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第10話 / 全11話
夜22時。
疲弊とアルコールへの逃避に支配される時間。
高層ビル。その屋上。
冷却設備が並ぶだけの空間。
朔は髪をなびかせながらも微動だにしない。
強風で舞い上がるスカート。
輝く東京の夜景に興味を示すこともない。
航空灯火の点滅に赤く照らされる。
寒い。強風で汗が冷やされる。
屋上のドアは固く閉じたまま。
そこから現れる存在を待つ。
家のPCで走っていた解析AI。
それが、朔のスマホを鳴らした。
AIが検知したのは、どこにでもあるSNSの愚痴。
その文字列を、AIが多次元のベクトルへと変換。
GPS座標が弾き出された。
朔と同じ変換キーを共有している存在。
生き残っているのは一人。
『責任者の女』。
俺よりも朔とのつながりが深い存在。
呼吸が苦しくなる。
強風の中で、屋上のドアが静かに開く。
朔の瞳に力が入る。
俺たちは屋上の室外機の影に身を隠す。
現れたのは、男。
朔は微動だにしない。
俺のほうが動揺し、声を出しそうになった。
その男を俺は知っている。
名前こそ覚えていないが、鑑識課の警部補。
警察に潜入していた、組織のスパイということだ。
もう一度ドアが開く。
女が現れた。
幅の狭いメガネ。
黒いスラックスのスーツに、黒いカバン。
長い髪を後ろでまとめ上げている。
眉間にシワを深く寄せ、鋭い目で警部補の男を捕らえる。
朔の口がわずかに動き、唇に力が入る。
目からは、少し力が抜けている。
俺の鼓動が早くなる。
こっちも俺の知っている顔。
捜査一課の管理官。
キャリアで階級は警視。
足がすくむ。
朔の後ろに広がる東京の夜景。
無数の輝きという深い闇。
警部補の男は、半身。
重心を片足に乗せている。
肩と両腕を力ませている。
警視の女は、スラックスのポケットに手を入れたまま。
メガネに航空灯火の赤い点滅を反射させる。
「警視、39号の遺体偽装に問題でも?」
「ええ」
朔は待機モード。
警視の女を凝視している。
女の視線が警部補から離れ、朔を捉える。
同時に朔が頷き、動き出す。
警部補は警視の女の視線を追い、振り返る
航空灯火で赤色に染まる黒い襟と白い布地。
セーラー服の少女。
警部補は、騒音と暗闇で接近に気づいていなかった。
「145センチ、9mm拳銃。なぜ生きてる。」
連続殺人事件の共通項。
警部補の額に汗が浮き上がる。
その視線は、朔の手に収まるグロックを追い続ける。
顎が震え、後ずさりし腰を抜かしてしゃがみ込む。
見下ろす朔の目が赤く光る。
強風、屋上の騒音。
サプレッサーを装備した射撃音は殆ど聞こえなかった。
朔がローファーで男の生命反応を確認。
頭頂部から入った弾頭は、体内に留まっている。
朔が警視を見る。
警視も朔を見る。
警視の視線が俺に移る。
「ご苦労さま」
俺を捉える警視の目。
仲間の意識のようなものが俺に芽生える。
警視は再び朔に向き直る。
朔は、動かない。体も表情も。
「私は、私の仕事を遂行します……」
警視がカバンを開け、A4サイズ封筒を差し出す。
「これを」
朔は受け取らない。固定されたまま。
次の行動に移らない。
強風が二人の髪を何度かなびかせたあと。
朔が長い瞬きののち、受け取った。
封筒は、そのまま俺に手渡される。
間近で見た朔の瞳は、わずかに潤んでいた。
眉間にシワが寄っている朔を見たのは初めてだった。
受け取った封筒は、想像を超えた厚みと重み。
朔が、警視の女に向き直る。
いつもの固定された表情。
警視の女は、膝立ちになる。
「お願いします……」
朔は頷き、銃を構える。
警視の女は朔を見つめる。
「ご武運を」
朔が引き金に指をかける。
騒音に混ざる、鋭い破裂音。
コンクリートを跳ねる薬莢の金属音。
止めようと、伸ばした俺の手が、宙をさまよう。
