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第2話 / 全11話
夜。明かりを消したアパートの一室。
セーラー服の少女と男が向かい合う。
少女は小柄で、手足もか細い。
客観的には、許されざる恋のシーン。
または、セーラー服の少女を拐かす犯罪者。
現実は、床に生暖かい肉塊。
少女の手にあるのは、サプレッサーが装備された拳銃。
その顔に赤みはなく、まるで凍っているよう。
彼女は被害者である。
真犯人に、罪を押し付けられている。
それこそが妥当な分析。
かすかな音に、思考が切断される。
アパートの外階段が鳴っている。
鉄が叩かれる振動が近づいてくる。
このアパートは二階建てで各階に三部屋の計六部屋。
階段側から彼女の部屋、俺の部屋、その奥は現在空室。
友人のいない俺に来客はない。
そもそも俺の家の住所を知っているのは、警視庁の人事ファイルのみ。
俺の無意識は、彼女に顔を向ける。
「敵」
端的で極めて論理的な回答。
足音がドアの前で止まる。
対処方法の模索が終わっていない。
耳が音を嫌う。呼吸が止まる。
手が汗ばむ中、甘い匂い。
床を跳ねる小さな振動。
視界を遮る影。
ドアノブが回る、金属の摩擦音。
胸と耳を深く叩く衝撃波。
視界が開けると、足元に肉体。
硝煙の匂い。床に落ちて響く薬莢の金属音。
少し遅れて、鉄分の匂いが漂い始める。
後頭部の穴から流出する乳白色の物体。呼吸と心拍の管理システムたる脳幹。
胃の内容物が込み上げてくる。
仕事で見慣れた死体とは違う。熱がある物体、熱のある流出物。
彼女は射殺した男を軽く蹴り、反応がないことを確認する。
サプレッサーから漏れる熱とガス。
引き金にかかっていた指が離れ、フレームに添えられた。
脳が状況を認知できず、同じ分析を繰り返す。
彼女は、この春に引っ越してきた女の子。
すれ違うと、必ず挨拶をしてくれた。
倒れていたのは、40歳前後のサラリーマンの男。
というペルソナをまとった存在。
スーツ、シャツ、靴すべてが量販店の安価な大量生産品。
あまりに、こだわりが無さすぎる。
個性を消しすぎている。
呼吸が戻る。汗が止まる。
被害者分析という、半日前までの日常業務が精神安定剤になった。
殺人の瞬間を見たのは、これが初めてだった。
彼女の瞳が俺を捉えている。
「組織の人、死体袋を持ってきた」
答えは常に的確に返ってくる。
死体袋ということは、今日は誰かを殺す予定だった。
「あなたの隣人としての生活は、よかった」
問いかけるよりも早く、結論が返ってくる。
俺の思考が追いつかない。
今回は飛躍しすぎている。
彼女の瞳が俺の困惑を察知する。
その瞳は焦点を定めずに視線を左右に移動させる。
長いまつ毛が少し下り、瞳が細くなる。
小さな細い指が制服のスカートを軽く掴んでいる。
頬と耳の血流が増し少し赤みを帯びる。
直前まで維持されていた無機質な均衡が僅かに崩れた。
どうやら、彼女は回答を間違えた。
この回答のズレで一つ判明した。
彼女は俺の思考を、表情や仕草から読み取っている。
俺の脳は、彼女を連続殺人事件の犯人だと断定した。
殺人事件の現場には争った後がなかった。
被害者たちは、常に虚を突かれていた。
彼女の挙動と、殺人現場の証拠が脳内で次々に一致してゆく。
この半年、追っていた事件の暗殺者。
死刑台に送るべき対象。
俺の神経伝達が途切れ、視野が暗くなった。
事件を担当していた刑事。
死体袋。
彼女なら俺を殺すことなんてローファーを履くよりも簡単。
「俺を、助けてくれた?」
光を取り戻した俺の視野が、彼女の瞳を捉えた。
彼女も、俺の瞳を覗き込む。
否定をしない。
やっと思考が追いついた。
脳と目が重い。
体がだるい。
疲労感だろう。警察を辞めるまでほとんど休暇がなかった。
連続射殺事件。次の被害者は俺だった。
それを彼女が拒否をした。
「ありがとう」
無意識に言葉が漏れた。
人への感謝が何年ぶりか思い出せない。
システム化された現代社会において感謝は社交辞令でしかない。
彼女は、反応しない。
いや、微かに耳が赤くなって、すぐに凍ったような表情に戻った。
俺も脳に血流と熱が戻る。
脳が次の処理を進める。二つの肉塊の始末。
床に落ちた男のカバンには、死体袋が入っている。
「ダメ」
彼女の震えた声が、暗い部屋に響いた。
それは、俺が見た初めての彼女の意思表示。
質問の回答ではない、彼女の言葉。
彼女の瞳が僅かに潤んでいる。
窓から差し込む通路の光が乱反射している。
この春、お隣に引っ越してきた彼女。
整った目鼻立ち。白い肌。か細い足。
すれ違うたびに、心拍数が異常値まで跳ね上がった。
今の俺は、第一発見者。
ここからは、共犯者。
彼女の瞳は、俺を捉える。
それだけ。それ以上は動かない。
俺は男のカバンを漁る。
もちろん、袖を使い直接触らず、指紋を付けないように。
これは時間稼ぎでしか無い。
確実に皮膚片が落ちる。証拠は残る。
現代の科学捜査からは逃れられない。
大きな黒い丈夫なビニール袋が十二枚。
