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第4話 / 全11話
隣のビル、非常階段。
階段を上る負荷で腿の筋肉が熱を持つ。
心拍数が上昇する。
梅雨の真昼の湿度がシャツに張り付く。
俺の手に黒い袋。
昨日、入手した袋。
前を歩く朔。
黒い半袖と短パンの安価なスウェット。
Sサイズだが布を持て余している。
襟ぐりは細い鎖骨を晒す。
その細い太ももに張り付く重い金属の形状。
今は、余った布に隠蔽されている。
セーラー服は、クリーニング店。
返却は17時。
結局、汚れは落ちなかった。
屋上への出入り口となる階段室。
熱の籠る部屋。
二つの肉塊。
二体とも頭と心臓に射入口。
服の血液はすでに黒く固まっている。
四時間というところだろう。
原色のシャツ。
雑に金色に染められた髪。
無秩序な無数のピアス。
「組織とつながっていた人」
狭い空間に、朔の高い声が響く。
その言葉に、心拍数が落ち着いた。
朔はこの肉塊から、すでにスマホを抜き出している。
唯一の存在意義であった情報が抜き取られたこの二つの容器は、すでに価値を全損している。
「はじめようか」
朔の首が縦に動く。
ポケットからゴム手袋を出す。
俺も手袋をはめる。
朔は精密機械のように、迷いなく作業を進める。
五分後、二つの肉塊がシリカゲル入り死体袋になる。
階段室には埃をかぶった資材が放置されている。
割れたカラーコーン。
錆びた昭和時代の古い看板。
処分する労力にも値しない存在。
そこに黒い袋を二つ加えた。
肺が軽くなる。
梅雨の暑さが少し和らいだ。
階段を下りる。来た道を帰る。
前を歩く、朔の細い身体。
足音も軽い。とても軽い。
弱点を見逃していた。
完璧な遺伝子を持っていると思えたが、そもそも体重が軽すぎる。
体重は三十キロ台の前半だろう。
俺の半分もない。
一人では、成人男性の死体を運べない。隠せない。
この体重で重量物を運ぶと、大きな痕跡が残る。
無理矢理に引きずり、押し込め、落としたりと。
朔が殺し、俺が隠蔽。
役割を得たことで、肩の緊張がほどけた。
それにしても、この細い体でどうやって射撃の反動を抑えているのだろう。
ビルを出て地上に戻る。
朔は周囲を見渡してから歩き出す。
俺も街を見渡す。
昼食帰りのサラリーマンが仕事に戻る時間。
街全体が緩んだ空気に支配されている。
毎日のように繰り返されている光景。
この思考を放棄した街に、思考をしている異端の存在は見当たらない。
明確な敵意はないと判断した。
「コンビニでいいか?昼飯」
朔が振り返り、頷く。
コンビニの商品棚。
昼休みのあとで、弁当は残り僅か。
「好きなの選んでいいぞ」
朔が止まる。
凍ったように動かない。
瞳も固定されている。
弁当を選んでいる様子がない。
脳内で自分の発言を検証。
問題は見当たらない。
俺は動かない朔を観察しつつ、商品棚に手を伸ばす。
「おにぎりと、唐揚げと、お茶でいいか?他になにか買うか?」
「それでいい」
朔は動き出した。
俺が会計をしている間、朔は横で気配を消していた。
コンビニを出ると、小さな朔に瞳を覗き込まれる。
真っ直ぐな視線が刺さる。
俺が頷くと、朔は宿にしている隣のビルに足を向けた。
サラリーマンの街を朔が歩く。
小さな身体とスーツ姿の労働者たちがすれ違う。
さすがに少し目立っている。
何人かの男が朔を見る。
横目で朔を追っている男もいる。
その表情には、小さな劣情が漂っている。
俺の眉間にシワがよる。
その自覚が、俺の肺から空気を解き放つ。
指で眉間を押さえて伸ばす。
視界が遮られるので足が止まる。
朔が俺の動きを察知し、振り返る。
「いや、俺もTシャツを買えばよかったと……」
朔は頷き、コンビニに戻り、黒いシャツを買ってきた。
---
部屋に戻り、ベッドに腰を下ろす。
時計の音だけが鳴り響く。
俺は力が抜け、そのまま仰向けに倒れる。
朔は俺の前で直立している。
汚物の隠蔽を終え、呼吸が少し楽になった。
思考に余力ができた。
天井を見ながら朔の気配を観察する。
時計の秒針が五周。
朔は横で直立し続けた。
表情は固定。
瞳は俺をロックしている。
「座って食べていいぞ」
朔は頷き、短パンを下ろす。
腰と腿の金具を外し、銃とサプレッサーがベッドの上に置かれる。
短パンを履き直し、ベッドに座りおにぎりを食べ始める。
小さな口で少しづつ。
俺の眼球は、朔ではなく置かれた銃に固定されている。
銃は樹脂製。
光沢はなく、光を吸収し、毛布の陰と同一化している。
昨日のファミレス。朔はメニューを事前にスマホで調べていた。
さっきこのコンビニは、俺が急に決めた。
結果、処理が重なり凍った。
朔は、命令に服従する。
今の命令主は俺に設定されている。
俺は起き上がり、買ってきた唐揚げを食べる。
揚げ物の油が、少し重い。
食事を終え、朔が買ってきたTシャツに着替える。
不意に、脳が視界情報の処理を停止した。
これは、何かを忘れたときの浮遊感。
俺の視線は、無意識に天井へと移動する。
「新しいSIM」
朔が、おにぎりを食べながら答えた。
相変わらず回答のほうが早いので質問を考える。
Tシャツはスマホの電子マネーで購入。
そのスマホのSIMは新しい。
組織に追跡はされないということだろう。
着替えていた手が止まる。
新しいSIM?いつ、どこで?