朔は銃を構えたまま静止。
人差し指を、ゆっくりと引き金から離す。
指は、スライド下のフレームに固定される。
朔が肉塊の女を見下ろす。
いつも通り、ローファーで生存確認。
口はへの字に結ばれている。
まぶたは閉じかけ、まつ毛が影を落とす。
銃とサプレッサーを分離。
スカートの下のホルスターに収納。
地面の薬莢を拾う。
俺の身体は汗で冷え切っていた。
俺もやっと口が動き始める。
「朔、これは、どういうことだ?」
朔がゆっくりと立ち上がる。
振り向き、俺の瞳を覗く。
朔は、いつもの固定された表情に戻っている。
意思を感じさせない、何も求めない。
一切の感情を封印する表情。
朔の口が動く。
「ごめんなさい」
最終回答だけが返ってくる。
いつものように、この回答の質問を組み立てる。
組み上がらない。
どのパターンで組んでも組み上がらない。
わからない。
朔の瞳が俺を刺す。
「太陽」
すでに肉塊は黒いシリカゲル入りの袋に変わっていた。
俺は思考処理を一時保存し、物理的な処理を優先する。
「あっ……あぁ。手伝う」
深夜のビル。
2つの黒い袋は、ビルの中に消えた。
古いビルに増設された耐震ダンパー。
巨大なH鋼。
このHという字の上下には、巨大な隙間が存在する。
---
4日後。昼過ぎ。
左右から迫る緑と、重たい草の匂い。
それを台無しにするトラックの排気ガス。
仕事のない山奥の過疎地。
そこに税金を注いで整備された国道。
綺麗で歩きやすい歩道。
俺の前を歩く朔。
鳥などの小動物には必ず反応する。
その目は、常に森の暗闇に向いている。
俺達の風貌はトレッキングスタイル。
山中では誰にも気にされない風景の一部。
巨大なリュックが重い。
「朔、疲れてないか?」
頷く。
朔の荷物も重いはずだが、歩くペースが落ちる気配はない。
任務モードになると、朔は意外なほど察しが悪い。
4日前。
警視の女を殺したあと。
町工場の家に帰宅した。
朔が停止した。
俺を瞳で捉えたまま動かなくなった。
俺は思い出す。
『一人では心もとない、助けてくれないか?』
そう言って、朔とあのアパートを出た。
朔の顔が白い。唇に色がない。
俺の指先も冷えていく。
近くの工場で動く機械の重たい振動。
「俺は、もうすぐ死ぬ。その前の望みを叶えてほしい」
朔の顔は、赤みを取り戻した。
朔の新しいタスク。
半分終えるのに、三日を費やした。
俺は、朔の甘い匂いに、三日三晩、包まれていた。
この三日間。
警視庁の捜査一課は錯乱状態の極み。
管理官と鑑識官の失踪。
管理官と川崎の焼死体をつなぐ物的証拠。
神奈川県警と警視庁のライバル関係は、混乱に拍車をかけた。
役職を外され、実質的に軟禁された刑事も多数。
その間に俺たちは、町工場のレンタルオフィスを引き払った。
荷造り中。
朔は事あるごとに電子レンジに視線を向けた。
二人で運んできた、わりと重かった電子レンジ。
俺は、ケトルとトースターで手を打たせた。
それでも、荷物はかなり大きくなった。
俺は病院に行き、入院を拒絶しつつ薬を入手。
薬をもらうのもこれが最後になる。
---
山荘に到着した。
外壁はかなり古いが、内装はリフォームされている。
生活機材も一式揃っている。
あの警視の女が揃えたもの。
朔は書類上の存在も手に入れた。
居所不明児という名の、子どもの所在不明。
厚生省が把握するだけで、年間100人を超える。
大半は、親の連れ去り。
ごく一部は、事件に巻き込まれた子供。
その一人を流用すれば、このぐらいのことは簡単にできる。
朔のいた組織の闇深さは、想像するだけで背筋が凍る。
朔の俺への謝罪の意味。
まだ、わからない。
朔が洗濯機を確認している。
乾燥機もある。
「これでコインランドリー行かなくて済むな」
「シーツも洗えます」
胸元が汗ばむ。
心のなかで朔に謝罪する。
朔が、隣の風呂場の扉を開ける。