枚数の多さに、呼吸が止まる。息が苦しくなる。
このアパートの住民をすべて収容できる。
後は、プラスティックのボトルが四つ。
持ち上げると粒子の軽い音。
シリカゲルと断定。
それと厚手のガムテープ。
彼女は、常に俺の横にいる。
機械のような視線で観察されている。
「手伝ってくれ」
彼女は、頷き、ビニール手袋をはめる。
慣れた手つきで淡々と作業を進める。
俺は動けない。動く必要が無い。
ガムテープを手に眺めるだけ。
五分もかからなかった。
二つの肉塊はシリカゲルとともに完全に密閉された。
彼女が新しいビニール手袋を俺に差し出す。
---
空き部屋となっている奥の部屋。
鍵穴にピックを噛ませ、シリンダーを解錠。
周囲を確認しつつ、彼女と二人で荷物を運ぶ。
押し入れの点検口から天井裏へ。
重量物を担ぎ上げる。
鎖骨に荷物が食い込む。
脊髄が押しつぶされる。
太ももが内部から圧迫され熱を持つ。
天井裏の柱の陰に、二つの袋を隠す。
死体遺棄罪、刑法190条、3年以下の拘禁刑。
プロ仕様の死体袋。
密閉度も丈夫さも申し分なかった。
運が良ければ、ミイラ化してくれる。
最低でも一ヶ月は露見しないだろう。
部屋に戻ると、彼女が生ゴミをまとめていた。
もう、殺人現場ではない。
生活感が感じられない。
次の作業が無くなった。
血流が筋肉から脳に戻る。
体が熱を持つ。重い。
重量物から解放された手が震える。
彼女を見ると、壁を背に立っていた。
音も光もなく、闇に同化している。
闇の中で光る目と視線がぶつかる。
「今すぐ」
俺はまだ質問を考えていない。
急いで回答から質問を逆算。
足がすくんだ。
本来であれば、死体袋に入っていたのは、俺。
息を吐く。
急いで自分の部屋に戻る。
財布とスマホを手に部屋を出る。
靴を履き、振り返る。
巡査部長への昇進と、捜査一課への異動で手に入れた部屋。
同期で寮を出たのは未だに俺だけ。
大家が警察OBだから許可が出た。
安全な物件だったはず。
警察にも犯罪組織のスパイがいる可能性。
急いで彼女の部屋に戻る。
彼女は部屋の闇に固定されている。
いつもの表情で。
瞳を覗き込んでも反応がない。
先程の遺体隠蔽を手伝ってくれた姿とは正反対。
自発的な動作が消失した完全な静止状態。
「どこに逃げればいい?」
「人が多いところ」
彼女の瞳は俺を捉えるが、動く気配はない。
「逃げないのか?」
彼女は答えない。
大きな瞳で俺を捉え続ける。
彼女から次の回答は来ない。
時計の秒針が暗い部屋に響く。
彼女は、なぜ俺を助けた?
彼女の瞳が俺を捉え続ける。
無視や拒絶はない。
彼女の暗い瞳、凍った表情、白く冷えた身体。
「一人では心もとない、助けてくれないか?」
自分の言葉に、肩と背中が一気に熱を持つ。
額が汗ばんでいく。視界が狭まる。
彼女が動き出す。
荷物を学生バッグに詰める。
下着とTシャツ。死体袋の余り。
ずっしりとした小箱が十個。
弾薬の箱。9mm弾なら500発。
手と脇がじわりと汗ばむ。
彼女が大量の弾薬を手にしている。
これまで経験した、殺人事件の現場が脳内で再生される。
肉片が飛び散っている証拠写真を思い出す。
彼女の肩にカバンの紐が食い込む。
カバンが歪む。
弾薬10箱。7kgはある。
---
20時すぎ。
まだ制服の女の子が歩いていても問題ない時間。
「ファミレスでいいか?」
彼女が頷く。
まずは、ここを離れる。
今の時代、防犯カメラやドライブレコーダーは生活の中に溢れている。
お互いの地図アプリには、ピンが立っている。
連絡先も交換した。
まだ操作できなかった最新スマホだが、『朔』が全て設定してくれた。
彼女の名前は『朔』
俺のスマホの唯一の連絡先。
本名か偽名なのかは、聞かなかった。
朔が先に出る。
アパートの階段の音が小さくなり、朔の存在が認知できなくなった。
五分後、俺も出る。
大通りを避け、可能な限り防犯カメラのないルートを選ぶ。
---
徒歩で三十分弱。
住宅街の角を曲がるとファミレスの看板の光が視認できた。
手前の交差点の信号は赤。
待つ間に周囲を見渡し、朔を探す。
まだいない。
どこにもいない。
左右を何度も見る。
上や下も見るが、電線と地面しかない。
何度も左右を見る。
シャツの下が汗で湿っていく。息が苦しくなる。
視界が暗くなる。意識が薄らぐ。
暗い視界の中で、甘い匂いが鼻腔に充満し始める。
視線を上げると、歩行者信号の青い光。
右横にセーラー服の学生がいた。
重さで歪になった学生カバンを肩から掛けている。
体の右側だけが一気に熱を持つ。
とても熱い。
俺と朔はアスファルトを踏みしめ、歩き始めた。
たった一度の人生。後悔は残したくない。
この体が動かなくなってから、動けた時に何がやれたかを考えたくない。
そう思うと、この最後の梅雨の湿度も心地が良い。
やっと、吐き気のするクソ苦い錠剤の山を毎日のように飲む動機を得た。
明日からやるべきことが決まった。
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