二人の男から奪ったスマホのSIMはまだ机の上にある。
他にも殺した?いつ?昨晩のファミレスで合流する前?
朔を見る。
「売春婦。昨日」
気づくのが遅れた。
朔のいた組織は丈夫な死体袋を使っている。
なのに、俺が追っていた事件では死体が残っていた。
闇社会と関わりがある小物という共通点がある被害者。
朔のいた組織は、朔を制御しきれていなかったのだろう。
神経伝達が切れる。視界が暗くなる。
朔は、昨日から五人の人間を殺している。
いや、最低でも五人。
もっと殺している可能性もある。
売春婦。
その名詞は精神安定剤になった。
気持ちが落ち着き、お茶を飲む。
味はしない。
まだ神経伝達が繋がっていないらしい。
ここまでのやり取りで、命令すれば聞き入れてくれる確信はある。
命令を、してみる。
「朔、俺の命令以外での殺人は禁止する。できるか?」
「はい」
朔は一瞬だけ目を見開き、頷いた。
おにぎりを食べ始める。
大きく口を開けて。
唐揚げも、次々に食べている。
いつも通りの凍りついた顔。
そこに、少しだけ赤みが差した。
朔は人を殺さなくて良くなった状況を受け入れた。
---
食後、俺は朔と向かい合った。
単純に、向かい合って目を合わせた。
朔が一方的に組織の内情を喋り始める。
内容としては四人。
一人目は、責任者の女。
二人目は、教官の男。
三人目は、連絡員。これは、昨日殺したサラリーマン風の死体袋を持ってきた男。
四人目は、管理員。これは昨日殺した母親役。
朔もそれ以上の組織の情報は持っていなかった。
組織系統を細分化し、全体像を知る人間を減らす。
組織ごっこが大好きな、頭の悪い反社ではない。
犯罪組織か、あるいは……。
朔を育てたのは一人目の責任者の女と、二人目の教官の男。
朔は親の顔を知らない。
実質、上役と教官が朔の親のような存在。
訓練と勉強だけの日々で友達という存在もいない。
それ以上は聞きづらくなり、会話が途切れた。
気まずさからスマホを起動させると、朔からの報告が正式に終了した。
---
ニュースを読み終えると、カーテンの隙間から入る日光が少し赤みを帯び始めていた。
14時58分。朔のセーラー服がクリーニングを終えるのは17時。
あと二時間と少し。
朔は、十五分間隔でカーテンの隙間から周囲を観察している。
それ以外は、ベッドの上で微動だにせず静止している。
時計が15時になる。
朔が再起動。カーテンが僅かに開けられ光が漏れる。
安価なスウェットは布が薄い。
朔の体の些細な凹凸が服の皺で浮き上がる。
太ももは、研ぎ澄まされたナイフのようなライン。
突き出した鎖骨から肩へ続くラインは鋭利に角ばっている。
俺は、朔の体を精査しつつ視線を上げる。
朔の顔がこちらを向いていた。
その瞳にロックオンされていた。
汗が背筋をつたう。
朔が近づいてくる。
目の前で止まり、座っている俺を見下ろしている。
布が薄い服。俺の目の前に朔の肋骨。
朔の瞳が、俺の瞳を捉える。
「あと二時間ある。休んでていいぞ」
そう続けると、朔は自分のベッドに腰を掛け、残っていたお茶を一気に飲み干す。
空になったペットボトルは放物線を描き五メートル先のゴミ箱に吸い込まれた。
基本的に精密機械のような朔だが、若者らしい性格の粗さも持っている。
今は、俺に背を向け、待機モードに入っている。
追加情報。朔は投擲能力も高い。
---
オレンジ色の夕日。
昨日、朔とすれ違った夕方から、一日が経過。
まだ一日。体感の時間感覚と、実際の時間が一致しない。
クリーニング店から戻る。
部屋に戻る前に、ミネラルウォーターで錠剤の山を胃に流し込む。
強い苦みに口腔内が支配される。
部屋は片付いていた。
俺たちが滞在した痕跡がほぼ消えている。
残っているのは、壁際に畳まれている使用済みのシーツと毛布のみ。
この部屋はそういう用途でも使われている。
正しい片付け方ではある。
朔はその辺の知識も持っているようだ。
その朔は、直立している。
微妙に視線が少し高い。
視線を下に向けると、足の下でゴミ袋が圧縮されていた。
朔の顔を見ると、頬と耳の血行が少し良くなっている。
朔の視線が俺の手に固定される。
クリーニングされたセーラー服を見つけた。
スウェットの上下を脱ぎ始める。目の前で。
黒いスポーツタイプの下着。
薄い上半身のシルエットが際立っている。
あばら骨は細く、脂肪も少なく腹筋が目立つ。
脚は細いが、内股の内転筋はしっかりしている。
朔の瞳が俺を捉えている。
俺も朔を目で捉える。
耳の奥を、内側から叩く脈動。
熱の塊が、太い血管を通って体の隅々まで流れてゆく。
熱くなった首筋を、冷めた汗が滑り落ちる。
夕日が差し込む室内は、全てを赤色に染めてゆく。
「着替えていいぞ」
セーラー服を着た朔は、隣の部屋の彼女に戻った。
俺の肺から空気が抜け胸の圧力がさがる。
朔は、ゴミとともに痕跡をカバンに詰める。
セーラー服の少女とサラリーマン風の男。
この街では珍しくない痕跡。
どこか近くの防犯カメラに残っているであろう映像。
俺たちは偽装された痕跡を残し、部屋を出る。
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