大きめのユニットバス。アパートの小さな風呂とは違う。
湯船の大きさに対して朔が小さい。
尻を滑らすと湯船の奥に足が届かず溺れる。
「二人で入れば溺れません」
口調は、いつも以上に冷たかった。
どうやら、本当に足は届かないようだ。
朔は風呂に栓をして、スイッチを入れる。
お湯がゆっくりと出てくる。
寝室。
ベッドは大きなものが二つ並んでいる。
町工場のパイプベッドとは違い、クッション性も高い。
朔が窓を開けると外は森が広がっている。
夜は真っ暗になる。
「エアコンはいらないな」
「はい。声が聞こえる範囲に人家はありません」
よく見ると、朔の顔が赤い。
「まだ、タスクが残ってます。追加タスクもあります」
のどが乾く。
三日前に朔に押し付けた最初のタスク。
半分ほど残っている。
タスクを消費しながら、思いついた新しい追加タスク。
残りのタスク数は最初よりも増えている。
風呂がお湯を吐き出す音が響く。
俺たちは、無言で荷解きをする。
衣服は大半を破棄した。
PC、ケトル、トースター。
リュックの容積が思った以上に喰われた。
精密機器のクッション材として、わずかな衣服の収納は許された。
朔がクッション材ではない、厚手のビニール袋に入った服をリュックから出す。
皺にならないようにハンガーに丁寧に掛ける。
セーラー服を捨てるという選択肢は、お互いに存在しなかった。
朔の瞳が俺を捉える。俺の瞳を覗く。
「いや、着なくていいから」
心拍数が上がる。
俺は、少ない衣類を、寝室のクローゼットに収めていく。
クローゼットの奥。
壁に取っ手がある。
俺の手が震える。
朔を見ると、その瞳が俺を捉えている。
仕事用の固定された表情。
喉が詰まる。
クローゼット奥の取っ手は、スライドドアだった。
弾薬と銃器類。黒い袋とシリカゲル。
---
一週間
夜。不意に意識が戻った。まだ生きてる。
木々と草の重い匂い。
山の雨音は柔らかい。
都会のアスファルトを叩く痛さがない。
わずかに開いている窓。
床を這う冷たい空気。
都会の雨と違い、埃っぽさがなく肺が心地よい。
朔が横で、白くか細い肩を上下させながら寝息を立てる。
俺の願いを全て叶えようとしてくれる存在。
俺の願いを奪っていく存在。
もう残り時間は少ない。
明日、目が覚めない可能性だってある。
俺は何をすればいい。
朔のために何ができる。
雨音が響く天井は、白く傷もシミもない。
朔の細い体。
ミトコンドリア系の遺伝子疾患。
母から子にしか遺伝しない病気。
そういった未来も、あり得る。
山奥の柔らかく、広い雨音。
朔の寝息が響く。
それ以外の音がない空間。
屋根を叩く雨の音。
まだ隣人でしかなかった時の朔を思い出す。
窓から冷たい風が流れ込んでくる。
カーテンを揺らす。
朔の髪を揺らす。
壁のセーラー服を揺らす。
都会のビル風と違い、柔らかい。
あの管理官の女の顔が、不意に浮かんだ。
朔のために、この家を用意した女。
全身の汗でシーツと毛布が湿る。
心拍数も上がる。
「違う……見逃していた……」
逆だった。あの管理官の女は俺と同じだ。
俺の胸に、朔の手が触れた。
大きな瞳が俺を見ていた。
冷えた小さな手が震えている。
「ごめんなさい」
回答が先に返ってくる。
俺は唾を飲み込む。
最後の命令を朔に刻む。
「俺の願いは……昔から一つだった」
朔が頷く。
病気で苦しむベッドで見たニュース。
様々な犯罪。戦争。
それが許せなくて、警察官になった。
「犯罪者を死刑台に送りたかった」
朔の瞳が俺を捉える。頷く。
「ありがとうございます」
初めて聞く朔の謝意。
「……」
朔の柔らかい唇。
「朔、生きてくれよ」
俺は朔の甘い匂いに包まれる。
俺は、この闇の深い世界に朔を置き去りにする。
朔がどうなるのかを、見届けることはできない。
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