
肌の水滴を拭くタオルの摩擦音が頭から足へと移動する。
続いてカバンを漁り、粘着テープを剥がす音。
布が下から上へと、湿った足を滑る音。
小さな金具が噛み合う音。
最後に布が被さる音。
部屋が、静寂に支配された。
1分ほど待ち振り返る。
濡れた髪の朔に瞳をロックオンされていた。
朔が着ているのはサイズの合わない黒いTシャツ。
裾が太ももまであり、ワンピースのようになっている。
湿った太ももが、昼の光を浴びて白く光っている。
その脚は脂肪が少なく、エッジが効いている。
「二人」
視線を、太もも、細い腰、薄い胸、首、瞳へと垂直になぞる。
朔の表情はいつも通り固定されている。
いや、少し鋭い視線に突き刺されている。
今回も回答が先に返されたので質問を考える。
Tシャツだけの無防備な姿。
椅子にかかっていたセーラー服に視線を送る。
右の袖に赤黒い染み。血痕。
机の上には、拳銃と数枚の一万円札。
初めて見るスマホが二つ。
端末の側面のカバーが外され中身がない。
傍らにSIMカード。
きれいに並べられている。
「隣のビルの屋上」
朔の抑揚のない声が部屋に響く。
一呼吸の後、俺の体温は一気に落ちた。
寝起きのだるさも一瞬で解消した。
朔の口から説明される人間には共通点がある。
その対象の心臓は、止まっている。
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